WARD LIVE MEDIA PORTAL

Uli Jon Roth
独占インタビュー

今の私たちは最高の状態にあると思う
でも新しい音楽に関しては
これはまだ始まりに過ぎない。

文:川嶋未来

ー EX Theaterでの公演は、スコーピオンズを含めてもあなた史上最高の日本公演だと言われてましたが、
今回の日本公演はいかがでしたか。

ウリ:そう思う。本当に素晴らしかった。そしてその理由は、私たちがまったく新しいことに挑戦したからだと思う。大きなリスクを取ったんだ。主催者からは、2019年や2015年に私がやったのと同じプログラムを求められたけれど、それは良いアイデアではないと思ったし、同じことを繰り返すのにもう疲れていたんだ。自分の新しい音楽を持ち込みたかった。これまでとはかなり違っていて、より複雑だけど、とてもメロディック。日本の観客ならきっとそれを理解してくれるだろうと確信していたよ。日本の観客は本当に深いリスナーで、音楽を理解しているからね。もちろん、まったく新しい音楽だけで長い公演をやるのはとてもリスキー。そんなことをする人はほとんどいない。でも今回の公演がうまくいったのは、前半をすべて新しい音楽で構成し、弦楽器奏者やオーケストラのメンバーと一緒に演奏し、後半はロック・ショー、あるいは少なくともミックスした形にしたからだと思う。全体がひとつの大きなクレッシェンドのようになっていて、こんなふうに始まって、どんどん上がっていって、観客も一緒にその流れに乗ってくれた。日本でこれまでにそんな体験をしたことはなかった。いつもは日本で演奏すると観客はとても静かで、じっと聴いて、拍手して、それで終わり、という感じ。でも南米やギリシャに行けば、観客は最初の一音から狂熱的になる。まったく違う体験で、本来なら比べることすら難しい。でも今回は、日本の観客がまるでサンパウロやリオ・デ・ジャネイロにいるかのようで、本当に驚いたよ。だから、あの形でできたのはすごく気持ち良かった。それに今回は最高のバンドを連れてきたし、メンバーは長い間ずっと一緒にやってきていて、常に成長し続けている。今の私たちはほとんど最高の状態にあると思う。でも新しい音楽に関しては、これはまだ始まりに過ぎない。まだたくさんあるし、それをこれからも持ち込みたいと思っている。だからこそ、あれが日本での私の最高の公演だった、と言ったのさ。これまでにもかなりの数のツアーをしてきたしね。そして、あの時日本の観客があれほど強く私たちと音楽に共鳴してくれたことには本当に感謝しているよ。一つの大きな、ファミリーという言葉は使い古されているけど、まさにそんな感じ。ホールにいた全員とつながりを感じたし、観客もそれを感じ取ってくれていたと思う。本当に魔法のようだった。ああいうものはかけがえのないもの。スーパーで買えるわけではない。決して当たり前のことではないんだ。失敗する可能性も十分あった。今回の公演は非常に複雑で、技術的なトラブルが山ほどあり、リハーサルや事前準備は悪夢のようだったんだ。多くの人から「失敗するだろう」と言われたし、私自身もときには確信が持てなかった。音楽そのものは機能すると分かっていたけれど、それ以外はすべて大博打。けれども、不思議な理由で幸運が味方してくれたんだ。最初の公演からうまくいった。本来なら初日が大失敗に終わっていたかもしれない。本当に紙一重の状況だった。多くのことが本番数時間前になってようやく形になったんだよ。映像投影の問題もあったし、技術的なトラブルが山のようにあった。しかも全部初めての試みだったので、準備期間も全然足りなかった。予算も限られていて、最小限のリソースでやらなければならなかった。大きなリスクだった。そして、こうしてうまくいったことが本当に嬉しいんだ。

 

ー 今のあなたはクラシック音楽に関心があるようなので 今回はそのことについて話したいと思います。
好きな作曲家は誰ですか?

 

ウリ:そうだね、たくさんいるよ。過去の偉大な芸術家たちはみんな私のお気に入り。順序は特にないけど、もちろんバッハ、モーツァルト、それからショパンが大好き。あとは、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハは言ったな。ロマン派の作曲家たちも大好き。ショパンだけではなく、フランツ・リストもいたし、ワーグナーは驚異的だった。マーラーも大好きで、彼の交響曲から多くを学んだ。私はあまり繰り返し聴くことはなく、一度聴くだけで十分なことが多いのだけど、そこからインスピレーションを得てきた。本当に素晴らしい。あとプッチーニも大好き。彼の旋律。私にとって、彼は旋律の最高の巨匠だった。彼の旋律は最高。『誰も寝てはならぬ』、これは知ってると思うけど『Bridge to Heaven』になったし、『星は光りぬ』、『蝶々夫人』、『トゥーランドット』、驚くべき旋律ばかりだ。誰も彼以上にはできなかったと思う。そう、クラシック音楽は大きなインスピレーションを与えてくれるもの。なぜなら、それは私たちが創造してきた音楽の樹の最良の土台だから。しかし残念ながら、今日では多くの若者が全く接点を持っていない。クラシック音楽は、彼らの頭の中では老人向けのものとして捉えられてしまっているんだ。本当に残念なことだよ。彼らは大切なものを逃している。クラシック音楽は心や魂や精神にとても良いもの。癒しの力であり、強さの力であり、内なる調和と大地に根ざす力でもある。だからこそ私の役割は、私はロック音楽の世界で名前を築いてきたから、クラシックのエネルギーとインスピレーションに関する自分の最高の知識を持ち込み、それをロックの知識と融合させることだと思っている。そして実際、私たちはまさにそれをやってきた。時には純粋なクラシックもやる。『広島交響曲』の後半なんかはそう。六本木では演奏しなかったけれど、後半はほとんど純粋にクラシック。でもロックと組み合わせることで、ロックの観客も理解し、楽しんでくれると思う。そしてそれこそが、私が本当にやりたいこと。私はある意味で、この分野の小さな大使であると感じているよ。過去にもそうした人々はいた。偉大なキース・エマーソンは、これを最初に持ち込んだ人だった。『展覧会の絵』、あれは完全に驚異的で、当時としては画期的だった。他にも何人かいたけれど、多くはなかった。なぜなのかは分からない。私にとっては当然の選択のように思えるのだけれど。ともかく、それが私がやろうとしていること。このテーマについてはマサ・イトーさんとも話した。私はこう感じているから。ロックというものは、60年代・70年代に生まれてから長い旅をしてきた。そして今、多くのメタルやロックのアーティストやミュージシャンが、ある種の行き詰まりにあるのではないか、と。私の考えでは、本当に新しい、ワクワクするようなことはあまり起こっていない。才能はたくさんある。でも才能だけでは十分ではない。そこにはビジョンが必要なんだ。今はそのビジョンがほとんど見えない。クリーム、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ビートルズの時代には多くのビジョンと想像力があった。彼らは危険地帯に足を踏み入れていた。新しくて、新鮮で、それまで存在しなかったまったく新しい音楽を生み出していたんだ。そして70年代に入ってもそれは続いた。ディープ・パープルやツェッペリン、イエス、そしてスコーピオンズもその旅の一部だった。マイケル・シェンカーもUFOも。しかし、次第にロック音楽はより完璧に磨かれていった一方で、本来のインスピレーションは少なくなっていった。新しさが減り、代わり映えのしないものが増え、皆がより安全に演奏するようになった。それは、死とは言いたくないけれど、大きなインスピレーションの死でもあった。その後はただ同じことの繰り返しになっていった。そして今、メタルバンドを聴いても、私を本当に鼓舞してくれるものは滅多にない。残念ながらそう言わざるを得ない。才能ある若い演奏家たちはあちこちに見かけるけれど、多くが迷子のように見えて、ワクワクするような方向性を持っていない。ギタリストたちはますます速く、ますます完璧に弾こうとしている。でも、実際に「意味のある何か」を語っている人はほとんどいない。「で、君はいま何を語ったんだ?」と問いかけたくなる。意味がない。旋律がない。心に繋がるものがない。旋律があっても表面的で、心に届かない。年を重ねるごとに、私はますますゆっくりと弾くようになった。中心線へ、インスピレーションの純粋な源泉へと、ますます近づこうとしているんだ。それは指先やスピードにあるのではない。今では誰でも速く弾ける。私が若い頃には、エレキギターで速弾きできる人は多くなかった。でもYouTubeが登場して、今ではそこらの子供でも速いアルペジオを弾けるようになった。でも重要なのは、そのアルペジオの意味や、音符の意味を理解すること。だから私は、新しいものが必要だと思っている。そして私は、それまでにあったものを土台にしながら、新しい次元へと向かうことで、新しいものを作ろうとしている。そして、他の誰かがこの旅に加わってくれることを願っているんだ。それが今の私の役割だと思っているよ。

 

ー 和声法、対位法、オーケストレーションなど、クラシック作品を作曲するときには多くのルールがありますよね。あなたはそうした理論を学んだのですか。

 

ウリ:まあ、ルールは知っているよ。私は先生について体系的に学んだことはない。バイオリンのレッスンは受けたし、ピアノのレッスンも少し、指揮のレッスンも少し受けた。ほんのわずかだけど、それで十分だった。良い先生から一度でも学べば多くを吸収できるんだよ。指揮についても学んだ。カラヤンやバーンスタイン、あるいは小澤征爾さんを観察して、彼らが何をしようとしているのかを理解しようとした。バイオリンでも同じように学んだ。特にお気に入りだったのはユーディ・メニューインさん。私が若かった頃、彼はおそらく世界で最も有名なヴァイオリニストで、彼こそが真のインスピレーションを持つ人だった。私はそうした人たちから学んだんだ。オーケストラについては、当時はインターネットがなかった。私が最初に交響曲を書いたとき、管弦楽法は本を読んで学んだ。それぞれの楽器が何をできるか、何ができないか、その音域などを調べて。それから実際に楽器に耳を傾けていった。対位法などの知識もあるけど、それを先生について学んだことは一度もない。常に自分自身のやり方でやってきた。それが私のやり方なんだ。最初に楽器を学んだとき、実は私の最初の楽器はトランペットだった。コンサート・トランペット奏者の方が、譜面の読み方などを教えてくれた。それが私の音楽の出発点。でもギターについては、私が若かった頃はエレクトリックギターの教師はいなかったよ。クラシックギターの教師ならいたけどね。当時クラシック音楽の世界ではルールが規範だったけれど、実際にはさまざまなレベルがあった。そして多くの作曲家、最高の作曲家の多くでさえ、しばしばそのルールを破り、語彙を広げていったんだ。そしてそれこそが、まさに私がやっていることさ。私はロマン派の作曲家の伝統から来ている。私はバロックのバッハのようではない。彼は信じられないほどの存在だった。あれ以上の対位法は不可能だろう。でも私はむしろ旋律的でロマン派的な方向に自分を見ている。マーラー、ワーグナー、リスト、ショパン、ブラームス、私はその系譜に強く共鳴するよ。

 

ー ロマン派の時代こそがクラシック音楽のピークだと思いますか。それ以降の音楽についてはいかがでしょう。

 

ウリ:そうだね、ピークという表現は、実際かなり的を射た言い方だと思う。なぜなら、その後に何が起こったかを見てみると分かる。偉大なロマン派作曲家たちの多くは、1810年、1811年、1812年といった、わずか数年の間に生まれているんだ。ショパン、ワーグナー、リスト、みんなほぼ同じ時期に生まれた。ブラームスは少し後だけど、メンデルスゾーンも同じ時期。彼らが音楽を大きく前進させたんだ。その後にはチャイコフスキーのような人も現れた。美しい旋律と素晴らしい交響曲を書いて、自分独自のビジョンを音楽に持ち込んだ。このロマン派音楽の領域全体は間違いなく音楽のひとつのピークだったと思う。ちょうどバロック音楽にもピークがあったように。バッハと同じ年にスカルラッティも生まれている。彼は完全な音楽の天才だったけれど、あまり知られていない。だけど、驚異的な作曲家だった。そしてヨハン・セバスティアン・バッハ、さらにゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル。彼の対位法はバッハほど強力ではないが、栄光のような旋律と、とてもスピリチュアルな音楽を生み出した。完璧で、バロック作曲家の中で最も旋律的だったのが彼だと思う。その後に古典派時代が始まる。ハイドンはモーツァルトとベートーヴェンの父だった。モーツァルトもベートーヴェンも、ハイドンから本当に多くを学んだんだ。今の人々はハイドンについてあまり考えないけれど。おそらく、少し凡庸なイメージを持っているからだろう。でも彼の音楽は決して凡庸ではなかった。そしてその後、シューベルトが登場し、ロマン派音楽への橋渡しをした。実際ベートーヴェンにも、すでにロマン派的な感触があった。『月光ソナタ』とか。とにかく長い話になるが、やがてドビュッシーが現れ、信じられないほどの和声と旋律を生み出した。ラヴェルも。でも、その後はあまり大きなことは起こらなかった。そして、非常に残念なことが起きた。おそらく避けられないことだったのかもしれないが、それが極端な方向に行ってしまったんだ。私はこう思っている。十二音技法が、少なくとも半世紀にわたって旋律音楽の精神をほとんど殺してしまった、と。なぜなら、多くの作曲家が調性のある音楽を書くことを恐れるようになったから。シェーンベルクは作曲家としてあまりに強烈な存在で、しかも彼は調性的な分野においても本当に天才的だった。彼が書いた『浄められた夜』は、どんなマーラー作品にも匹敵するほど素晴らしいもの。だからこそ、彼にはその道を続けてほしかった。けれど彼はこう考えた。「私は別のことをやろう。音楽そのものの根本概念に挑戦しよう」と。つまり根音という概念。私の著書『アルファの法則』を読めば分かるけれど、音楽における第一のルールは、ひとつの中心点があるということ。それがアルファ点であり、太陽のような重心なんだ。他の音はすべてその周りを公転している。半音階で言えば12の軌道――大きな螺旋のようなもの。ところがシェーンベルクは、「いや、これをひっくり返して、12個の惑星すべてを太陽にしてしまおう。ヒエラルキーは存在しない」としたんだ。発想としては面白い。もしホラー映画の音楽を書きたいのならね。でも実際に聴くのは極めて困難で、かなり苦痛だ。ある若い女性がその音楽を聴いたとき、実際に吐いてしまったほどさ。なぜなら音楽の根本にあるものをこんなふうにいじるということは、自分の心や精神をいじることと同じだから。それは本能的に正しくないと感じる。心地よくない。ただの頭脳の遊びでしかない。私が好むのは、そういうものではない。音楽はまず心、そして頭脳が、少なくとも50対50であるべき。バッハの音楽を例に取れば、50%が数学で、もう50%が精神。でもシェーンベルクの場合は、90%が数学のようなものだった。とにかくそういうこと。その結果、作曲家たちは美しい旋律を書くのを恐れるようになった。これは本当に不条理な状況だった。そこにレナード・バーンスタインのような人が現れて、「いや、自分はやる」と宣言した。そして彼は『ウエスト・サイド物語』を書いたのさ。それからアメリカにはコルンゴルトのような作曲家がいて、彼は壮大な映画音楽を作るという流れを最初に切り開いた人だった。その後、ジョン・ウィリアムズのような人物が登場し、『スター・ウォーズ』のような驚くべき映画音楽を書いた。彼はホルストの『惑星』から学んだが、同時にチャイコフスキーなどからも学び、それを映画と結びつけて新しい次元へと持っていったんだ。だから現在、この分野は開かれていて、多くの新しい作曲家たちが、実際に聴ける音楽、普通の人々が聴ける音楽を書く方向に戻ってきている。私自身もその一人。これは良い発展だと思う。だけど、クラシックとロック、その他のジャンルとの間には大きな分断がある。そして私は、この分断は良くないと思っている。私の新しい、ちょっと破天荒な友人、東京の偉大な指揮者、広上淳一さんもまったく同じ意見。私たちはちょうどこの話をしたところで、彼はこう言っていた。「これらすべての分断は良くない。音楽はもっと普遍的であるべきだ。分け隔てなどしていられない。それは音楽をどんどん小さくしてしまう。そして最後には何も残らなくなる」と。彼の言葉では、「この分野にもっと持ち込むべきだ」と。つまり、それぞれの分野から最良のものを持ち寄ってコラボレーションを行い、新しい言語を作り出す必要がある。そして観客がそこに参加できるようにすること。それによって観客を失うのではなく、観客を一緒に連れていける。観客はその全体の中で最も重要な要素の一つだから。もし音楽を自分のためだけに書くのなら、それは良くない。音楽は木のようなもの。果実をつける木、リンゴの木のような。そしてその果実は食べられるものでなければならない。そうでなければ無意味なのさ。

 

ー では、クラシック音楽にあまり馴染みのないヘヴィメタル・ファンたちに、おすすめのクラシック作品を教えてください。

 

ウリ:そうだな、少し時間を割いて聴けば分かるだろうが、有名なクラシックの作品の多くに、実は最も優れたものが多い。それらが有名なのには理由があるんだ。今の時代のように、TikTokでうまくやったから有名になれる、というようなことではなくて、彼らの音楽は200年、300年経ってもなお存在していて、そして今でも素晴らしいからこそ有名なんだ。私がヴィヴァルディの『四季』をやったとき、その音楽は本当にまったく驚異的だった。彼があれを書いたのはずっと昔なのに、それをロック版にすることさえできた。その音楽があまりに強靭だったので、私でさえ壊すことができなかった。もっとも、壊そうとしたわけではないが。もちろん、そんなつもりはなかった。冗談さ。1993年に初めてオーケストラと共演したとき、あれは『Symphonic Legends, Symphonic Rock for Europe』というコンサートだった。そのとき私は指揮者にこう言った。小さなアンプを使ってとても静かに演奏していたんだ。アンプが鳴り切らず、思うように歌ってくれなくて。それで上手くいかず苦労していた。私にとって大きなオーケストラとやるのは初めての経験だった。すると彼は「もう少し音を上げてみなさい」と。私は「でもオーケストラを壊したくないんだ」と返したのだけれど、彼は「オーケストラを壊さなきゃいけない」と。ある意味で彼は正しかった。彼の言いたかったことは、「もしロックをやるなら、その種の強烈さで演奏しなければならない」という意味だったのさ。それで思い出したのだけれど、広上さんと話したとき、私は「僕らは大きな音量で演奏するんだ」と言ったら、彼は「それはエキサイティングだよ。それはただ別のエネルギーの形なんだ」と言っていた。確かにその通りさ。だから私はこう思う。過去から良いものを取り入れて、それを未来に向けて新しい花を咲かせる木にしていこうと。つまり変容さ。過去から切り離されるべきではない。過去から完全に切り離されてしまうものは良くない。なぜなら、すべてのものは成長していく必要があるから。切り離しは不要なんだ。もし何かが本当に間違っている場合を除いてはね。そうでなければ、私は過去から未来へ有機的に成長していくやり方を好む。適切な材料を持ち込み、木に養分を与える。それにはアイデアも必要だし、良いタイミングも必要。物事には正しい時が必要なんだ。90年代半ば、私がやろうとしていたことにはチャンスがあったけれど、まだ十分に準備ができていなかった。それで、つながりを失ってしまった。そしてその後は、時代がまったく適切ではなかった。今は、状況がより整ってきている。真空状態があるから。その真空はとても大きく、インスピレーションによって満たされることを求めている。インスピレーションの真空と言ってもいいだろう。それこそが私の専門なのさ。私はインスピレーションを引き寄せて、それを持ってくるんだ。

 

ー では最後に日本のウリ・ファンへのメッセージをお願いします。

 

ウリ:私のメッセージは、まず第一に、話を聞いてくれてありがとう。私が持ってきているこの奇妙な教えや奇妙な新しいアイデアに耳を傾けてくれてありがとう、ということ。まあ、新しいアイデアといっても、そんなに新しいものではない。ただ、今がそれを持ち出すのにより適した時代になった、というだけのこと。私は皆さんにいくつかのクラシックの曲を聴くことをおすすめしたい。そして有名なものから聴いてみて欲しい。有名であるのには理由があるから。たとえば、私が若い頃に大きな衝撃を受けた作品のひとつは、モーツァルトの『レクイエム』。これは彼の最後の作品で、一部しか完成させられなかったのだけれど、それでも信じられないほどインスピレーションに満ちた音楽なんだ。もちろん、ベートーヴェンの交響曲もある。交響曲第5番、第9番。そして、チャイコフスキーの美しい交響曲もいくつかある。そうしたものを聴けば、ロック音楽とのつながりを見いだすことができるだろう。ただし深く聴き込む必要がある。ドラムがないし、エレキギターもないので、一聴しただけでは分かりにくいかもしれない。ヴィヴァルディの『四季』もまた傑作であり、非常に技巧的な作品。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、そして私のお気に入りはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ブロッホのヴァイオリン協奏曲なども素晴らしい。バッハの作品は数多い。バッハは訓練を受けていないリスナーにとっては少し難しいかもしれないけれど、それでも誰でも聴ける作品もある。たとえば『G線上のアリア』。私の考えでは、おそらくこれまでに書かれた中で最も美しい音楽のひとつさ。私自身もかつてカバーしたことがあるし、他の人々のカバーもある。これが私のメッセージ。心を開いて、そして音楽を小さな箱の中に押し込めず、心と魂に語りかけさせてみて欲しい。そうすれば、新しい大きな視野を得ることができるだろう。すべてはすでにそこにある。何世紀もの間、そこに存在してきたんだ。だから、過去の最良のものとつながることは素晴らしいこと。これが私のメッセージだよ。

 


 

ご購入はこちら

2016年8月31日

Uli Jon Roth

『トーキョー・テープス・リヴィジテッド~ウリ・ジョン・ロート・ライヴ・アット・中野サンプラザ』

通常版DVD
通常版Blu-ray
初回限定DVD+2枚組CD

【Blu-ray/DVD収録曲】

  1. オール・ナイト・ロング
  2. 炎を求めて
  3. クライング・デイズ/li>
  4. カロンの渡し守
  5. サン・イン・マイ・ハンド
  6. ヴァージン・キラー
  7. 荒城の月
  8. 空を燃やせ
  9. イン・トランス
  10. トーキョー・ドリーム・プレリュード
  11. フライ・トゥ・ザ・レインボウ
  12. トップ・オブ・ザ・ビル
  13. 自由への叫び
  14. 暗黒の極限
  15. ダーク・レディ
  16. 幻の肖像
  17. キャッチ・ユア・トレイン
  18. 見張塔からずっと
  19. リトル・ウィング

【2枚組CD収録曲】

[DISC1]

  1. オール・ナイト・ロング
  2. 炎を求めて
  3. クライング・デイズ/li>
  4. カロンの渡し守
  5. サン・イン・マイ・ハンド
  6. ヴァージン・キラー
  7. 荒城の月
  8. 空を燃やせ
  9. イン・トランス
  10. トーキョー・ドリーム・プレリュード
  11. フライ・トゥ・ザ・レインボウ

[DISC2]

  1. トップ・オブ・ザ・ビル
  2. 自由への叫び
  3. 暗黒の極限
  4. ダーク・レディ
  5. 幻の肖像
  6. キャッチ・ユア・トレイン
  7. 見張塔からずっと
  8. リトル・ウィング

【メンバー】
ウリ・ジョン・ロート(ギター/ヴォーカル)
ネイサン・ジェイムズ(ヴォーカル)
ジェイミー・リトル(ドラムス)
ウレ・リトゲン(ベース)
デイヴィッド・ロシンスキ(ギター)
コーヴィン・バーン(キーボード)
ニクラス・ターマン(ギター)