BorknagarやSolefaldでの活躍も知られるノルウェーのマルチ・プレイヤー、ラーシュ・ネドランによる新バンド、ホワイト・ヴォイドがデビュー・アルバムをリリース。ドラムはイーシャン(元エンペラー)のバックバンドとして来日もしているトビアス・オイモ・ソルバック。そこにブルース系のギタリストとエレクトロ系のベーシストが加わって出来上がったのは、70年代のオカルト・ロック、80年代のニューウェイヴから影響を受けたハードロックという、実にオリジナリティあふれたもの。
ラーシュに色々と話を聞いてみた。
ー ホワイト・ヴォイドを結成したきっかけはどのようなものだったのでしょう。
ラーシュ:そうだね、きっかけは音楽自体だったんだ。俺は曲を作る時に、決して自分のやっているバンドのために書くわけじゃない。ただ座って曲を書くだけ。そして自然とこれはSolefald用、これはBorknagar用と決まる場合もあるのだけど、どのバンドにもぴったりと来ない曲がで出来てきた。それらの曲はどれも共通のフレームワークを持っていて、70年代のオカルトロックの要素を少々、そして80年代のイギリスのニューウェイヴ・ムーヴメントの要素を少々持っていたんだ。それに気づいた時に、このスタイルに特化したものを始めようと思ったのさ。このスタイルの曲がいくつも出来ていたから。それでこういう曲を書き続けて、その時だね、ホワイト・ヴォイドというバンドを始めようと考えたのは。コンセプト的には、俺は大人になってからずっと哲学に興味を持っていたということもあり、これをいずれコンセプト的に弄びたいと考えていたのだけれど、どこで使えばよくわからなかったんだ。実存主義、不条理主義、そして虚無主義の3つ、つまりジャン=ポール・サルトル、アルベール・カミュ、フリードリヒ・ニーチェの3人。これらを音楽に混ぜようと思っていてね。それをホワイト・ヴォイドに混ぜ合わせたんだ。
ー メンバーはどうやって選んだのですか。イーシャンのバックバンドにもいたトビアスはわかりますが、エイヴィンはブルースのギタリスト、ヴェガールはエレクトロのミュージシャンなのですよね。
ラーシュ:まず、いわゆるメタル・ミュージシャンは選びたくないというのがあった。ホワイト・ヴォイドをいわゆるヘヴィメタル・バンドにしたくはなかったから。もっとハードロックにしたくて、ハードロックはギターの使い方が伝統的なブルースに近いよね。それで、ギタリストのエイヴィンは一番最初に決めたメンバーだった。最初にデモを作って、ギターも俺が弾いていたのだけれど、俺はギターがあまり上手くない。ギターはメインの楽器ではないから、ベーシックなリフは自分で弾いたけれど、装飾やソロ、メロディなんかはきちんとしたギタリストに弾いてもらう必要があった。エイヴィンは、俺のリフを彼のブルージーなスタイルに「翻訳」してくれたのさ。とてもうまく行ったよ。次にトビアスを選んだ。人々は彼をイーシャンのドラマーとして認識しているだろうけれど、実は彼のバックグラウンドはまったくメタルではなく、ジャズなんだ。大学でドラムを学んだのさ。ジャズとフュージョンの。彼にはオールドスクールな、とても小さいドラムキットで、バスドラも1つみたいな、とても限られた機材から最大のプレイを引き出してもらいたかった。ジョン・ボーナムがレッド・ツェッペリンでやっていたように。彼と最初に話した時に「メタル・バンドでプレイしているのは知っているけれど、メタルではなく君のドラマーとしての別の面が必要なんだ」と伝えた。ヴェガールは、トビアスと同じ大学でベースを学んでいた。俺たちがスタジオでドラムのレコーディングをしている時に、彼もやって来て、俺たちのやっていることを気に入ったようだった。彼はベースプレイヤーで、俺はベースプレイヤーを必要としていて、彼のバックグラウンドにメタルはなくて、だからとても興味深いと思ったんだ。違ったバックグラウンドを持った人たちを入れてバンドをやるというのはとても面白いと思ったのさ。Solefardでも、違ったやり方だけれどもそうやっているし。きっとSighも同じだろう?違った人たちが違ったアイデアを持って集まって、音楽を作るんだ。それで試しにベースを弾いてもらったら、とても素晴らしくて。こうやってバンドになったのさ。
ー ホワイト・ヴォイドというバンド名にはどのような意味が込められているのでしょう。
ラーシュ:長い答えになるよ(笑)。コンセプトと関係のあるものだから、まず哲学の話から始めよう。不条理主義、実存主義、虚無主義に興味を持ったのは、このいずれもが同じポイント、同じ哲学的問題を出発点にしているから。その問題とは、不条理、すなわち人間が存在するにあたって必要とするもの、つまり人生の意味やゴール、進むべき道と、実際にはこの世界には何の意味も方向性がないということとの隔たりなんだ。この世に投げ込まれると、世界はただ「楽しんでね!」と言うだけ。何の方向性もゴールも示してくれない。人間として必要なものと、世界が与えてくれるものには隔たりがあって、それが不条理なのさ。俺は常にこの不条理は、人生における空虚だと考えてきた。人間はこの実存的空虚を埋めようと試みる。人生において何をすべきか、どこへ向かうべきかとね。一方の”black void”は非存在。俺たちはその黒い空虚から生まれた訳さ。生まれる前は黒い空虚にいて、死んだあとはそこへ帰る。ホワイト・ヴォイドというバンド名はそういう考えからつけられた。ファースト・アルバム『アンチ』では、カミュがこの問題をどう扱ったということを取り上げているよ。
― 先ほどオカルト・ロックやニューウェイヴを挙げていましたが、ホワイト・ヴォイドに影響を与えたアーティストを5つ挙げるとしたらどうなりますか。
ラーシュ:オカルト・ロック・サイドではコヴェン。ブルー・オイスター・カルトの初期の作品。これはオカルト・ロックではないけれど、ゴブリン。俺にとってはとても重要なバンド。ニューウェイヴだと、ニュー・モデル・アーミー。このバンドも俺にとって重要なバンドさ。デュラン・デュラン。サイモン・ル・ボンのヴォーカルが大好きなんだ。もう5つだけど、ニューウェイヴからもう1つ。ユーリズミックス。ヴォーカル・メロディだけでなく、音楽の雰囲気が好きなんだ。オカルト・ロックは俺の作る音楽のギターへのインスピレーションだけれど、メロディックな面に関しては、こういったニューウェイヴのアーティストに負うところが大きいね。
ー アルバムはメンバーみな別々に録音したのでしょうか。
ラーシュ:イエスでありノーでもある。トビアスは自分のスタジオを持っているので、俺がそこへ行って、ドラムを録音した。だけど、スタジオで全員で一緒にプレイをしてはいない。にもかかわらず、アルバムはとてもオーガニックになっている。音程の修正もしていないし、リズムも一切動かしていないんだ。ドラムもパンチインなどせず、1つのテイクで録った。だから、間違いとは言わないけれど、そういう自然なズレなどが感じられると思う。俺は完全にリズムを揃えるようなメタルのプロダクションにはウンザリなんだよ。まるでドラムマシンのような、コンピューターですべて完璧にタイミングを揃えるようなやり方。俺はそういう音楽を聴きたいとは思わない。古いプログレなんかを良く聴くけれど、大好きなアルバムの1つ、キング・クリムゾンの『Red』などを聴いていると、テンポや強弱は常に変化している。音楽が生き生きとしているんだよ。今回のアルバムも、そういう感じにしたかったんだ。テンポが変化して、楽器がお互いにやり取りをするようなね。それぞれの楽器は別々に録音したけれど、タイミングを修正したりはしなかったのさ。他のバンドと違って、古いやり方をとりたかったんだ。
― あなたは広い音楽性を持っていて、ドラムやキーボードなど、さまざまな楽器も演奏します。音楽的バックグラウンドはどのようなものなのでしょう。
ラーシュ:父親が音楽ジャーナリストだったから、俺はとんでもない量のレコードがある家で育ったんだ。何千枚ものレコードがあった。俺はいつも音楽を聴いていて、父のレコードも自由に聴くことができた。だから、まだ小さい頃に音楽とはどういうものたりえるか、非常に広い考えを持っていた。ワールドミュージックからクラシック、パンク、プログレ、ポップ、ジャズに至るまですべて。9歳くらいでピアノを習い始めた。典型的な、親が子供に音楽の基礎を学ばせたいという動機でね。それが、ただのリスナーとパフォーマーとの橋渡しになったんだ。素晴らしい音を出すとはどういうことを学んだのさ。その後メタルと出会った。メタルは父が理解しないジャンルの1つだったんだよ(笑)。子供だったからね、親父が理解しないということは、俺が気にいるものに違いないと思って(笑)。子供は両親に反抗するものだろ。最初に気に入ったのは、確かW.A.S.P.だったと思う。10歳の頃で、主にあのイメージのおかげでね(笑)。生肉や血、ノコギリとか。そしてスラッシュからデス・メタルにハマって、それからブラック・メタルが出てきて。そのうちに何か新しい楽器を始めようと思った。俺が聴いていたバンドには、キーボードがほとんど入っていなかったから。それで自分でドラムキットを買って、叩き始めた。13歳か14歳の頃。それがメタルのパフォーマーとしての最初で、作品を出すようになる大分前からドラムはプレイしていたんだ。初めて出した作品は、Solefaldのデモで、あれは95年かな。(注:96年)その後またキーボードもプレイするようになった。ブラック・メタルのドライヴが欲しかったから。メロディックなシンフォニックな面でね。そこからボールが転がり始めたというか、俺の中にはリズミックなサイドとメロディックなサイドの2つ面があるんだ。ヴォーカルをやるようになったのは、やるしかなかったというか、Solefaldでパートナーのコーネリアスがシャウトはできるけど、普通には歌えないんだよ。音程を保持できない(笑)。それで俺が歌うことになったんだ。
― 今回はカミュを取り上げましたが、今後ニーチェやサルトルについてのアルバムを作るのですか。
ラーシュ:今後も哲学について書いていくことは間違いないと思っている。ホワイト・ヴォイド用の新曲はすでにたくさんあるのだけれど、コンセプトについてはまだ考えているところ。次のアルバムについても、コンセプトを持ったものになるだろう。メタルやハードロックのオーディエンスには、インテリジェントな人間も多い。ツアーに行くと、君もわかると思うけど、こういう音楽をやっていると、インテリジェントな人間に会うことが度々ある。今回のアルバムや次の作品で俺の書いた歌詞は、そういうファンが興味を持って深掘りをすれば、何かを得られることは間違いない。同時に、音楽の性質的にはメロディックでわりととっつきやすいもので、誰でも楽しめるものになっているから、すべての人がコンセプトに興味を持つとは思わないけれど。次もコンセプト・アルバムで、やはりさっきあげた3つの思想のどれかと関係あるものになるだろうね。今回カミュを取り上げたのは、俺にとって不条理主義というのは不条理に対する最も真摯でエレガントな解決法だから。同時にニーチェによる不条理への残酷なアプローチも楽しんでいるけれどね。彼のやり方にも正直さというものがある。次のコンセプトはニーチェかもしれないな。
ー カミュなどの思想に強く惹かれた理由は何なのでしょう。年齢を重ねてきたからなのでしょうか。
ラーシュ:そうではないと思う。もう20年くらい興味を持っているからね。哲学や思想、そのプロセスに興味があるんだ。カミュについては特にこの4年くらい強い興味を持っていて、可能性はあるけれど、年齢には関係ないにしても、経験とはある意味関連があるかもしれない。自分の人生を離れて客観的に見られるようになるには、ある程度の経験が必要だろうから。実際の年齢というより、人生における経験というものが影響をしたということはあるだろう。俺は死への恐怖は無いんだ。終わりに対する恐怖は無い。年齢を重ねてくると、終わりというものを意識するようになり、多くの人はその終わりを恐れる。俺にはそれがなかったんだ。複雑な問題だけれどね。
― 「ジス・アポカリプス・イズ・フォー・ユー」に「人生が何なのかがわかる頃には人生はほとんど終わり」というフレーズがありますが、まさに最近そう感じるんですよ。
ラーシュ:そうなんだよ(笑)。それこそが不条理なのさ。色々と経験を重ねて人生の要領がわかってきたところで、「はい時間です」と言われるんだからさ(笑)。
ー アートワークは何を表しているのでしょう。ジェレミー・ゲディーズというアーティストの作品なのですよね。
ラーシュ:そう、ニュージランドのアーティストで、これは油絵なんだ。コンピューターを使って作ったものは、アルバムのカバーに使いたくなかったから。音楽のオーガニックなアプローチと関係しているよ。俺はとても絵にも興味があって、ツアーに行くと、その町にどんなギャラリーがあるかを調べるようにしている。ここ10年くらい、ジェレミー・ゲディーズの絵にとても興味があってね。自然主義的な絵を描いていて、不条理なシチュエーションの絵も多く描いている。たいていは、このカバーのように宇宙飛行士が出てくるんだ。これは『Adrift』というタイトルで、宇宙飛行士のシリーズの中の1枚。宇宙飛行士が不条理なシチュエーションにいるというコンセプトの絵なんだ。「間違った」ものと宇宙飛行士の組み合わせというのかな。宇宙飛行士が普通の街中にいて、彼だけが無重力状態だったりとか。これに不条理の問題へのつながりを感じたのさ。『Adrift』はとてもシンプルで、宇宙飛行士と鳩しか描かれていない。しかし、よく見ると鳩は翼を使って飛んでいて、無重力状態にはいないにもかかわらず、宇宙飛行士は無重力状態。背景もまったくないから、どんなシチュエーションにもはまらないようなものになっている。間違った組み合わせと存在の不条理、それに直面しようとする人々にどんな影響を与えるのかということ。毎日仕事場に通い帰って来て、夕食をとり、本を読んで寝る。そこから視線を上げてみれば、それはシステムでもなんでもなく、自分で人生の制限を作り出しているだけということがわかる。これも人生における不条理の1つさ。
ー コロナの収束後は、ホワイト・ヴォイドもツアーをやるのでしょうか。
ラーシュ:まず強調したいのは、ホワイト・ヴォイドはプロジェクトではなく、きちんとしたバンドだということ。もうすでに次のアルバムの曲も書いているし、色々と予定はある。ライヴに関しては、Borknagarと同じブッキング・エージェントに所属しているので、間違いなくやる。でもおそらく来年以降になるだろうね。去年の予定がすべて今年に延期されたから、すでにスケジュールがいっぱいなんだ。11月、12月にBorknagarのヨーロッパ・ツアーがあって、と言うか何しろこんな状況だからね、「あればいいな」という感じではあるのだけど(笑)、ホワイト・ヴォイドもそのツアーに参加できないか画策しているところさ。まずホワイト・ヴォイドがプレイして、その後Borknagarみたいな感じで。それがダメでも、来年には必ずツアーをやるよ。
― お気に入りのアルバムを3枚教えてください。
ラーシュ:難しいな。一番はキング・クリムゾンの『Red』。あれはどのアルバムよりも好き。あと2枚か。難しいな。ブラック・メタルのお気に入りということであれば、エンペラーの最初のEP。「I am the Black Wizards」のオリジナルが入っているやつ。あれは本当に素晴らしい。ジャンルごとに1枚ずつ選ぶとすると、うーん、色々聴くからなあ。プログレとブラック・メタルは選んだから、ニューウェイヴかエレクトロニックにしよう。本当に難しいよ(笑)。そうだ、エレクトロニックだとVenetian Snaresの『Rossz Csillag Alatt Született』。ハンガリーのアーティストさ。
― 90年代初頭、教会放火の事件当時、もうすでにブラック・メタルは聞いていたのですか。当時はどんな感じだったのでしょう。
ラーシュ:奇妙だったよ。俺はまだ若かったから、シーンの中心にはいなかった。俺と同じくらいの年齢でも、中心にいた人たちはいたけれど、俺はそこまでではなかった。まだ13歳か14歳だったよ。テープトレードもやっていたから、直接の知り合いもいて、とにかく奇妙だった。ブラック・メタルという音楽の激しさは最初から大好きだったけれど、手に負えないようなことになったのはクレイジーだったね。教会放火とか。おそらく君もそうだっただろうけれど、メディアが知るよりもずっと前から、誰がどの教会を焼いたか知っていたし。彼らの「コンセプト」、「哲学」的部分には共鳴できなかったというか、そもそもノルウェーの社会に深く浸透しているキリスト教という宗教への反逆以外にきちんとした哲学があったかは疑問だけれど。ノルウェーはとても寛容的な民主主義の国だからさ。振り返ってみると、多くは若さゆえの無知に始まったことで、ボールが転がり始めるとそれを止められなくなってしまったということなんじゃないかな。ブラック・メタルに参加しているミュージシャンとしては、俺は明らかに第2世代で、エンペラーやバーズム、ダークスローンよりも後、95年くらいからプレイし始めたから、当時はあくまで傍観者という感じだったんだ。
― Solefaldの方の活動はいかがでしょう。
ラーシュ:今、新しい曲を書いているところだよ。Solefaldは奇妙な生き物だからね、曲を書くのは非常に複雑なプロセスになる(笑)。色んなものを取り込むから。時間がかかるんだよ。リフや曲の骨格は出来上がっているけれど、レコーディングまでにはまだ時間がかかる。今年曲を書き上げて、1年後くらいにレコーディングしたいね。
― では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。
ラーシュ:Solefaldのツアーの際、俺は日本に行けなかったんだ。代わりに弟が俺のヴォーカルをやった。声が似ているからね。俺は仕事と子供達の関係で行くことができなかったんだよ。日本や日本の文化にはずっと惹かれていて、行ったことがない国の中で一番行ってみたいんだ。パンデミックが終わったら、まず日本に行きたいね。音楽や文学といった日本の文化が西洋の文化にどう影響を与えたのかにとても興味があって、本当に日本に行ってみたいんだよ。「いつ日本に来てくれるのですか」という問い合わせもよくもらうしね。早くみんなに会いたい。
文 川嶋未来