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デヴィッド・ホワイト (ヒーゼン)
独占インタビュー

このレコードではクラーゲンがすべてを書いた
俺たちはみんな彼の音楽的能力を
リスペクトしているから彼に任せたんだ

                                   

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文:川嶋未来 Photo by Chrissie Dieu

10年ぶりの新作『エンパイア・オブ・ザ・ブラインド』をリリースするヒーゼン。ヴォーカリストのデヴィッド・ホワイト(=デイヴ・ゴッドフリー)は、70年代からベイエリア・シーンで活動してきた人物。そのデイヴに色々と話を聞いてみた。

 

 

— ニュー・アルバム『エンパイア・オブ・ザ・ブラインド』がリリースになります。前作と比べてどのような点が進歩していると言えるでしょう

 

デイヴ:一番の進歩は、素晴らしいプロデューサーであるゼウスを迎えたことだと思う。実は彼に『The Evolution of Chaos』をリマスターしてもらったんだよ。フォーマットごとにね。ヴァイナルはヴァイナル用に、CDはCD用に、ストリーミングはストリーミング用に。このプロジェクトに関するサウンドに関する進歩ということであれば、間違いなくゼウスが卓に座ってくれたことだね。

 

— つまりプロダクションが一番の進歩ということですか。

 

デイヴ:そうだね、サウンドのクオリティ、プロダクションのクオリティと言える。間違いなくアップグレードしているよ。

 

— 本作では作詞作曲のクレジットがすべてクラーゲン(ラム)になっていますが、ヴォーカルのメロディラインも彼が考えたのでしょうか。

 

デイヴ:そう、このレコードでは、クラーゲンがすべてを書いた。俺のパートに関しては、俺のフレーバーを加えたかったから、非常に微妙にだけど、ラインの最後などを少々変えることはしたけど。だけど、ほとんどのパートについてはクラーゲンがはっきりとしたヴィジョンを持っていたからね。俺たちはみんな彼の音楽的能力をリスペクトしているから、彼に任せたんだ。バンドの歴史の中で、1人のメンバーがすべてを書いたというのは初めてのことさ。

 

— 歌詞もクラーゲンのクレジットになっていますが、歌うことを考えると、自分で書いた方がやりやすいということはないですか。

 

デイヴ:もちろん人に書いてもらった方がやりやすいという訳ではない。過去にはリーと一緒に歌詞を書いていたし、クラーゲンが入った時も、彼が持ってきた3曲のうち、2曲は俺が歌詞を書き、1曲だけ彼が手がけた。ただ、今回はクラーゲンはとても調子が良かったんだ。俺も歌詞は書いていたし、リーもリフのアイデアは多く持っていて、それらは次のアルバムで使われることになると思う。今回はエクソダスで忙しかったから、リーもそれらを曲としてまとめる時間が無かったんだ。クラーゲンは時間配分の仕方がわかっているし、家にスタジオを持っているからね。彼のアイデアをまとめることができた。ツアーに出ている時も曲を書き続けて。それに彼はこのレコードをきちんと完成させたがっていたんだよ。ニュークリア・ブラストと契約してから随分と時間が経ってしまっていたから。クラーゲンとリー、どちらもエクソダスで忙しかったけれど、ニュークリア・ブラストは辛抱強く待ってくれた。そんな訳で、今回はたまたまクラーゲンがすべてを手がけるということになったのさ。

 

— 前作のリリースから10年経過していますが、これはやはりリーやクラーゲンがエクソダスで忙しかったからなのですね。

 

デイヴ:そうだね。あと、俺たち自身もたくさんツアーをしていたというのもある。『The Evolution of Chaos』を出して、4年くらいツアーしていたんだ。アルバムが出るとヨーロッパ・ツアーに出て、戻ってくると、またデストラクション、オーヴァーキルとツアーをした。それからスラッシュフェスト・クラシックスでセパルトゥラとエクソダスと回って、それからまた夏にエクソダスとツアーして、デストラクションのサポートをやって。最後にヨーロッパをヘッドライナーとしてジェネレーション・キルと、ドイツのダスト・ボルトと回った。グラスポップやヘルフェストとか、多くのフェスティヴァルにも出た。最後のショウは70,000トンズ・オブ・メタルで、それから南米も回るはずだったのだけど、ドラマーがいなくてね。誰かを入れようとしていたのだけど、ちょうどリーがツアー中で、誰をドラマーにするかの相談ができなかった。それでプロモーターにツアーの延期をお願いして、ところが今度はリーがエクソダスでオーストラリアと、日本のフェスティヴァルに行かなくてはいけなくて、南米は実現できなかった。その後ゲイリー(ホルト)がスレイヤーでプレイするようになり、クラーゲンがゲイリーの代わりを務めるようになって、さすがにリー、クラーゲン抜きでは俺も力が出なかったよ。

 

 

 

— ヒーゼンのスタイルを描写するとしたらどうなりますか。いわゆるスラッシュ・メタルとも違うと思うのですが。

 

デイヴ:俺たちはいつも自分たちはヘヴィメタル・バンドだと考えてきた。スラッシュ・メタル・バンド、スピード・メタル・バンドとか、色々と言われることはあるけれど、特定の名前をつけるのではなく、単にヘヴィメタル・バンドだと思っているよ。俺たちの曲にはスラッシュ・メタルっぽいものもあるし、スピード・メタルやパワー・メタルのようなものもある。それに俺はメロディックなシンガーだしね。グロウルもやれるけど、そればかりやったりはしない。ヴォーカルはパンテラのようなものではなく、もっとアイアン・メイデンやメタリカ、アンスラックスみたいな、歌う、メロディがあるもの。だからスラッシュ・メタル・バンドだと思ったことはなく、今でもヘヴィメタル・バンドだと思っている。俺たちはただやりたい音楽をやっていただけ。だからクイーンやシン・リジーのカバーをやることもできた。彼らはスラッシュではなく、ロックンロールだろう?

 

ー ファースト・アルバムではスウィートのカバーもやっていましたよね。

 

デイヴ:俺もリーもスウィートのファンだったからね。ファースト・アルバムをレコーディングすることになった時、どうやって思いついたのかはわからないのだけど、ある晩スタジオでリーが、「『Set Me Free』のカバーをやるというのはどうだい?」と尋ねてきたんだ。クランチーでキャッチーな曲だから、良いアイデアだと思った。レコーディングしてみると、出来も良くて、レーベルもこの曲を推したんだ。キャッチーだったから。MTVでビデオもかかり、かなりの成功だった。評判は良かったよ。だけど、アルバムの他の曲はああいう感じではなかったからね。「スウィートのカバーをやってるんだね。だけど、他の曲とは随分と違うな」なんていう人たちもいた。俺としてはわりと合ってると思ったんだけどね。あの曲はやらなくなってしまったけれど、素晴らしい曲だから、ぜひまたやりたいよ(笑)。

 

— 初期の頃はどのようなアーティストから影響を受けていたのですか。

 

デイヴ:うーん、メンバーそれぞれ違うアーティストから影響を受けていた。当時、リーはメタルに関しては、エクソダスの大ファンだった。メタリカとか、ああいうタイプのバンドが大好きだったんだ。俺は色々なものを聴いて育った。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、それからディープ・パープル、レッド・ツェッペリン。シン・リジーやUFO、NWOBHMも色々と聴いた。このあたりのバンドは、メンバー全員のお気に入りで、俺たちのスタイル形成に影響を与えていると思う。影響は色んなところから受けたよ。

 

 

— ヘヴィな音楽との出会いはどのようなものだったのでしょう。

 

デイヴ:どうだろう。俺は若い頃からミュージシャンで、色々なものを聴いてきたからね。ブラック・サバスを初めて聴いて、人生を変えられた。とにかくヘヴィで、俺に語りかけるものがあった。当時ティーンエイジャーで、人生は楽ではなく、不安とかもあったから、あの音がとても気に入ったんだ。歌詞についてもそう。ラブソングなんかではなく(笑)、人生に関わること、直面する問題とか、とても共感できた。

 

— あなたはブラインド・イリュージョンのオリジナル・メンバーなのですか。

 

デイヴ:オリジナル・メンバーの1人ではある。俺が加わる前からバンドは存在はしていたのだけど。マイク・ビーダーマンとは子供の頃から近所に住んでいてね。ギタリストのアルヴィン・ペティと3人でバンドを始めたんだ。まだブラインド・イリュージョンという名前もなくて、俺がドラム、マイクがベースだった。俺たちはまだ12−13歳くらいで、何かやりたくて。その後、俺は後にパラドクス、そしてヘックスになるバンドに入ってドラムを叩いた。レス・クレイプールがブラインド・イリュージョンに入って、みんな同じ高校に行っていたのだけど、でも結局レスはバンドを抜けてしまった。若かったからマイクと俺は喧嘩をしていて、でも結局仲直りをし、今度はブラインド・イリュージョンにヴォーカリストとして再加入した。クリス・オルセンがベースで。それからレスが戻って来て、ブライアン・キーホーがセカンド・ギタリストとして入った。たくさんのギグもやったよ。いつもパーティをして、プレイできるところではどこでもやった。ビールを持ってね。だけど、当時まだクラブシーンは存在していなかったから、デモを作って、ラジオでかけてもらったり。結局バンドは解散してしまったのだけど、解散した途端にビル・グラハムと地元ラジオ局がThe Old Waldorfで『Metal Monday』を始めてね。エクソダスを見に行ったよ。

アンヴィル・コーラスがヘッドライナーで、彼らはとてもプログレッシヴでブラインド・イリュージョンと近い音楽をやっていた。それでマイクに電話をしようと思い立って、翌日電話をして、バンドを再結成しようと言ったんだ。プレイできる場所が見つけたのだから。それで、キーボーディストとか、新しいメンバーを入れてバンドを再始動させた。ちょうどシーンが出来上がっていった頃。Ruthie’s Innがオープンして、メタリカやスレイヤーなどがやってくるようになって、ベイエリア・シーン全体が爆発した感じだった。ブラインド・イリュージョンは初期の頃から随分と変わってきて、もっとヘヴィでスラッシーな方向に行こうとしていたのだけど、俺はピンと来なくてね。俺はバンドを抜けて、他にヴォーカリストとして歌えるバンドを探していた。本当はラフィアンズのオーディションを受けるはずだったんだ。カール・アルバートが抜けてヴィシャス・ルーモアズに入ってしまったから。ところがレコード屋にラフィアンズのEPを買いに行ったときに、リーのガールフレンドにたまたま出会ったんだ。ラフィアンズのオーディションを受けるという話をしたら、彼女のボーイフレンドのバンドがシンガーを探していると。それで俺の電話番号を教えた。それがヒーゼンだったという訳。ジャムをしてみたら、とてもしっくり来てね。エリック・ウォン、ダグ・ピアーシー、リー・アルタス、カール・サッコ、そして俺というメンバーになったんだ。たくさんライヴをやって、そのうちレコード会社から声がかかるようにもなってくると、もっとタイトなサウンドが欲しくなったので、ベースをマイクに変えて、『Breaking the Silence』を作ったんだ。

 

— 初期のブラインド・イリュージョンはどのようなスタイルだったのですか。プログレっぽかったのでしょうか。

 

デイヴ:色々なフレーバーがあったよ。色々なバンドから影響を受けていて、ブラック・サバスもあれば、レッド・ツェッペリン、ラッシュもあった。キング・クリムゾンやイエスっぽい部分もあった。俺たちはとても音楽的で、参加していたミュージシャンも特別だったからね。若き日のマイク・ビーダーマンやブライアン・キーホー、レス・クレイプール、ドラムには最近亡くなってしまったブレット・ハーンがいたのだから。彼はニール・パートから影響を受けていたけれど、ヘヴィでソリッドでハードヒッターだったから、ジョン・ボーナムを思い起こさせた。同時にニール・パートのようなテクニカルなフィーリングも持っていたし、ドラムを叩いていなくても、そうでなくてもワイルドな人間だった。キース・ムーンみたいに向こう見ずで。ティーンエイジャーの時点で、ロックスターのような生活を送っていたんだ。飲みまくっていたから、クレイジーで信頼できない部分もあったけれど、プレイヤーとしてはとにかく素晴らしかった。魔法のような時代だったよ。レゲエみたいな曲もあったな。ロックなんだけど、レゲエのフィールがあった。曲も長くてね。「Death Noise」なんかは11−12分あったんじゃないかな。ヴォーカルが入ってくるまで8分くらいかかった。俺にとっては面白くなかったけどね。インストを重視するあまり、ヴォーカル・パートがどんどんと少なくなって。俺は何をしていればいいんだ、カウベルでも叩くか、なんて思っていた。

 

— エクソダスを初めて見たのはいつですか。

 

デイヴ:いつだろう(笑)。ブラインド・イリュージョンをやっていた頃、エクソダスはまだ結成されていなかった。ブラインド・イリュージョンをやる前に、カーク(ハメット)とジャムをしたこともある。彼がドラマーを探していたから。俺の家でプレイしたこともあるよ。実を言うと、UFOやアイアン・メイデンを教えてくれたのも、彼だったんだ。俺が16歳の頃かな。エクソダスは初期、よくブラインド・イリュージョンと一緒にプレイしていたんだ。俺たちはライヴをやるたび、いつもエクソダスに電話をかけていた。このパーティがあるのだけど、君たちもプレイしないかって。だから、本当に何回も一緒にプレイしたものさ。当時トム・ハンティングがドラムを叩きながら歌っていた。彼は素晴らしいシンガーなんだよ。

 

— メロディックに歌っていたのですか。

 

デイヴ:当時彼らは色々とカバーもやっていたからね。アイアン・メイデンやUFOなんかをトムが歌っていたんだ。だけど、リード・シンガーが欲しくなり、ポール・ベイロフが入れたんだ。ポールの最初のショウも、俺たちと一緒だったはず。オークランドのオーディトリウムのバーだった。1980年とかだったんじゃないかな。

 

— 当時、のちにスラッシュと呼ばれる音楽を聴いて、すぐに気に入りましたか。

 

デイヴ:いくつかはね。全部ではなかったよ(笑)。メタリカが初めてやって来た時のことを覚えている。あれも『Metal Monday』でのショウだったかな。金曜日だった気もするけど。エクソダスも出ていたから、俺は彼らを見に行ったんだ。それでメタリカを見て、まだデイヴ・ムステインもいて、彼らはまだ未熟だったけど、何かがあるのはわかった。カークに、「このバンドには何かある」と言ったことを覚えている。フロントマンが2人いて、相入れない感じはあった。デイヴとジェイムズがいて、2人ともとてもダイナミックで、それが問題かもしれないと思った。個性が強い2人だったからね。結局みんなが知る通り、彼らは別々の道を歩んで、それぞれ素晴らしいアルバムを何枚もリリースした訳だけど。もしデイヴがメタリカを去らなかったら、どうなっていただろうね。

 

— 当時の雰囲気はどうだったのでしょう。やはり、何か新しいムーヴメントが起こっているという興奮はあったのでしょうか。

 

デイヴ:もちろんあった。ただ、当時はシーンの一部だったからね。目まぐるしく事が進んでいて、ヒーゼンに加入したときも凄く忙しかった。素晴らしいことが起こっているのを、ただ眺めている感じだった。俺はカークと仲が良かったから、彼に起こっていること、つまりメタリカに加入して、モンスターのような巨大な存在になっていくところを見るというのは特別なことだったよ。ただこういう音楽のファンというだけでなく、こういうことをリアルタイムで直接目撃するというのは、そうそうあることじゃない。メタリカが究極の例だろ。あそこまでビッグになった訳だからね。もちろんベイエリアの他のバンドたちも、あのクラスの成功を収められていたら、素晴らしかっただろう。グランジではパール・ジャム、サウンドガーデン、ストーン・テンプル・パイロッツ、アリス・イン・チェインズ、ニルヴァーナという5つのバンドが凄まじい成功を収めたよね。ところが、ベイエリアでは世界中に本当に大きなインパクトを与えたのは、メタリカだけ。残念ながら、エクソダスは素晴らしいバンドだし、テスタメントも今も頑張っているけれど、あのレベルの成功はできなかった。デス・エンジェルもヒーゼンも、みんなそう。俺たちはみんなまだ頑張っているけれどね。

 

— 当時、Ruthie’s Innでのライヴなどは非常に暴力的だったという話ですが。

 

デイヴ:俺がブラインド・イリュージョンでやっていた音楽は、何と言うのかな、もっと気持ちが高ぶるような明るく美しいものだった。俺たちがKeystone Berkeleyでプレイをしていると、通りの向こうのRuthie’sでエクソダスがやっているなんていうことがあった。エクソダスが終わるとキッズが俺たちの方に来てね。「ピットにいたんだ!クレイジーだったぜ!」なんて目から血を流しながら。俺たちは美しい音楽をやっていたから、随分と違ったよ。ヒーゼンに入ってからは、ヒーゼンはブラインド・イリュージョンよりもヘヴィなバンドだからね、Ruthie’sでプレイして、そういう暴力的な雰囲気も体験した。ちょうどシーンが変わって来ている頃だった。スラッシーなバンドも増えて来て。ポゼストやヴァイオレンス、フォービドゥン、ヒーゼン、エクソダス、他にもサクリレッジやウォーニングとか。水のせいかもしれないけど、良い意味での怒りに満ちた楽しさがあった。オーディエンスはみんなクレイジーに暴れるけど、みんな友達になって、みんなハッピーな気持ちで会場を後にする。フラストレーションを発散してね。とてもヘルシーなことさ。悪意がなければ、とてもヘルシーなものだよ。

 

— お気に入りのアルバム3枚を教えてください。

 

デイヴ:トップ3か。ジャンル関係無しに?

 

— 関係無しでもメタル限定でも構いません。

 

デイヴ:難しいな。うーん、そうだな、ビートルズの『Magical Mystery Tour』は入れない訳にはいかない。これが多分No.1。ローリング・ストーンズの『Goat Head Soup』。3つ目は、クイーンの『A Night at the Opera』。これはオールタイムのお気に入り。メタルとなると、『Master of Puppets』。ブラック・サバスの『Sabbath Bloody Sabbath』。それからジューダス・プリーストの『Screaming for Vengeance』。

 

— では、影響を受けたシンガーは誰でしょう。

 

デイヴ:それは簡単。若い頃影響を受けたのはビートルズ。俺が歌うようになったきっかけだよ。フレディ・マーキュリー、イアン・ギラン、ロニー・ジェイムズ・ディオ、ロブ・ハルフォード、あとオジーからの影響も大きい。彼の、例えば『Sabbath Bloody Sabbath』でのヴォーカルは、信じられないくらい素晴らしいよ。クレイジーな話ばかりが先行して、ヴォーカリストとしての実力はあまり評価されていないようだけど、彼がブラック・サバスで聞かせたヴォーカルのいくつかは本当に素晴らしいものさ。それからデイヴィッド・リー・ロスは、見た中で一番のフロントマンだ。当時彼はお客さんの心を掴むのがうまくてね。彼を見るたびに、「オーマイゴッド、彼が会場を破壊しろと命じたら、みんな従うだろうな」なんて思ったものさ。そのくらい凄まじかった。このあたりが俺のお気に入りのヴォーカリストだね。

 

— では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。

 

デイヴ:また日本に行くのが待ちきれない。ニュー・アルバムを気に入ってくれるといいな。日本のファンは最高だよ。日本でもっとゆっくり過ごしたいから、ぜひまた日本に行きたいね。ヒーゼンをサポートして、日本に来て欲しいと大きな声をあげてくれ。

 

文 川嶋未来

 

▶︎クラーゲン・ラム(ギター) インタビューはこちら

 


 

 

2020年9月18日 世界同時発売

ヒーゼン

『エンパイア・オブ・ザ・ブラインド』

CD

直筆サインカード付 Tシャツ+CD

【CD収録曲】

  1. ディス・ロッティング・スフィア(インストゥルメンタル)
  2. ザ・ブライト
  3. エンパイア・オブ・ザ・ブラインド
  4. デッド・アンド・ゴーン
  5. サン・イン・マイ・ハンド
  6. ブラッド・トゥ・ビー・レット
  7. イン・ブラック
  8. シュライン・オブ・アパシー
  9. ディヴァー
  10. ア・ファイン・レッド・ミスト(インストゥルメンタル)
  11. ザ・ゴッズ・ディヴァイド
  12. モニュメント・トゥ・ルーイン(インストゥルメンタル)

 

【メンバー】
デヴィッド・ホワイト(ヴォーカル)
リー・アルタス(ギター)
クラーゲン・ラム(ギター)
ジェイソン・ミルザ(ベース)
ジム・デマリア(ドラムス)

【ゲスト・ミュージシャン】
ゲイリー・ホルト(ギター) [エクソダス]

リック・ヒューノルト(ギター) [元エクソダス]

ダグ・ピアシー(ギター) [元ヒーゼン]