WARD LIVE MEDIA PORTAL

ピーター(ヴェイダー)
独占インタビュー

"off the abyss"とか"from the abyss"(深淵から)
という意味さ
テーマ的には俺たちはブラック・メタルだったし
ラヴクラフトとかも大好きだったし
もっと成熟した内容になっていたけれどね

                                   

ご購入はこちら

文:川嶋未来 Photos by Tomek Malinowski

ポーランドを代表するデス・メタル・バンド、ベイダー。95年にリリースされたセカンド・アルバム『デ・プロファンディス』が再発になるということで、リーダーのピーターに色々と話を聞いてみた。

 

 

ー コロナの状況はいかがですか。(2021年5月20日現在)

 

ピーター:だいぶ普通に戻ってきているよ。高齢者の60%がワクチン接種を終わっているし、ポーランド人はロックダウンとかに従うのに向いていないかもしれないけれど、状況は悪くないよ。ワクチンのおかげさ。先週から外のレストランは開いているし、ワクチンの効果がどんなものか見ているのだと思う。7月にはライヴの予定もあるよ。

 

― このタイミングで『デ・プロファンディス』を再発したのは何故ですか。

 

ピーター:もともとのアイデアは『デ・プロファンディス』をLPで再発するというものだったんだ。このアルバムがベイダーの一番の作品だと言ってくれるファンもいるのに、これまでLPで発売されたことは無かった。今LPはまた盛り上がっているからね。これがリリースされた95年にはLPは時代遅れになっていて、何もかもCDになっていた。だから、このアルバムをLPという俺にとっての魔法のフォーマット(笑)でリリースするのは良いタイミングだと思ったんだ。ニュークリア・ブラストが再発に興味があるということだったし。

 

ー リマスターされているんですよね。

 

ピーター:イエスでありノーでもある。なるべくオリジナルのサウンドに忠実にしたかったんだ。『デ・プロファンディス』はLPでリリースされたことがなかったから、アナログのフィーリングを加えたくて、一度アナログのテープに全部入れ直した。100%アナログという訳には行かなくて、というのは誰もオリジナルのテープを持っていなくて、だからオリジナルのCDしかソースが無かったのだけど、テープを使ってマスタリングしたからね。アナログのフィーリングは加わっていると思うよ。

 

― 『デ・プロファンディス』はセカンド・アルバムですが、ファーストの『The Ultimate Incantation』と比べた場合、どんな点が進化していると言えるでしょう。

 

ピーター:進化というのはバンドが決めることではないのだろうけれど、これはセカンド・アルバムだったから、音楽的にも進化しているし、バンドとして経験も積んだからね。ファーストとセカンドでは目に見える進歩があると思うよ。ファースト・アルバムをリリースするまでに、結成から10年くらいかかった。ファースト・アルバムに入っている曲を書き始めてから数えても5年かかっている。『The Ultimate Incantation』に入っている曲は、実際にレコーディングされる5-6年前に書かれていて、アルバムの半分くらいが1年から1年半くらい前に書かれたものだった。一方『デ・プロファンディス』は『The Ultimate Incantation』の1年後くらいに書いたからね。そういう意味でもっとフレッシュな作品だったと言える。バンドとしても経験を積んでいたし、曲の構成や作曲にも進歩が感じられると思う。それに『デ・プロファンディス』の曲は、それ以前、あるいはそれ以降のスタイルに比べると、テクニカルなものになっていると言える。『デ・プロファンディス』はファースト・アルバムからのステップアップではあるけれど、『Black to the Blind』や『Litany』のようなスタイルにはまだ達していない作品さ。

 

 

 

ー ファーストは92年、セカンドは95年と、当時としてはわりと間が空いていますが、これは何故だったのでしょう。

 

ピーター:『The Ultimate Incantation』は92年の終わりに出たということになっているけれど、実際はほとんど93年の初めだったんだ。その後1年半はアルバムのプロモーションのためにツアーをやっていたからね。それからイヤーエイクを離脱したということもあった。俺たちはまだ鉄のカーテンの向こうにいたようなものだったから、プロフェッショナルなレコード会社と普通にコミュニケーションするのすら大変だったんだ。まず当時のポーランドでは、パスポートをとることすら容易ではなかった。バンドのメンバー誰もまともに英語も喋れなかったから、インタビューすらできなかったんだ。それに電話をかけるだけでも一苦労で、近くのホテルまで行かなくてはいけなかったのさ(笑)。当然携帯なんて無かったし、家に電話なんて無かったんだ。そういうロジスティックな問題で、イヤーエイクを離れたんだよ。彼らにしてみれば、スウェーデンのバンドとやっているみたいな普通のコミュニケーションができない訳だからね。それで新しいレーベルを見つけるのに少し時間がかかったというのもあった。だから94年に『Sothis』EPを出した。モダン・サウンド・スタジオと新しいスタジオをチェックする意味もあって、それからファースト・アルバムの後にフレッシュな曲を録音したいというのもあってね。

 

― 何故アルバム一枚だけでイヤーエイクを離れたのかを聞こうと思っていました。そんな理由だったんですね。

 

ピーター:普通にコミュニケーションできなかったからね(笑)。イヤーエイクが俺たちの音楽性を気に入らなかったとか、俺たちの人間性に問題があったとかじゃなくて、ただ単に現実の問題としてどうしようもなかったんだ。インタビューもできないし、なかなか海外に出られないバンドは、レーベルとしてもプロモーションしようが無かっただろうし。ボルト・スロウワーとヨーロッパを、ディーサイドとサフォケーションとアメリカツアーをやれたのは良かったけれど、この時もパスポートを取るのに本当に大変で、これも問題の一つだったのかもしれない(笑)。そういう時代だったんだ。

 

― 「デ・プロファンディス」というのはラテン語ですよね。どのような意味が込められているのでしょう。

 

ピーター:そう。”off the abyss”とか”from the abyss”(深淵から)という意味さ。テーマ的には俺たちはブラック・メタルだったし、ラヴクラフトとかも大好きだったし。もっと成熟した内容になっていたけれどね。

 

ー アートワークもラヴクラフト的ですが。

 

ピーター:そうだね。この時初めてウェス・ベンスコーターと一緒に仕事をしたのだけれど、とても美しいアートワークを描いてくれた。彼は後にこのアートワークは彼が描いた作品の中でもお気に入りだと言っていたよ。そういう点においてもこのアルバムを再発できて良かったよ。

 

 

― 歌詞は非常に深いものです。ラブクラフトからエノクなど、さまざまなトピックが取り上げられていますが。

 

ピーター:このアルバムと次の『Black to Blind』の歌詞の多くは、Pawel Wasilewski、俺たちは彼をエイドリアンと呼んでいたのだけど、彼が書いたんだ。残念ながら彼は自殺をしてしまったのだけれど。とても才能があって、だけど世間かはら離れて暮らしている奴だった。魔術とかに傾倒をしていて、だけど現実の社会で居場所を見つけられず、他の人とのつながりに苦労をしている感じだった。それでこの世を去ってしまったのだと思う。友人としてはとても穏やかで、何度か直接会ったこともあるのだけどね。最初のデモテープの頃から手紙のやりとりをしていて、「Final Massacre」と「Chaos」が、彼がベイダーのために書いた最初の歌詞だった。俺たちは本当にたくさんの手紙をやりとりして、インターネットも無かったからね、今もその手紙を持っているよ。それで感情や人生、魔術やラヴクラフトなんかについて話をしたよ。ラブクラフトはメインのテーマの1つではあったけれど、あくまで多くの中の1つだった。彼が書いた『Morbid Reich』、『デ・プロファンディス』、それから『Black to Blind』の歌詞を読めば、その内容がどんどんと深くなっていって、何について歌っているのかわからないものも出てくるのがわかるはず。だから、『デ・プロファンディス』では初めて歌詞の内容が何であるかの短い解説をつけた。歌詞全体を説明する訳ではなくて、ソースを示す感じでね。このアルバムでは3人が歌詞を書いていて、俺、エイドリアン、それから友人のPawel Frelicもこの時初めて歌詞を書いたんだ。彼は今アメリカ文学の教授で大学で教えているんだ。「サイレント・エンパイア」は初めて彼がベイダーのために書いた曲だった。

 

ー ベイダーの結成は1983年で正しいですか。

 

ピーター:そうだよ。

 

― そもそもヘヴィメタルを聴き始めたきっかけは何だったのでしょう。

 

ピーター:もちろん最初はファンとしてヘヴィメタルを聴くようになった。81年くらいにブラック・サバスやパープル、ヴァン・ヘイレン、モーターヘッド、サクソン、それから俺のずっとお気に入りのジューダス・プリーストなんかを聴くようになってね。ジューダス・プリーストのおかげで、ベイダーの最初のギタリスト、ヴィカと知り合いになったんだ。それでベイダーを始めた。83年頃はベイダーという名前だったけど、サバスやパープルのカバーをやったり、オリジナルもやってはいたけれど、まあただバンドをやってるというだけの感じだったな(笑)。

 

ピーター:ベイダーも最初は普通のヘヴィメタルを演奏していたのですか。

 

ピーター:エクストリームなものをやりたいとは思っていたんだけどね。スレイヤーやメタリカみたいなバンドは、ポーランドには遅れて入ってきたんだ。当時プリーストやサクソン、モーターヘッドなんかがエクストリームで、ああいうのや、あれ以上にエクストリームなことをやりたいと思っていた。それからスレイヤーの『Show No Mercy』なんかが出て、そうなってからはどんどんエクストリームになっていったんだよ。特にドラムがね。速く叩けるドラマーを探していて、ついにドックと出会ったんだ。今のベイダーという意味では、1988年がスタートさ。ドックが入って、新しいスタイルの曲を書き始めて。それで89年に『Necrolust』デモを出して、これが本当のベイダーの始まりではないけれど、今みんなが知っているベイダーが始まったのはこの時さ。ドックが入ってブラストビートを使って、俺がシンガーになって。結成当時は俺はギターだけを弾いていて、別のシンガーがポーランドで歌っていたんだ。88年にラインナップから音楽性から、すべてが変わったんだ。

 

― 人生を変えられたエクストリームな作品は何だったのでしょう。

 

ピーター:間違いなく『Show No Mercy』だよ。あとは『Sentence of Death』、『Endless Pain』、もちろんデストラクションとクリエイターのね。それからエクソダスやヴェノム。だけど、ヴェノムを好きになったのは、少し後になってからだった。最初はちょっとパンクすぎると思ったんだ。雰囲気は好きだったけれど、音楽的にはスレイヤーやポゼストみたいなものがやりたかった。もっとスラッシュで、音楽的にコントロールされているもの(笑)。ヴェノムというより速いプリーストを目指したかったのさ。

 

― 80年代のポーランドでは、これらのバンドの作品を見つけるのは大変でしたか。

 

ピーター:もちろん。だから友達同士でテープのダビングしていたんだ。テープをダビングしてもらうためだけに、わざわざポーランドの別の地域まで出かけたりね。そうやってプライベートで友達と会って、というかそうするしかなかったんだ。コンサートもフェスティバルもあまり無かったし。こういうアルバムを売っているお店なんて無かったんだ。フリーマーケットのようなところで手に入ることはあったのだけど、値段が凄くてね。例えばモータヘッドやブラック・サバス、サクソンなんかの新譜だと、1ヶ月分の給料くらいの値段だったんだ(笑)。他に特別なお店であって、そこではアメリカドルしか使えないんだ(笑)。国がアメリカドルを持っている国民からドルを得るために、贅沢品を売っていたんだよ。質の良いお酒とか、レコードとかね。だけどドルしか使えない(笑)。もうそんなお店は無いけれど。

 

ー デス・メタルを最初に聴いたのはいつでしたか。

 

ピーター:まだデス・メタルという言葉は使われていなかったけれど、ケルティック・フロストの『Morbid Tales』だね。友達が「凄くヘヴィなパンク・バンドを見つけた」と言っていて(笑)。とても気に入ったよ。写真を見たことがなかったから、音だけ聴いて、とてもクレイジーでダークなパンク・バンドだと思ったものさ。その後スラッシュ・メタルという言葉が流行って、ヘヴィなバンドはみんなスラッシュと呼ばれるようになった。86年、87年くらいのベイダーの最初のフライヤーを見ると、「スラッシュ・ブラック」と書いてある。ブルータルなものは全部スラッシュと呼ばれていて、ブラック・メタルというのは、ヴェノムやマーシフル・フェイトみたいに、地獄とか反宗教的な内容を歌っているという意味だったんだ。90年代に流行ったメイヘムやバーズムとは違う意味だったのさ。ブルータルな音楽をやっていて地獄について歌っていたから、「スラッシュ・ブラック」で、そう言えばファンが意味を理解してくれたんだよ。

 

― KAT、Turbo、Acid Drinkerなど、80年代のポーランドにもスラッシュ・メタルを演奏するバンドがいました。彼らは国内で人気があったのでしょうか。

 

ピーター:KAT、Turbo、Acid Drinkerといったバンドは、どれもメタル・マインド・プロダクションズの所属だったんだ。彼らのオフィスはポーランドの南の方にあって、だけど俺たちは北の方に住んでいたから、つながりが持てなかったんだ。1986年にメタル・マインド・プロダクションズが企画したメタル・マニア・フェスティヴァルに参加して、とても大きな反響があったから、何か誘いがあるんじゃないかと期待していたんだけれどね。あれがベイダーにとって初めての大きなショウだった。だけど、住んでいるところが違ったせいか、何のオファーも無かった(笑)。今振り返れば、それで良かったのだけどね。80年代中盤にメタル・マインド・プロダクションズとサインしていると、海外からやってきたバンドのオープニングをやることができた。多くは無かったけれど、時々海外からバンドが来ていたんだ。俺たちは、イヤーエイクからデビュー・アルバムを出すまで、オープニングはやれなかった。つまり、コネクションがあれば大きなショウに参加できるかもしれないけど、そうでないとどうしようもなかったのさ。だけど、ベイダーや友人のバンドたちはアンダーグラウンドのシーン、インディペンデントなムーヴメントを作り出した訳だからね。自分たちで小さなクラブショウをやって友達を呼んで。もちろんアマチュアだったから、機材などはしょぼかったけれど、だけど自分たちでシーンを作り出したのさ。そしてそこからビッグになったバンドもたくさん出てきた。ベヒーモスとかヘイトとかね。80年代も強力なアンダーグラウンドシーンがポーランドにあったんだよ。だけど、普通にプロモーションをやっていた訳ではないから、個人的にテープトレードをやっているとか、ファンジンと繋がりでもないと、その存在は知らなかっただろうけれど。アンダーグラウンドにいたバンドは一般には知られていなかったけれど、クレイジーなファンはすべて知っていたのさ(笑)。

 

― お気に入りのアルバムを3枚教えてください。

 

ピーター:難しいな。メタルヘッドとして、そしてミュージシャンとして重要なバンドを挙げよう。ブラック・サバスのファースト。これがすべての始まりだった。今聴いても鳥肌が立つよ。それにこのアルバムは、ブラック・サバスを代表するものでもあるからね。次はジューダス・プリーストの『ブリティッシュ・スティール』。これもプリーストを代表するアルバムだろう。『Show No Mercy』。いや、やっぱり『Reign in Blood』。『Show No Mercy』が最初だったけれど『Reign in Blood』はスラッシュ、デス・メタル、エクストリーム・メタルの本質だからね。86年はエクストリーム・メタルにとって最高の年だろうね。すべてのエクストリームな音楽にとってターニングポイントとなった年さ。どんなアルバムがリリースになったかを見てみれば、俺の言っていることがわかるはず。『Pleasure to Kill』、『Seven Churches』、いや、『Seven Churches』はその前年か、とにかく凄いアルバムがたくさん出ていて、『Reign in Blood』はその86年を代表するアルバムさ。間違いなく90%のエクストリーム・ミュージックのファンは、このチョイスに同意してくれるんじゃないかな。

 

― 今後の予定を教えてください。ニュー・アルバムの曲を書き始めたりはしていますか。

 

ピーター:去年の5月にニュー・アルバム『ソリチュード・イン・マッドネス』をリリースしてとてもリアクションが良かったのだけど、すでにパンデミックになっていて、去年何もできなかった。ツアーの代わりにステイホームだからね(笑)。もちろん新曲を書こうかとも思ったのだけど、ニュー・アルバムがリリースされて1年経っているにせよ、それらの曲をライヴでプレイしていないからね。それに、『デ・プロファンディス』や『Litany』のリリース後に生まれたファンもいるだろうし、こういうアルバムにも光を当てたい。ニュー・アルバムとは言わないまでも、ニュー・シングルくらいは作るかもしれないな。7月からライヴを復活して、去年やるべきだったことをやる。ベイダーはツアー・バンドだからね。ステージが必要なんだ。ニュー・アルバムだけじゃなく、クラシックなアルバムの曲ももちろんプレイするし。そして7月には『デ・プロファンディス』の再発もある。ニュー・アルバムについて考えるのは、これらがすべて一段落してからかな。

 

 

文 川嶋未来

 


 

 

 

ご購入はこちら

2021年7月30発売

ヴェイダー

『デ・プロファンディス』

CD

【CD収録曲】

  1. サイレント・エンパイア
  2. アン・アクト・オブ・ダークネス
  3. ブラッド・オブ・キングー
  4. インカーネイション
  5. ソティス
  6. リヴォルト
  7. オブ・ムーン、ブラッド、ドリーム・アンド・ミー
  8. ヴィジョン・アンド・ザ・ヴォイス
  9. リボーン・イン・フレイムス

 

【メンバー】
ピーター(ヴォーカル、ギター)
チャイナ(ギター)
シャンボ(ベース)
ドック(ドラムス)