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ボビー“ブリッツ”エルズワース
独占インタビュー
[BPMD]

俺たち4人それぞれの存在感が
このプロジェクトの仕上がりの
Xファクターになったのさ

RELEASE INFO

文:川嶋未来

マーク・メンギ、ボビー・ブリッツ、フィル・デンメル、そしてマイク・ポートノイ。メタル界の重鎮たちが集まって70年代ハードロックのカバーを聴かせるという贅沢すぎるバンド、BPMDがデビュー・アルバムをリリース。ということで、ボビー・ブリッツとフィル・デンメルの2人に話を聞いてみた。

 

 

— そちらの状況はいかがですか。

 

ボビー:まあ、他の場所と状況は同じだよ。ロックダウン。ニュージャージーはアメリカの中で2番目に状況が悪いんだ。一番はニューヨーク。ニューヨーク・エリアは特に感染が多い。だけど、こんな特殊な状況下でも、人々は不屈の精神を見せているよ。ほとんどの人は正しいことをやっているのさ。人生は相変わらず続いていて、曲も書いて、家で仕事をして。俺たちは変化を模索しているのさ。

 

— いつ終わるのかがわからないのが怖いですよね。

 

ボビー:その通りだね。俺も他のアメリカ人、アジア人、ヨーロッパ人と同じように、早く家から出たいと思ってるよ。

 

— ではインタビューを始めましょう。そもそもカバー・バンドをやろうというのは誰の発案だったのですか。

 

ボビー:マーク・メンギだよ。去年の夏、裏庭でバーベキューをやっていたんだと思う。そこで彼の8歳の息子がかかっていた音楽を聴いていて、「パパ、この曲をカバーしてよ」って。それがレイナード・スキナードの「Saturday Night Special」だったんだ。「いや、これはメタルじゃないから」と答えたらしいんだけど、「それでもカバーして」って言われたらしく、ビールをもう何本か飲んで考えた後、俺に電話をかけてきたという訳さ(笑)。「それはいいアイデアだね。俺は70年代の音楽をよく知ってるから、ぜひやりたい」と答えたよ。面白いからやってみようか、っていう感じだったのさ。メンギの息子の言葉がきっかけでね。

 

— メンバーはどうやって選んだのですか。

 

ボビー:それは簡単だったよ。マークと話をして、俺がゲスト参加したメタル・アリージェンスの曲ではマークとポートノイがケミストリーを生んでいたし、フィル・デンメルもメタル・アリージェンスに参加していたしね。マイクを選ぶのにまったく頭を悩ませる必要はなかった。彼はプログレッシヴなドラマーというだけでなく、ロックンロール・ドラマー、スラッシュ・ドラマー、ヘヴィメタル・ドラマーでもある。今回異なったバックグラウンドを持つミュージシャンと一緒にやれて、とてもエキサイティングだったよ。DNAは違うけど、同じものが好きというのは非常にクールなことだったと思う。

 

— バンド名は、メンバーの頭文字をとったものだけと随分シンプルですが。

 

ボビー:70年代風だということだよ。当時のやり方ですべてを発想しようというアイデアだったからね。例えばクロスビー、スティルス&ナッシュ。あとはELO。ELOは違うか。

 

— EL&Pですね。

 

ボビー:そうそう、エマーソン・レイク・アンド・パーマー。そういう発想方法。アートワークももちろんだけど、現代から俺が育った70年代へとタイムスリップするというのかな。まあ、マイク・メンギは俺よりも20歳若いから、70年代の音楽は好きだけど、リアルタイムでは体験していないけどね。

 

— 曲はどうやって選んだのですか。70年代、アメリカ限定としたのはなぜでしょう。

 

ボビー:テーマが必要だったからね。もともとは、ただ何か面白いことをやろうということだったのだけど、テーマが決まれば、1つ前の質問で答えたみたいなマインドセットができあがるから。特別のヴァイブが欲しかったら、こういうやり方が一番なんだ。70年代限定。アメリカのバンド限定。有名な曲だけではダメ。選んだバンドの中からいくつかマイナーなものも取り上げる。曲を選ぶのは簡単だったよ。各メンバーが2曲ずつピックアップして、残り2曲をみんなで選んで合計10曲にしたんだ。

 

— あなたはマウンテンとカクタスを選んだんですよね。

 

ボビー:その通り。

 

— やはりこのあたりはあなたのルーツなのですか。

 

ボビー:こういうバンドには魅かれたものだよ。当時コロンビア・レコード・ハウスというレコード・クラブがあってね。さまざまな音楽のレコード12枚を、1セントだったか10セントだったかで買えるというものだった。ただし、もう12枚、正規の値段で購入しなくてはいけないのだけど。それで俺はとにかくヘヴィなものを聴きまくった。「ヘヴィ・ロックンロール」とか「ハードロック」と書いてあるものをね。それでマウンテンの「Climbing!」を手に入れたんだよ。メインの曲は「Mississippi Queen」だった。ラジオでヒットもしてね。以前オーヴァーキルで、D.D.ヴァーニが「マウンテンの『Never in My Life』をやろう」と言っていたことがあったんだ。この曲も知っていたよ。子供の頃よくシャワーを浴びながら歌っていたから(笑)。結局オーヴァーキルではこのカバーは実現しなかったんだけど、今回この曲が頭に浮かんでね。マークに「『Never in My Life』をやろう」と言ったら、「また随分と渋いところを」って。それが今回のコンセプトの1つでもあったからね。有名ではないけどキラー・チューン。

 

— 最初に聴いたヘヴィなバンドは何だったか覚えていますか。

 

ボビー:オー・ボーイ、最初に聴いたのは、おそらくキッスの『Alive』だったんじゃないかな。レコードを持っていたよ。子供の頃に聴いたものというのは、ミュージシャンであるかそうでないかにかかわらず、一生ついて回るものだろ。『Alive』は俺にロックンロールのヘヴィなサイドを教えてくれた作品だったね。

 

— これらのバンドをまず聴いて、その後パンクを体験するわけですよね。

 

ボビー:そうだよ。70年代終わりにパンクが大ブームになってね。当時大学生だったのだけど、とてもパンクにハマった。

 

— あなたは育ちもニュージャージーですか。

 

ボビー:いや、実は育ったのはニュージャージーに近いニューヨークなんだ。ニュージャージーで生まれてニューヨークで育って、それからオーヴァーキルを始めてまたニュージャージーに戻ったんだ。今はもうニュージャージーに35年住んでるよ。

 

— 当時ニューヨークではライヴを色々見ましたか。CBGBなどで。

 

ボビー:CBGB、マックスズ・カンザス・シティ、マッド・クラブ。高校を卒業したあと、ニューヨークのマンハッタン・カレッジという大学に行くことにしたのだけど、理由の1つはニューヨークの音楽シーンは非常に活気があったということ。ラモーンズが出てきて、デッド・ボーイズがニューヨークに移ってきて、ブロンディはビッグになりつつあったけど、まだ気持ちはパンク・バンドで、他にもトーキング・ヘッズやハートブレイカーズ、ニューヨーク・ドールズなんかがいた。ニューヨークの大学に行けば、地下鉄で簡単にライヴを見に行くことができたからね。当時のシーンを体験できたというのはとてもクールなことだったよ。

 

— これらのバンドのライヴはすべて見たのですか。

 

ボビー:ほとんどは見たよ。もちろんラモーンズは数え切れないほど見たし、ニューヨーク・ドールズもハートブレイカーズも見た。街中でデボラ・ハリーとすれ違って心臓が止まりそうになったこともあった(大爆笑)。俺も若かったからね(爆笑)。

 

— カバーへのアプローチというと、オリジナルに忠実に行くか、あるいは解体して自分のやり方で再構築するかの2通りのやり方があると思います。あなたはどちらのアプローチでいったのでしょう。

 

ボビー:俺たちがやったのは第3のアプローチだと思うよ。4人のメンバーが集まってケミストリーを起こす。それぞれのメンバーが違ったものを持ち込んでね。例えば俺とフィルは、少しスラッシュなエッジを持ち込んだ。マークはヘヴィメタル・ガイだけど、指弾きだからトラディショナルなベース・プレイヤーでもある。マイク・ボートノイはマルチな才能があって、彼はあらゆる種類のヘヴィな音楽だけでなく、ジャズやプログレッシヴなものもプレイする。だから、俺たちはみんな違った構成要素と言うのかな。俺たちがやったのは、自分たちが持っているものは持ち込むけど、曲の核心は変えないという方法。だから、解体するわけでも、完コピするわけでもなく、その中間、その両方という感じさ。曲の核心をそのままにするというのは俺にとって重要なことだったけど、俺たち4人それぞれの存在感がこのプロジェクトの仕上がりのXファクターになったのさ。

 

— ヴォーカリストとして一番難しかったのはどんなところでしょう。

 

ボビー:俺にとって一番難しかったのは、おそらくヴァン・ヘイレンの「D.O.A.」だね。これはフィル・デンメルが選んだのだけど、デイヴ・リー・ロスをうまく表現できなくてね。マウンテンやグランドファンク、カクタスのシンガーなどは、俺は表現できるタイプなのだけど、デイヴ・リー・ロスは難しかった。理由はシンプルなんだ。デイヴ・リー・ロスみたいなシンガーは彼一人しかいないだろ。彼は彼自身のやり方、歌い方でやっていて、それを発展させたわけだから。この曲の核心を掴むのは大変だったよ。

 

— 結局「D.O.A.」は満足いく仕上がりになったのでしょうか。

 

ボビー:このプロジェクトのポイントは、とにかく楽しむこと。自分たちを2019年から1970年代へと送り込むことだった。そういうマインドセット。みんなでスタジオに入ってジャムをして楽しむ。俺の場合、常に最高の達成感というのは、挑戦をすることによって得られるんだ。オーヴァーキルであれBMPDであれ、俺が誇りに思っていることは、常に挑戦をしてきたこと。そして、「D.O.A.」は挑戦だった。仕上がりには最高に満足しているよ。

 

— BPMDの今後の予定はどうなっていますか。もちろん本来はフェスティヴァルへの出演を予定していたのだと思いますが。

 

ボビー:何しろ世界がこんな状況だからね。近所では仕事を失った人もいるし、リモートで働いている人もいる。これが世界中で起こっているんだから。もちろんもともとは、いくつかフェスティヴァルに参加したり、ヘッドライナーとしてスペシャルなショウなどをやる予定だった。他のプロジェクトの活動を妨げない程度にね。このアルバムが完成する前から、「Made in the UK 1970s」、「Made in EU 1970s」、当時はEUじゃなかったけどね、「Made in the World 1970s」みたいなのも作れるんじゃないかって話していたんだ。だから、このプロジェクトでやれることは色々あると思う。コンセプトは1970年代の音楽、NWOBHMへと橋渡しをした音楽。イギリスで考えれば、ステイタス・クォー、初期のフリート・ウッドマック、それからディープ・パープル。ドイツならスコーピオンズ。色々考えられるだろ。だからセカンド・アルバムもやると思う。ただどこの国がテーマになるかまだわからないけどね。

 

— なるほど。ワンショットのプロジェクトではなく、セカンド・アルバムも予定されているんですね。

 

ボビー:ないとは言えないよ。俺自身はやりたいし。ナパーム・レコードはこのアイデアをとても気に入ってくれてるみたいだし。俺とマークで(ナパームの社長の)トーマスにプレゼンテーションしたんだ。これは1枚だけで終わりのプロジェクトじゃないって。この先に広がって行くプランがあるということを、トーマスは気に入ってくれたんだと思う。

 

— 好きなヴォーカリスト、影響を受けたヴォーカリストというとどのあたりですか。

 

ボビー:さまざまな理由でたくさん好きなヴォーカリストはいるのだけど、ハーロドック、ヘヴィメタル界でとなるとイアン・ギランだね。俺の声のクオリティの高さ、あるいは低さという意味で言うと、ロブ・ハルフォードから多くのことを学んだ。彼の爆発力。メロディックさ、すぐに彼とわかる声質がその特徴で、それをスクリームで爆発させる。あのやり方にはとても影響を受けたよ。フロントマンとしては、そうだな、俺が見た中で最高のフロントマンだと思ったのは、15歳のときに初めて見たコンサートだったのだけど、フレディ・マーキュリーだね。初めてのガールフレンドが欲しい、初めての車が欲しいなんて思っていた15歳の少年が見た初めてのコンサート、クイーンの『Sheer Heart Attack』のツアーだったのだけど、俺の口は90分間開きっぱなしだったよ(笑)。このシンガーが持っているものがすべて欲しいと思った。その気持ちは今でも持っている。もちろんフレディと自分を比べているわけじゃないよ。あくまで影響という意味でね。彼のカリスマ性、自信が彼のメロディ、そして才能と混ざったものには圧倒されたよ。

 

— 70年代のハードロックでお気に入りの3枚を教えてください。

 

ボビー:70年代で3枚か。オーケー。1枚目はちょっと変なやつを。これはライヴで、ルー・リードの『Rock n Roll Animal』。このアルバムは大好きなんだ。俺にとってダーティな魅力となっているのが、これには(スティーヴ)ハンターと(ディック)ワーグナーという2人のセッション・ギタリストが参加しているのだけど、この2人がこれまで聴いた中で最高のライヴ・イントロをやっているんだよ。「Sweet Jane」へとつながるイントロ。70年代のハードロック・アルバムとしてはこれを最初に挙げたいね。それからアリス・クーパーの『Killer』。アリス・クーパーは当時俺にとって特別な存在だった。俺は日曜日には教会に行く家庭で育ったからね。このレコードはベッドの下に隠しておかなくちゃいけなかったよ(笑)。曲名も曲名だし、あのメイクだろ。3枚目はやっぱりキッスの『Alive』。俺はもともとライヴ作品が好きだし、この作品は画期的で、ロックンロールの世界を変えたわけだし。

 

— オーヴァーキルは現在ニュー・アルバムに向けて曲を書いているという記事を読みました。

 

ボビー:書いているよ。ロックダウンだけど、逆にこの時期を利用してね。みんなそれぞれの家にいるから、デモのやり取りなんかをしている。今年中には仕上げて、来年にはリリースしたいね。

 

— では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。

 

ボビー:レコードを楽しんでくれ。Stay safe 。オーヴァーキル、それにもしかしたらBPMDでも日本に行けることを期待しているよ。

 

文 川嶋未来

 

▶︎フィル・デンメル インタビューはこちら

 


 

 

2020年6月12日 世界同時発売

BPMD

『アメリカン・メイド』

直筆サインカード付CD

CD

【CD収録曲】

  1. 俺のプーンタン (テッド・ニュージェント カヴァー)
  2. 闇夜のヘヴィ・ロック (エアロスミス カヴァー)
  3. イーヴル (カクタス カヴァー)
  4. ビール・ドリンカーとヘル・レイザー (ZZトップ カヴァー)
  5. サタデイ・ナイト・スペシャル (レイナード・スキナード カヴァー)
  6. 吸血鬼 (ブルー・オイスター・カルト カヴァー)
  7. 生か死か (ヴァン・ヘイレン カヴァー)
  8. ウォーク・アウェイ (ジェイムス・ギャング カヴァー)
  9. 君がすべて (マウンテン カヴァー)
  10. アメリカン・バンド (グランド・ファンク カヴァー)

 

【メンバー】
ボビー“ブリッツ”エルズワース(ヴォーカル/オーヴァーキル)
マイク・ポートノイ(ドラムス/元ドリーム・シアター, ワイナリー・ドッグス)
マーク・メンギー(ベース/メタル・アリージェンス)
フィル・デンメル(ギター/ヴァイオレンス, 元マシーン・ヘッド)