[インタビュー実施:2020年11月19日]
ー マーシフル・フェイトは具体的にどんなバンドから影響を受けていたのでしょう。特に最初のEPで聞ける複雑な展開、手数の多いリフは、それ以前に聞いたことがないものでしたが。
キング:そうだと思う。というのも、多くの曲は完全に自分たちの内面から湧き上がるものを曲にしていったから。インスピレーションという意味では、私とハンクはわざわざ電車でドイツのハンブルクまで、ジューダス・プリースト、サポートがサクソンなんていうライヴをよく見ていったものさ。ブラック・サバスやユーライア・ヒープ、ディープ・パープルとか、当時のいわゆるヘヴィなバンドは複雑な曲をやっていたし、キャプテン・ビヨンドのファーストなんかもとてもプログレッシヴだった。バッジーとか、多くの人は知らないバンドも。私は当時お金をすべてレコードに使っていたよ。レコード屋に行って、マイナーなバンドのレコードもたくさん買っていた。当時買ったレコードのほとんどは、今も持っているよ。1971年に買ったものですら(笑)。インサートも全部とってある。『Sabotage』もインサートが入っていてね、歌詞が印刷されていた。当時はインサートは真っ白なんていうのが普通だった。「Sabbra Cadabra」だったかな、リック・ウェイクマンがキーボードをプレイしているなんて書いてあって。(注:「Sabbra Cadabra」は『Sabatage』ではなく『Sabbath Bloody Sabbath』の収録曲)当時はインターネットなんてなかったから、情報源は多くなくてね。インサートに書いてあることや、音楽雑誌や音楽新聞に載っていないことはわからなかったんだ。『Houses of the Holy』なんかのインサートもとてもよく出来ていたね。キャプテン・ビヨンドは、カバーが3Dに見えるようになっていたり。そういうオリジナルのLPをたくさん持っているよ。どれも古いけれど、去年買った新しいターンテーブルでかけると、とても素晴らしい音がする。少々ノイズが乗るところもあるけれど、とても良い音だよ。古いにもかかわらずね。でも私はCDで聴く方が好きなのだけど。LPの時代、バンドはスタジオでとても良いスピーカーで録音したものを聴いて、とても良いサウンドだったのだろうけれど、それをレコードにした途端、多くのサウンドが失われてしまった。違ったものになってしまうんだ。まあ、レコードの音が好きだという人もいるだろうし、それは好みの違いなのだろうけれど、実際に周波数のレンジが異なるのさ。ロー・エンドのボトムも違うし、制限があるんだよ。ユーライア・ヒープとか、それまでレコードで聴いていたものを初めてCDで聴いた時は、「オー・マイ・ゴッド!これまで聴こえなかった声が聴こえる!」なんて思ったものさ。新しいハーモニーが現れたんだ。前は聴こえなかったギターのハーモニーが突如聴こえたり。おそらくはスタジオでは聴こえていたものが、正しく処理してもレコードの性能の限界のせいで聴こえなくなってしまっていたのだろう。それがCDになって聴こえるようになった。それから、オーディオ機材も大きく音に影響する。現在私はカリフォルニアで手作りされているベアフット・サウンドのスピーカーを使っているのだけれど、本当に素晴らしいよ。今も自宅の2階にあるスタジオにいるのだけど、ここで聴くサウンドは本当に凄い。過去にここまで素晴らしいサウンドは聴いたことがなかった。ベアフット・サウンドの250Wのスピーカーで、それぞれが5つのスピーカーとアンプを内蔵しているんだ。つまり1つのスピーカーにそれぞれ1つずつアンプが入っているんだよ。クロスオーバー無しでも一切周波数が欠けることがなく、100%正確な音が出る。2つのサブ・ウーファーがついていて低音域も物凄く出るのだけけれど、スピーカーを触っても振動は感じない。にもかかわらず、きちんと低音が出ているんだ。とてもユニークなやり方が取られている。超高音、超低音どちらも出ていて、その間は完全な直線。とても正確なんだ。ベース、トレブルの調整も必要ない。フラットなままで素晴らしい音がする。でも、出来の悪いアルバムをこれで聴くと、逆にさらに酷くなるんだよ(笑)。細部まで聴こえてしまうからね。「Masquerade of Madness」はこのスピーカーを使って作った。アンディもスウェーデンに同じシステムを持っていてね。これからはこれでレコーディングをしていくから、以前とはずいぶん違った仕上がりになるよ。というのも、スタジオを予約する必要もなく、朝の3時であれこの部屋に来て作業をすれば良いのだから。スタジオと同じクオリティの素晴らしい機材のあるこのスタジオにね。素晴らしいよ。
ー クラシックからの影響というのはありましたか。例えば「Into the Coven」のイントロなどは、クラシックを思い起こさせるものだと思うのですが。
キング:うーん、クラシックのCDは持っているけれど、正直あまり聴いていない。私のやっていることに影響は与えていないよ。あくまでフィーリングの問題さ。様々なハーモニーを使ったりね。影響を受けたのは、あくまでプログレッシヴなハードロックさ。色々なバンド、Armageddon、Nutz、Tucky Buzzard、Silverheadとか、あまり知られていないバンドのアルバムも私は持っているからね。アメリカのBloodrockとか。彼らはグランド・ファンク・レイルロードと同じレーベルに所属していたんだ。かっこいいバンドがたくさんいて、当時はみんな個性があった。それぞれのバンドが違う音を出すことを許されていて、レコード会社から「このスタイルでプレイしろ。今これが流行っているから有名になれるぞ」みたいなことを言われることはなかったんだ。昔について良かったことの1つは、たくさんのスタイルがあったことだよ。ラジオでディープ・パープルやブラック・サバスの新曲がかかると、15秒も聴けばそれが誰なのかわかったものさ。
ー メイクアップを始めたきっかけは何だったのでしょう。
キング:ピーター・ゲイブリエルのいるジェネシスのコンサートを見たのがきっかけなんだ。1974年のことで、信じられないくらい素晴らしかったよ。マスクや衣装を何度も変えて、目から口にかけてメイクもしていてね。ライヴの最初に、ワイヤーで吊り下げられているのだろうけれど、それは見えなくて、翼をつけたピーターがまるで空中を歩いているようだった。それでまず2枚組のアルバム、『The Lamb Lies Down on Broadway』を演奏して、それから「The Musical Box」、「The Return of the Giant Hogweed」とか、以前のヘヴィな曲をやった。友人たちと行ったのだけど、みんな「あんまりヘヴィじゃない」なんて言っていて、コンサートを気に入ったのは私だけだったんだ。私にとってはヘヴィだったし、本当に素晴らしかった。今でも忘れられないし、今でもライヴをやるにあたってインスピレーションを受けるよ。もちろん私たちのやっていることとは方向性は違うけれどね。本当に素晴らしいショウで、音楽的にも最高だった。行って良かったよ。メイクがオーディエンスに感銘を与えるということもわかったし。最前列にいなくても、表情がわかるのさ。まあ、私は最前列にいたのだけれど、彼のブーツに触れたのなら、彼はそのまま消えてしまうような気がしたよ。そのくらい非現実的だった。とても大きな影響を受けた。もしバンドをやるのなら、こういうものをツールとして使おうと思ったんだ。
ー マーシフル・フェイト初期の頃から、動物の骨に火がついたりなどのパイロも使っていましたが、そういうことを始めたのも、やはりこのコンサートがきっかけですか。
キング:いや、それは違う。どうして始めたのかは忘れてしまったけれど、ブレインストームの時代からすでにやっていたんだ。当時私はラボで働いていてね。船用の塗料なんかを作るラボだった。当時まだ普通の仕事もしていたんだよ。そこからマグネシウム・パウダーやオキシダントなんかを拝借してね(笑)。それらを混ぜて、自分のアパートでスモーク爆弾を作ったり。とても小さいやつ。それをリハーサル・ルームの外で試して、それから30cmくらいの小さな金属製のシリンダーを作ってもらって、導火線を入れる穴も開いていて。本当にバカげた話だけど、初期は導火線無しでやっていたんだ。松明を持って火をつけて、それを直接金属製のシリンダーに突っ込んでいたんだ。そうすると爆発が起こって、大きなキノコ雲ができる。だんだん進化させていって、テープを巻いたりして、さらに巨大な爆弾にしていったよ。振動が起こるくらいの。導火線に火をつけて、ステージから逃げて。当時のジャーナリスト、というか彼は今も現役だけれど、マルコム・ドームがKerrang!でだったかな、「Mercyful Fate and their Exploding Nun(=マーシフル・フェイトと彼らの爆発する修道女)」なんて書いていた。爆弾の後ろにマスクをかぶせた人形を置いていて、それが修道女に見えたのだろう。マスクと長いマントを着せた人形。当時これでセットを終えていたんだ。私たちがステージを降りると、爆弾が爆発する。だけど、あれのビデオは残っていないんじゃないかな。ビデオを見たことはない。とても初期の頃の話さ。あっという間に、さすがにこれは危険すぎるということでやれなくなったから。他の人たちにとってね。私たちにとってはそれほど危険ではなかったのだけれど。初期の頃だけにやっていたものさ。こういうのはその後やっていない。もちろんスモークや火はキング・ダイアモンドでも使っているけれどね。『Conspiracy』のツアーでは、特にアメリカで、ヨーロッパでもやったかな、ステージ上で私が火葬されるというのをやっていたのだけど、あのトリックはクールだった。誰にもタネを見破られたことがないんだ。本当に火葬されているように見えて、今でもどうやっているのか誰も知らない。推理している人もいるけれど、まだ誰も当てていないよ。今でもあのセットは持っているけれど、さすがに古くて危険だからもう使えないのだけれど。直そうとしたのだけどできなくてね。またやるには新しいのを作るしかないんだ。
ー サタニズムやオカルティズムとヘヴィな音楽をミックスしようと思ったのは何故ですか。
キング:私にとってはとても自然なことさ。私の人生の中で、サタニックなフィロソフィーというのはとても自然なもので、アントン・ラヴェイの『The Satanic Bible』に出会う以前も、知らずにそういう生き方をしていた。『The Satanic Bible』を読んで確信したんだ。これこそまさに自分の考えていること、感じていることだと。だから、そういう内容について歌うというのは自然な発展だったのさ。世の中に宗教というものはたくさん存在しているけれど、私はサタニズムは宗教だとは考えていない。もし宗教ならば、それは私のためのものではないよ。ラヴェイとはサンフランシスコの彼の教会で会ったことがある。今でも彼の娘とは会うことがある。私たちがサンフランシスコでショウをやると、彼女が来てくれるので、終わった後に食事をしたりするんだ。前回も、いや、前回は食事には行かなかったな。だけどショウの後、話をした。サンフランシスコにアントン・ラヴェイが好きだったレストランがあってね。夜中によく食べに行っていたらしい。娘さんに、そこに行ってみたいかと聞かれたので、もちろんと答えた。私はラヴェイのことはとても信頼しているし、最高に尊敬もしている。というのも、彼がサタニズムについてどのような考えを持っているか、直接知っているから。彼の教会に行っただけでなく、儀式部屋にも招待してもらったことがあるんだ。そこに2人で1時間半ほど滞在した。教会にいた他の人たちは入れてもらえなかったのに。彼はそこに座ってエネルギーをチャージしていた。その部屋には、もう何年も彼以外入っていないとのことだったよ。そんなところに入れてくれたのだから、とても光栄さ。後に彼から手書きの手紙をもらったこともあるのだけれど、娘のカーラすらそれを信じてくれなかった。彼は喋ったことを妻のブランチ・バートンに書きとらせていて、自分で何かを書くということはほとんどなかったから。カーラはその手紙を見てとても感激していたよ。書いてある内容もとても特別なものだったから。これはとても大事なものだから、ツアーの時にいつも携帯しているんだ。私にとってとても意味のあること。それから彼は教会でキーボードも弾いてみせてくれた。あそこで起こったことはとても特別で、人には言っていないのだけれど、私にとってはこれからも永遠に大きな意味のあることなんだ。彼は自分のやっていること、自分のやり方について、非常にシリアスだった。彼とは電話をしたり、手紙をもらったり、自分も手紙を書いたりした。もう一人の娘、シーナも知っているし、ラヴェイとはとても特別な関係だったんだ。
ー マーシフル・フェイトの最初の3枚の作品で、音楽性は変わっていったと思いますか。『Don’t Break the Oath』ではキーボードが導入されましたよね。
キング:そう、何箇所かで使ったね。『Come to the Sabbath』ではハープシコードも使った。ギターと合わさって、とても良いサウンドになった。ライヴでは必要ないけれど、アルバムでは良いサウンドになったと思う。アルバムに入っているサウンドをすべてステージで再現する必要はないと思っていて、仮にそれらのサウンドがライヴでは存在していなくても、人々はスタジオ・バージョンの記憶から、プレイされていないキーボード・ラインなんかが聴こえるのさ。私のヴォーカルにしても同じ。ライヴで私のコーラスが聴こえるんだよ。妻がハーモニーを付け加えてもいるしね。『Come to the Sabbath』の中間部とか、ハーモニーをところどころ付け加えられるのは素晴らしいよ。「Arrival」とかも。おかげでどの曲も歌うのが楽になった。私はバイパス手術もしたし、今は肺活量も増えてきた。当然タバコもやめなくてはいけなかったから、声もクリアになった。ツアー中に声が枯れることも、とても少なくなったよ。タバコをやめて、とても変わった。本当にやめて良かったよ。声が生まれ変わったようさ。「Abigail」や「The Family Ghost」みたいな難しい曲は、以前は歌うのが大変だったけれど、これらもずっと歌いやすくなった。本当に良かったよ。人々に、その喜びを伝えられるのも素晴らしい。以前よりも歌うのが楽しいというところを見せられることがね。今はライヴをやるのが本当に楽しいし、以前よりも素晴らしい機材、クルーも揃っている。すべてがパーフェクトさ。90分のショウをやるのも楽になった。階段を駆け下りたりするからね。キング・ダイアモンドのステージセットは、3階建てになっているんだ。動き回らなくてはいけないし、狭いから気をつけなくてはいけない。モニターにつまずいたりしないようにね。結構大変なんだよ。とても高いセットが組まれるから、フロアから見上げるととても印象的だと思う。今のセットは本当に凄いよ。マーシフル・フェイトではまた違ったクールなセットを組んでいるところさ。新しいものがたくさんある。実は今、キング・ダイアモンドの新しい作品だけでなく、マーシフル・フェイトの新しい曲も書いているんだ。(キング・ダイアモンドの)『The Institute』はすでに今レコーディングに取り掛かっているけれど、マーシフル・フェイトの方も、アルバム・タイトルとカバーはできている。『The Institute』のアートワークはすでに発表してある。新しいマネジメントとも契約をしたから、色々と新しいことが起こるよ。メガデスやスリップノットと同じ5Bというところ。彼らは私たちのことをとてもよく理解してくれているので、非常にやりやすいよ。色々と考えていることを実現してくれてね。まあ、とにかく今は忙しい。毎日やることがたくさんあって。2枚のアルバムの準備をしていて、仮にツアーが再開したとしても、アルバムは作り続けるよ。作っている作品に、これほど自信を持ったことはかつてないね。私のヴォーカル、ヴォーカルのサウンド。今はパートナーが曲を書いているところだけれど、ヴォーカルに関しては何でもありさ。私が良いと思ったことはすべてやる。ヴァースでは右から6人のコーラスが聴こえ、次の瞬間左に移り、直後にセンターから聴こえてくる。そしてディレイで声が左右に振られる。決して予測できないような、完全にクレイジーなヴォイスだよ。あらゆることを試している。昔のようにね。それに、私がやっている声は、すべてリード・ヴォーカルと言えるもの。コーラスを歌ったとしても、それもリード・ヴォーカル。後ろに埋もれてしまうものはなく、すべてがはっきりと聴こえる。アンディのギター・サウンドも本当に素晴らしい。物凄い進歩だよ。キング・ダイアモンドにしろマーシフル・フェイトにしろ、他のメンバーにヴォーカル・パートを聴かせる際も、それがただのデモでないというところがポイントなんだ。彼らが聴くのは、完成されたヴォーカル・パート。(キング・ダイアモンドの)ポンタスや(マーシフル・フェイトの)ジョーイ・ヴェラといったベーシストたちも、私のヴォーカルを聴きながらベースを弾くことができる。私の好きなユーライア・ヒープのようなスタイル、つまりベースは時にギターに追従したり、時にヴォーカルとハモるような感じ。とても興味深いよ。ティミ・ハンセンなんかもそういうスタイルのベースをプレイしていた。彼らがベースを録音して、その後私がヴォーカルを録音するというのではないので、私のヴォーカル・ラインに従ってベースを弾くことができるんだ。素晴らしいことだよ。音楽がさらに興味深いものになる。
― 85年にマーシフル・フェイトは一旦解散します。理由は何だったのですか。あなたがマーシフル・フェイトの名を継いで活動を継続するという選択肢はなかったのでしょうか。
キング:どうだろう、それは正しいことだとは思わなかったんだ。ハンクと私で始めたバンドだったからね。現在は、私とハンク2人が「マーシフル・フェイト」というバンド名の権利を一緒に持っているんだ。ハンクと話してね、2人で始めたバンドだから、2人が権利を所有するべきだって話したんだよ。マーシフル・フェイトが活動を停止したのは、特にハンクが音楽性を変えたがったからなんだ。完全にという訳ではなく、ヘヴィな曲はやりつつも、彼はファンキーな音楽に興味を持っていて、そういうものを取り入れたがっていたんだ。Mother’s Finestみたいなやつ。私はそういうことはやりたくなかったし、やりたいと思うことしかやりたくなかった。気に入らないものを歌いたくなかったからね。自分の内側から湧き出るものを歌うのでなければ、自分に嘘をついていることになる。ハンクは真剣に違ったスタイルをバンドに持ち込みたいと思っていたみたいだけれど、最初は私をかつごうとしているんだと思った。
― (笑)
キング:あまりに突飛なアイデアだったからね。ジョークに違いないと思ったんだよ。ところが彼は真剣で、それをやれる余地があると考えていた。どうしてもそういうことをやりたいようだったけれど、私はヘヴィなものをやる必要があったし、ヘヴィでないものはやりたくなかった。だから、実際は私がバンドを去ったんだ。彼らに「バンドを辞める」と手紙を送って、それから1週間、誰とも口を利かなかった。その後、マイケル・デナーとティミ・ハンセンに電話をかけて、「ヘヴィな音楽を続けるつもりはあるか。私はそのつもりなのだけど」と伝えた。その時、自分ではレーベルとの契約は何もないと思っていたんだ。まだキャリアの初期の頃で、契約まわりのことは全然わからなかったから。それで、当時のロードランナーのオーナー、Cees Wesselsに電話をかけて、「バンドの活動を停止した。彼らは違う方向の音楽をやりたくて、それに賛同できなかったから。契約もないけれど、ヘヴィな音楽を続ける方法を探している」と伝えたら、彼は「契約はあるよ。他のところには行けないよ」と言っていた。誰と一緒にやっていくかも考えておらず、ただヘヴィな音楽をやり続けたいと思っていて、すでにマーシフル・フェイト用の新曲もいくつかあった。「The Candle」などは、マーシフル・フェイト用に書かれたものだったんだ。「The Jonah」もそう。詳細は忘れてしまったけれど、他にも1−2曲あった。そんな訳で、すでに曲はいくつか出来上がっていて、それをマイケル・デナーに聴かせてね。「Halloween」や「Charon」、「Haunted」なんかはデナーと一緒に書いた。「No Present for Christmas」も。すでに私がすでに何曲か書き上げていて、最後の段階でマイケルが加わって、残りの曲を手伝ってもらったのさ。『Fatal Portrait』が私の書いた曲ばかりなのは、そういう訳なんだよ。仕上げるのは大変だったよ。多くがマーシフル・フェイト用の曲だから。「The Candle」などは「Come to the Sabbath」や「The Oath」のミックスと言える曲さ。Cees Wesselsによれば、契約書はバンドとしてだけでなく、個人とも結ばれているので、他のレーベルとはサインできないとのことだったんだ。Cees Wesselsはいつも良くしてくれて、契約の内容についても詳しく説明してくれた。何を意味しているかを教えてくれて、アドバイスもしてくれた。時にレコード・レーベルというのは、バンド側が理解していないものにサインをさせようとするからね。そういうことは良くない。その点、Cees Wesselsとはとても良い関係だったと言える。そして、マイケル・デナーがミッキー・Dと一緒にプレイしたことがあって、素晴らしいドラマーがいるから借りて叩いてみようということになって、もちろん後に彼は正式メンバーになる訳だけど、あとスウェーデン人のギタリストがいたのだけど、彼はダメでね。ソロを覚えるよりも、飲み歩くのに忙しかったみたいで。私たちがスタジオで待っている間、いまだにソロを練習しているような状況だったから、スウェーデンに帰ってもらった。ミッキー・Dが、E.F.Bandというバンドのスウェーデン人のギタリストを知っていて、そいつは間違いなくマーシフル・フェイトの大ファンだと。連絡を取ってもらったらとても興味を持っているようで、それでアンディ(ラ・ロック)にスタジオに来てもらったんだよ。レコーディング・スタジオでオーディションをやってね。彼には「Dressed in White」のソロを弾いてもらった。数時間かけてね。それで、テープをみんなで聴いて、もちろんマイケル・デナーが弾かなくてはいけなかったパートもあるけれど、アンディのプレイもパーフェクトだったので、そのまま残した。彼はその場で正式メンバーになったんだよ。『Fatal Portrait』でアンディが曲を書いていないのは、そういう訳さ。彼がバンドに加入した時には、すでにバッキングのギターはレコーディング済みだったんだ。彼はこうやって加入して、その後もずっと一緒にやっている唯一のメンバーさ。
文 川嶋未来
Vol3.へ続く
– 次回 最終回 8月20日(金)公開予定 –
2021年8月20日発売
■マーシフル・フェイト
■キング・ダイアモンド