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オリヴァー・アンバーグ
独占インタビュー

もしあのアルバムを持っていたとしても
トムにサインを頼んじゃダメだよ(笑)

文:川嶋未来

エクストリーム・メタル史上最大の問題作と言えば、ケルティック・フロストの『Cold Lake』(88年)だろう。スラッシュ・メタル・バンドが突然LAメタル化を図り、ファンから総スカンを食らったという謎すぎる方向転換。『Cold Lake』は完全なる黒歴史として、リリースから30年過ぎた今も廃盤のまま。しかし、一体何故ケルティック・フロストは、そんな突飛なアイデアを思いついたのか。長らく戦犯とされてきたのが、アルバム制作直前にバンドに加入したギタリスト、オリヴァー・アンバーグ。今なお熱心なケルティック・フロスト・ファンから嫌がらせメールが送られて来るというオリヴァーに、当時のことを振り返ってもらった。あまり知られていないことだが、オリヴァーはコロナーの創設メンバーでもある。

 

— あなたはもともとコロナーのメンバーだったんですよね。

 

オリヴァー:その通りだよ。俺はコロナーの創設メンバーの1人さ。コロナーの第一形態と言った方がいいかな。俺とマーキーと、あと2人のメンバーがいたのだけど、音楽的には後のコロナーとまったく違うことをやっていた。アイアン・メイデンやジューダス・プリーストみたいなNWOBHMをプレイしていたのさ。

 

— そうなんですね。インターネットなどでは、モトリー・クルーみたいなスタイルをやっていたと書かれていますが。

 

オリヴァー:モトリー・クルーからの影響も多少はあったかもしれないけど、間違いなくアイアン・メイデンやクイーンズライク、ジューダス・プリーストみたいなバンドからの影響の方がはるかに大きかったよ。

 

— なるほど。モトリー・クルーみたいなスタイルで、コロナー(=検死官)というバンド名は変だなと思っていたので。

 

オリヴァー:最初はVoltAgeというバンド名だったんだ。それからマーキーやみんなでコロナーという名前やロゴなんかを思いついて、確かにバンド名と音楽性は完璧には合っていなかったかもしれない。その後バンドが分裂して、マーキーと俺ともう1人で3曲入りのデモを作ったのだけど、それはマーシフル・フェイトみたいな路線だったんだ。凄く複雑なやつ。だけど、バンドとしてはうまくいかなかった。

 

— その当時、ヘルハマーにも誘われたんですよね。

 

オリヴァー:そう、誘われた。

 

— なぜ加入しなかったのですか。

 

オリヴァー:まだ若かったからね。16歳か17歳だった。トム(G・ウォリアー)に誘われたときは、とてもうれしくてね。加入を頭において、リハーサルにも行った。だけど、バンドに加入するには準備万全とは言えなかったんだよ。ヘルハマーが要求するような、バンドにすべてを捧げるということを約束できなかったのさ。それに、今考えるとくだらないけど、両親が反対して、絶対にサポートしないなんて言われて。凄いプレッシャーだった。それで諦めたんだ。

 

— ヘルハマーの音楽をどう思いましたか。当時、あそこまで極端なスタイルのバンドは珍しかったですよね。

 

オリヴァー:俺がヘルハマーを気に入っていたのは、当時他のどんなバンドとも違った音を出していたところさ。スイスにはクラシック・ロックやヘヴィメタル・バンドがいくつかいたけど、そのいずれとも違っていた。そこに惹かれてね。正直なところ、本当に好きだったのはNWOBHMみたいなスタイルだったけれど。

 

— NWOBHMが好きだったんですね。てっきりグラム・メタルがバックグラウンドなのかと思っていました。

 

オリヴァー:そう、NWOBHMが好きだった。あとはもちろんブラック・サバスとかね。それからキッスも大好きだった。ヘヴィメタルではないけど(笑)。

 

— ヘルハマーは当時、どんな受け止められ方をしていたのですか。

 

オリヴァー:スイスでは評判は酷いものだったよ。誰もまともに相手にしていなくて、頭がおかしいと思われていた。スイスというのはとても小さな国で、音楽シーンは輪をかけて小さいからね。すべてのバンドが戦っているような感じだったんだよ。いつでも「あのバンドはクソだ」、「いやこっちの方がクソだ」なんていう状態で、ラヴ、ピース、ハピネスとは程遠かったのさ。人々は、トムが真剣にバンドに取り組んでいることは認めていたけれど、一方で笑い者にしていた部分もあった。どうしてこんなバンドが大舞台に出られるんだ。どうしてこんなバンドがレコードを出せるんだって。だけど、その後ある時点でみんな、自分たちが間違っていたことを悟ったのさ。

 

— それはいつの時点だったのでしょう。

 

オリヴァー:スイスでは、そうだな、『To Mega Therion』が出た頃だったんじゃないかな。ただ、結局のところケルティック・フロストは最後までスイス国内では正当な評価を得られなかったと思う。スイスにはクロークスとか、いくつかビッグだと考えられているバンドがいるけれど、ケルティック・フロストの場合、スイス国外で大きな人気を誇っていたからね。奇妙なことだけどね。国内の優秀な人材は認めたくない、みたいな心理かもしれない。「俺はこのバンドは好きじゃない。スイスのバンドだから」なんていう感じでね。

 

— 88年、ついにケルティック・フロストに加入をします。彼らは87年に一旦解散をしていますよね。どのような経緯でバンドに加わることになったのでしょう。

 

オリヴァー:トムとは長いつきあいだったからね。ケルティック・フロストが解散すると聞いて、「いや、まだやれるだろう、ちょっと俺と一緒にやってみよう」って、写真を添えてトムに手紙を書いたんだ。それで彼と会って、一緒に音楽を作ろうという話をした。その時点ではまだマーティン(エリック・エイン)もリード(セイント・マーク)もいてね。彼らとリハーサルもやったんだ。そうやってケルティック・フロストに加入した。正直、トムに無理強いした感もあったな。

 

— どうやってグラム・メタルという方向性に行き着いたのでしょう。

 

オリヴァー:自然な流れだったんだよ。曲を書いて、リハーサルをやって。『Cold Lake』のデモは聴いたことがある?あれを聴けば、あれが本当はどんなサウンドになるはずだったのがわかるはず。アルバムの方向性については、トニー・プラットからの影響も大きかった。彼は著名なプロデューサーだったし、俺たちにもインパクトがあった。それから、トムは当時とても幸せな状況でね。新婚だったから。わかるだろ、俺たち男はみんな(笑)。それで気が散っていたというのもあるかもしれない。そのせいで、普段よりもトニー・プラットに主導権を握らせてしまったということもあったのかもしれないな。デモの段階ではもっとずっとヘヴィでロウだったのに。アルバムみたいに洗練されたサウンドじゃない。当時はみんなアルバムの出来には満足だったんだよ。当時のインタビューやビデオを見てみれば、それはわかる。ただ、人々を惑わせたのは、アートワークと写真だよ。あれがショッキングだったんだ。もし真っ黒なカバーで写真も無し、サウンドもデモのものだったら、こんなにも毛嫌いされることはなかったはず。30年経った今でも嫌がらせのメールが来るんだから。

 

— そうなんですか(笑)。

 

オリヴァー:Facebookにフレンドリクエストを送ってきて、承認したとたんに「このクソ野郎!ケルティック・フロストを台無しにしやがって!」なんていうメールが来る。30年前も前の話なのにだよ。なのにいまだにそんなメールが来るんだから(笑)。

 

— それだけのインパクトがあったということですね。デモにはマーティンやリードは参加していないのですか。

 

オリヴァー:していない。アルバムと同じメンバーだよ。プロデューサーは違うけど。というか、プロデューサーはいなくて、レコーディング・エンジニアがいただけ。彼にはどういうサウンドにしたいか色々と伝えてね。最終的なアルバムよりもずっとヘヴィなサウンドなのさ。それに当時、ノイズ・レコードはポイズンのようなビッグ・バンドを欲しがっていてね。あの路線を支持したんだ。「ビッグなヘアはいいね。これは何百枚も売れるぞ!」って。基本的に俺たちはアルバムの方向性に満足していたよ。写真には多少の違和感があったけど、今と違って簡単に撮り直そうというわけにもいかなかったし。レコード会社が計画して、たくさんの費用をかけてやるものだったから。

 

— ああいう写真はノイズからのリクエストだったということですか。

 

オリヴァー:いや、単にあの時のバカげた雰囲気だったというのかな。パーティムードを感じていて、何も考えずにやってしまったんだ。あとから振り返ってみれば、あれは良い案ではなかったかもしれないけど、当時はそこまで真面目に考えていなくてね。メタル・シーンへの裏切りだとか。ノイズはあの路線を気に入ってくれてね、それで俺たちもそっちへ突き進んでしまったわけだけど、ノイズが強制したとかではないよ。ただやってしまっただけ。そんな大ごとだとは思わなかったのさ。あの写真が無ければ、アルバムの評価もまったく違っただろうね。

 

— マーティンやリードはなぜバンドを辞めてしまったのですか。

 

オリヴァー:マーティンは、音楽的方向性をまったく気に入ってなかった。それから彼は、俺がバンドに加入したことが面白くなかったのかもしれない。わからないけどね。凄く親しかったわけではないけれど、友人ではあったから、大きな問題はなかったけれど。リードはまったくわからない。突然「俺は辞める」と言って、それっきり。理由もまったくわからない。

 

— グラム・メタルという方向性について、通常あなたとプロデューサーのトニー・プラットがこれを推し進めたと考えられていますが。

 

オリヴァー:ギターリフだけを聴いてもらいたい。俺がメタリカのリフをパクったとか言う人もいたくらいだからね。リフに関してはグラム・メタルだとは思わないよ。もしヴォーカルがもっとディープでアグレッシヴだったなら、グラムの要素は皆無さ。確かに「Dance Sleazy」の「Sleazy」という単語は、ポイズンやファスター・プッシーキャットとか、グラムのバンドがこぞって使っていた単語ではあるけどね。もしこれが「Slay the Demon」なんていうタイトルだったなら、誰もグラムだとは思わなかったはずさ。ギターリフはまったくグラムではないからね。正直、そもそも俺もグラム・ファンではないし。これはバンド全体の決断だった。確かにトニー・プラットは音を綺麗にしすぎたと思う。彼は俺たちが素晴らしいバンドだからではなく、単にお金のためだけに仕事をしたのだろう。だから気持ちがこもってないんだよ。ただお仕事をしただけ。何かが欠けているんだ。俺のことを責める人間は多いけど、俺はただリフと曲を書いただけのことさ。

 

— 確かに私も音は全然グラムではないと思うんですよ。

 

オリヴァー:その通りさ。「Dance Sleazy」や「Seduce Me Tonight」みたいなタイトル、それから写真が、ファンの聴き方を変えてしまっているんだ。写真やそういう単語が、彼らのマインドセットに合わないからね。それでグラム・バンドだと思われてしまうんだ。

 

— 先ほどメタリカのパクリだという話が出ましたが。

 

オリヴァー:そう、アルバムの中のリフの1つが、えーと、確かKerrang!に「なぜ誰もアンバーグがあのリフやこのリフをパクっていることを責めないんだ」みたいなことを書かれたんだよ。だけど、もちろん俺はパクリなんてやっていない。比べてみたら、確かにリフは似ていたよ。だけど、似ているリフなんて、それこそ何百万もあるだろう?

 

ー 当時はアルバムの仕上がりにも満足していたわけですよね。『Vanity / Nemesis』のツアーでも、アンコールで『Cold Lake』の曲をプレイしていましたし。

 

オリヴァー:そう思うよ。楽しかったし、まあ悪い時もあったけれど、笑うことも多かった。もし今また一緒にやったのなら、だいぶ違うはずさ。というのも、当時の俺は本当に扱いづらい人間だったからね。俺と仕事をするのは大変だったろうし、俺と生活するのも一苦労だっただろう。俺も、当時の俺とは一緒に暮らしたくないよ(笑)。今は大人になったから物の見方も違う。当時は常にパーティ・モードで、24時間パーティをしていた。音楽よりも、まずパーティだった。だけど、トムは違った。彼にとっては常に音楽が最優先だったから。

 

— トムはどの時点でアルバムを嫌いになったのでしょう。

 

オリヴァー:俺はバンドをクビになったあと、誰とも連絡をとらなかったからね。いつなのかはわからないな。きっとある時点で、あのアルバムは彼のキャリアを台無しにしてしまうと思ったんだろうね。それで、今に至るまであの作品が大嫌いなのだろう。最近トムとはよく会うんだけどね。今でもあのアルバムが大嫌いみたいだよ。あれのことは話題にも出せないんだ(笑)。今では彼と完全に仲直りをしているのだけど、2人の間に1つだけ、『Cold Lake』の話はしないというルールがあるのさ(笑)。

 

— なぜバンドをクビになったのですか。

 

オリヴァー:それは俺がクソ野郎でプロフェッショナルでなくて、アルコールやドラッグの問題を抱えていたからさ。完全に制御不能になっていたんだ。

 

— その後トムとも連絡を絶っていたのですか。

 

オリヴァー:そう、長いことね。

 

— 最近また連絡をとるようになったきっかけは何だったのですか。

 

オリヴァー:確か数年前、映画のプレミア・イベントに招待されて、そこで再会したんだ。本当に久しぶりに会って、ハグをして。まるで何事もなかったかのように。それで友情が復活したんだよ。ずっと失われていた友情がね。今ではとても良い友達さ。

 

— 現在振り返ってみて、『Cold Lake』というアルバムをどう思いますか。

 

オリヴァー:なぜあのアルバムがあんなにも嫌われているのか理解できないよ。あのアルバムのせいで俺に向けられた憎しみはショッキングだった(笑)。一方で、とても多くのケルティック・フロスト・ファンが今俺にコンタクトをしてきて、「あのアルバムを気に入ってる」と言ってくれている。君のようにね。俺もあのアルバムを気に入ってるよ。当時は好きではなかったかもしれないけど、あのアルバムを気にいるということを学んだというのかな。俺はおそらくこの世で一番クソなギタリストではないだろうし、Facebookでは「あのアルバムを楽しんでいます」とか、「気に入っています」なんて言ってもらえるしね。リリースから30年も経っているわけだし、今更目くじらを立てることでもないはずさ。あのアルバムを良いと思ってくれるのなら、ぜひ聴いて楽しんで欲しい。もしそうでないのなら、無視してくれれば良いのさ。

 

— あのアルバムが長いこと廃盤なのはとても残念なことです。

 

オリヴァー:その通りだね。でも、もしあのアルバムを持っていたとしても、トムにサインを頼んじゃダメだよ(笑)。

 


 

ケルティック・フロストをLAメタル化させた戦犯、オリヴァー・アンバーグというのがメタル界の一般的なイメージだ。オリヴァーは当時Junk Foodというメインストリーム寄りのバンドでプレイしていたこともあり、オリヴァーのLAメタル趣味と、トム・G・ウォリアーのアメリカ市場制覇の野望が暴走し、ケルティック・フロストのLAメタル化が果たされたと、私は解釈していた。だが、そもそもオリヴァーは、熱心なLAメタル・ファンでも何でもなかったのだ。コロナーの創設メンバーであり、NWOBHMやマーシフル・フェイトが好きだった彼は、実は80年代初頭、ヘルハマーにも誘われていたのである。(ちなみにインタビュー中では「LAメタル」ではなく「グラム・メタル」という言い方をしているが、これは「LAメタル」という表現が日本特有のものであるからだ。)

 

ケルティック・フロストは『Cold Lake』でLAメタル化したというのはよく言われることだが、実際のところ音の方はLAメタルでも何でもない。確かにトムがそれっぽく歌おうとしている形跡はあるものの、インタビュー中オリヴァーも言っているとおり、リフにそれらしいところはない。ヘアスプレーで髪を立て、L.A.ガンズのTシャツを着て、という変貌ぶりが、何となくのノリの結果だったという証言は驚きだが。

 

『Cold Lake』が盗作の誹りを受けたことは、トムの自伝にも書かれている。だが、その詳細については触れられておらず、それがKerrang!であり、メタリカの名が引き合いに出されていたことは今回初めて知った。おそらくはトム・G・ウォリアーがここまで頑なに『Cold Lake』を否定し続けているのは、このレビューに依るところも大きいと思われる。オリジナリティというものを人一倍大切にするトムにとって、盗作の指摘は我慢ならないものだっただろう。(もちろん、実際にそれが盗作であったかは別問題だが。)それにしても、引き合いに出されたのがLAメタル・バンドではなく、メタリカだったというのはとても興味深い。

 

個人的には『Cold Lake』はまったく悪いアルバムだとは思わない。もちろん『Morbid Tales』や『To Mega Therion』、『Into the Pandemonium』といったアルバムと比較すれば、その完成度は劣るだろう。(というか、これらに比肩するアルバムなど、この世にそうそう存在しないのだが。)しかし、スラッシュ・メタル・バンドがLAメタル化を図った作品なんて、後にも先にもこれしか存在しない。『Cold Lake』は長らく廃盤のままであるが、インターネットでは聴くことはできる。エクストリーム・メタル史上最大の問題作と言われるこの作品がどんなものなのか、ぜひ皆さんの耳でも確かめてみて欲しい。

 

 

文 川嶋未来

 


 

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