WARD LIVE MEDIA PORTAL

映画出演も果たした
ウリ・ジョン・ロート 独占インタビュー

私にとって音楽とは、
宇宙全体の絵画のようなものなんだ。
何らかの法則、物理法則のようなものに従っている。
私たちの魂に見出されるような法則に従っているもの。

                                   

ご購入はこちら

文:川嶋未来

コロナウィルスの蔓延による生活様式の変容は、ミュージシャン、そして音楽業界にどのような変化をもたらすのか。ソロツアーの真最中にコロナ禍に遭遇したウリ・ロートは、コロナ収束後の世界をどう見ているのか。こんな時期だからこそ、慧眼の士、仙人ウリに話を聞いてみた。1時間、文字にして12,000字に及ぶ超ロング・インタビューが行われたのは5月28日。

 

 

— 今はイギリス、ドイツ、どちらにいるのですか。

 

ウリ:イギリスだよ。自宅にいる。君は日本?

 

— そうです。東京です。

 

ウリ:状況はどう?

 

— だいぶ良くなって来ているようですね。今週、東京も緊急事態宣言が解除されましたし。

 

ウリ:テレビで見たよ。他の国と比べて、日本の状況は随分と良いみたいだね。

 

— 原因ははっきりしないのですが。もともとマスクをつける文化があったり、手洗いが徹底されていたりということもあるのかもしれません。

 

ウリ:そうだと思うよ。日本人はマスクをつけるけれど、ヨーロッパやアメリカではみんなマスクが好きじゃないからね。マスクには効果があるのだろう。それから日本人は、西洋の人たちよりも規律を守るというのもあるんじゃないかな(笑)。

 

— あと、握手やハグの習慣もないですからね。

 

ウリ:その通りだよ!君達はおじぎをするだけだからね。こっちでも握手やハグはしなくなってきている。

 

— イギリスの状況はいかがですか。

 

ウリ:イギリスでは、何と言えばいいかな、少々カオスだよ。個人的には、私は郊外の山の中に住んでいるからね、特に問題もなくて、普段との違いも感じない。だけど、都市部の小さなアパートに住んでいる人たちは外出もできずに大変だろうね。イギリスでもロックダウンは解除された。他のヨーロッパよりも解除は遅かったのだけど、そもそもイギリスはロックダウンを始めたのが遅かったから。政府の対応は混乱したものだったけど、彼らも何をすれば良いのか明確にわかっていなかったのだろう(笑)。コロナが始まった最初の1ヶ月半は、ドイツの森の中のスタジオで過ごしたんだ。ドイツの方がコロナへの対応はずっときちんとしていたし、うまくいっていた。何故かはわからないけど、イギリスはうまくやれなかった。驚いたよ。まあ、でもアメリカの方がずっと酷いね。

 

— 今はブラジルも酷いようですね。

 

ウリ:ブラジルはめちゃくちゃなようだね。まったく酷いよ。実は今アメリカをツアーしているはずだったんだよ。7月まで続くツアーだったのだけど、80のショウをキャンセルしなくちゃいけなかった。80だよ。

 

— イギリスでは首相やロイヤル・ファミリーが感染したこともニュースになっていました。

 

ウリ:そうなんだよ。プリンス・チャールズもかかったし、首相や内閣の人々もね。政府も最初はコロナを真面目にとらえていなくて、ところがある時突然これはまずいと思ったんだろうね。毎週違った発表がなされて、彼らも明確に自体を把握できていなかったのだろう。何をすれば良いのか、まったく手がかりがなかったんだろうね(笑)。新聞に色々と不平不満が書かれて、そうすると翌週政府はそれをやるんだよ(笑)。政府にリーダーシップがないのさ。どうなるだろうね。9月には色々とコンサートも予定されているけど、私としてはやれる可能性は半々だと思っている。やれるかもしれないし、無理かもしれない。

 

— 夏後にはできる可能性はありそうですか。

 

ウリ:いずれはやれるようになるさ。ライヴのない生活なんて考えられないからね。みんなショウを見に行くのが好きだし、いつかは戻るよ。いずれ人々はこのウィルスに慣れるだろうし、これはインフルエンザよりも悪質なものかもしれないけど、毎年インフルエンザで死ぬ人もいるわけだから。それでもインフルエンザを恐れている人はいないし、みんな慣れているだろ。いずれは生活は普通に戻るよ。人々は経済的にも困るだろうし。西側の国々はすでに経済的に破綻し始めている。このままの生活は長くは続けられないよ。どうなるだろうね。ソーシャル・ディスタンシングのコンサートになるかも(笑)。みんな1m離れているような、変なコンサートに。どんな形になるにせよ、間違いなくコンサートは戻ってくる。いずれは人々はリスクをとるようになるよ。こんな生活なんて生きるに値しないから。ソーシャル・コンタクトは人間にとってとても重要なのだから。それが無くなったら、私たちは巨大な監獄にいるようなものだろう?私個人としては、もちろんウィルスをコントロールするという意味において、ロックダウンというのはある時点において必要だと思う。特に、今のように西洋だけでなくアジアもそうだと思うけど、私たちの生活のあらゆるものが次々とコントロールされ、何もかもが安全な時代においてはね。すべてがスムーズなマシーンのように動くようになるだろう。それが本当に良い生活なのかはわからないよ。私はもっと自由な生活の方が好きだね。このウィルスは、地球全体に対する目覚ましになる可能性はある。ウィルスとは関係のない思考に対してのね。私にとっては、コロナよりも気候変動の方がずっと大きな関心事だよ。私にとってはそっちの方が喫緊の課題さ。気候変動は、5年、10年、20年後にもっともっと重要な問題になっているだろう。私たちはすでに絶滅の道を辿っていると思う。過去200年、テクノロジーの発達によって、この星をあまりに変えすぎたせいで、数多くの種の動物が絶滅の危機に瀕している。考えられないことだよ。誰もどうすれば良いのかははっきりとわかっていないけれど、私たちの思考の仕方、生活様式を変えなくてはいけない。そうしなければ、次の世代のための明日はないよ。これが私にとって一番の問題なのだけど、今はコロナのせいで、誰も気候変動の話をしていないよね。だけど、この2つのものは奇妙な形でつながっているのさ。人類は今、巨大な変化の入り口にいる。目を覚ますときなんだ。違った思考、違った行動をするための。これはわたしたちすべての人間にかかわることさ。これが私の個人的なものの見方だよ(笑)。私は通常とても楽観的なんだけどね。だけど、環境や気候変動の問題は、とても心配している。もし、すぐに何らかの対策をしなければ、取り返しのつかないことになる。恐ろしいことだよ。私たちの世代こそ、その責任を担っているのだから。すべての人の思考が、この問題にとって重要なんだ。「俺は70億人のうちの1人にしか過ぎないからね。何も出来やしない」と言うことは簡単だけれど、そして実際それは事実だけれども、大きな視点で見た場合、それぞれの人の思考や感情は非常に重要だよ。それらが集まって全体になるのだからね。形而上学的な見方だけれど(笑)。

 

 

— コロナ収束後、音楽業界は変わっていると思いますか。

 

ウリ:変わるだろう。というか、すでに変わっているよ。生き残れないものも出てくる。航空会社も倒産しているしね。音楽業界は特に厳しい。音楽で生活をしている人たちは、ソーシャル・インタラクションに頼らざるをえないのだから。先生は生徒たちに教えなくちゃいけないが、それも今はできるようになっている。多くのミュージシャンたちはツアーやコンサートで生計を立てているけれど、それも今はできないからね。政府も助けてくれないし。政府が助けてくれることなんてほとんどないのだけど。助けてもらった人もいるだろうけど、それは例外だね。大きな連鎖だよ。ミュージシャンだけでなく、劇場やクラブ、コンサート・ホールも問題に直面している。ロンドンのシェイクスピズ・グローブ・シアターやロイヤル・アルバート・ホールですら、このような状況が1年も続いたら閉鎖を考えなくてはいけないだろう。コンサート自体が再開されても、例えば2,000人を収容できる中野サンプラザに1,000人しか入れてはいけないということになるだろう。それでは赤字だ。こんなことが続けば、みんな倒産してしまうだろうね。日本での状況は分からないけれど、例えばレコード会社なんかはメールオーダーで商品を売れるかもしれないから、そこまで大きく状況は変わらないかもしれない。だけど、ツアーをやっているミュージシャンにとってはとんでもない問題さ。

 

— ミュージシャンの将来には悲観的なのでしょうか。

 

ウリ:うーん、私自身の将来については悲観的ではないよ(笑)。だけど、他の多くのミュージシャンにとっては非常に厳しい状況になるだろう。特にまだ地位を確立していない、模索をしている若いミュージシャンにとっては、より状況は厳しいだろう。もちろんインターネットは役に立つかもしれないし、オンライン・コンサートという手もあるだろう。だけど、それはやっぱりライヴとは違うよね。ライヴの代わりになるものなんてないよ。オーディエンスとの直接のやり取りが一番特別なのだし、何百年も続いてきた歴史を持つものさ。私たちの文化にとって非常に重要なこと。だからこそ、私はコンサートはいずれ何らかの形で再開されると思っている。しかし、みんなが経済的に生き残れるとは思わない。他の仕事を見つけなくてはいけないミュージシャンも出てくるだろう。クリーニングとかね。ほとんどのミュージシャンにとっては厳しいことになるだろう。本当に厳しいことに。あらゆることが変わるだろう。しかし、その中にもポジティブな要素はあると思うよ。音楽業界の人たちといろいろと話をしたけれど、彼らの多くは、こういう時期も悪くはないと言っていた。クリエイティブな作業をする時間が取れるから、と。私も同じだよ。私もスタジオでクリエイティブな作業をしたり、いろいろと考えたり。ほかの人たちも同じだろう。これは良いことだよ。というのも以前は、去年や今年の初めは、時計に支配された世界、すべてが素早く進みすぎていて、誰もついていけない状況だったからね。みんな忙しい忙しいって。人々は精神的にじっくりと考えて消化をする時間がなかったんだ。まるでラットレースになっていて。それは好ましいことじゃないよ。ロックダウンは突然時計を止めさせて、多くの人々に違った現実と向き合わせたのさ。これはとても価値のあることだよ。思考様式や行動を変えるきっかけとなるかもしれないからね。価値や友情といったもののルネッサンスになるかもしれない。私自身も最近、長いこと話していなかった友人たちに電話をかけているんだ。どうしているのかと思って、電話で話をしたくなって。普段はそんなことをする時間なんてないからね。いつもツアーをしていたりで。じっくりと考える時間があるというのは良いことさ。この結果何か良いことが起きるかもしれない。そうなることを期待しているよ。

 

— ロックダウン中は何をしていたのですか。

 

ウリ:君は多分知っていると思うけど、ロックダウンが始まる直前に、私はソロツアーを開始していたんだ。『インターステラー・スカイギター・ツアー』というもので、数ヶ月入念に準備に時間をかけたし、とても楽しみにしていたんだ。ステージ・リハーサルもこなして、すべてうまくいっていて、映像も音楽と同期するように作って。12回のショウをやったのだけど、どれもうまくいった。パリ、ハンブルグとか。ところが突然ウィルスのせいで、ストップせざるをえなくなった。多少あっけなかったけど、悲しいということはなかった。仕方がないからね。12のショウの後、さらに80回残っていたんだけどね。アメリカで60回。これらがすべてキャンセル、延期になった。だけど、ショウにはとても自信が持てたからね。とてもスペシャルなもので、プレイするのも楽しかった。途中休憩を挟んで3時間のショウを、お客さんも楽しんでくれたようだし。私が過去にやったこととはまったく違うものだし、こういうことをやった人は他にもいないだろう。「これは私にとって新しいステージになった。だけど、これを再開するのはまた後にして、今はレコーディングをしよう」という気持ちになった。このソロショウのために、新しい曲もたくさん書いたし。全部で70分の長さになるくらいあるから、これらをレコーディングしようと思い、ブレーメンの近くのスタジオに入ったんだ。サウンド・エンジニアともう1人と、すべて録音して、6週間くらい後にスタジオのあるイギリスの自宅に戻った。今は音楽の編集をやっているよ。やることはいっぱいあるからね。とても出来には満足している。ロックダウン中はこんなことをやっていたんだ。それから、去年の1月に日本で撮影した50周年記念ショウのDVDの編集もやっている。これらを仕上げるのが楽しみだよ。大変だけど、良いものになりそうだね。この2つのプロジェクトはまったく違う作業だから良かったよ。ビデオ編集と音の編集はまったく違ったものだから。サウンドの編集を一日中やっていると、思考が停止してしまって他のことをやる必要があるんだ。それから3つ目として、オーケストラのスコアも書いている。毎日2時間これをやっている。来年の終わりに、大きなオーケストラとのコンサートを企画しているんだ。私の音楽だけをプレイする予定。ずっとやりたかったことで、今その準備をしている。とても時間のかかるプロジェクトで、昨年夏からすでにスコアを書いているんだ。そんな訳でとても忙しいよ。でも、体調は良い。

 

 

— 以前、映画に出演したという話をされていましたが。

 

ウリ:(爆笑)。ちょうど映画の一部を見せてもらったところだよ。もうすぐ完成するみたいだ。大役を演じているわけではないよ(笑)。スペース・グルの役なんだ(笑)。

 

— 映画館で上演される予定なのですか。

 

ウリ:される予定。だけど、海外でも上映されるのかはわからないな。ドイツ語の映画だからね。本物の映画だけど、英語に訳されるのかはわからない。ドロ(ペッシュ)も出てるんだよ。ジャーナリストの役でね(笑)。

 

— 日本のあなたのファンも見たいはずですよ。

 

ウリ:(爆笑)。ちょっとしか出てないよ。ちょっとミステリアスなパートでね。形而上学的な。

 

— どんな内容の映画なのですか。

 

ウリ:ストーリーを言っていいのか分からないけれど、スリラーのような、ドイツの大量殺人鬼の話さ。そいつの魂が復活して、騒ぎを起こすというもの。とても奇妙な話で、私の好きなタイプのものではないんだけどね(笑)。プロデューサーが知り合いだったし、映画に出てみるのも面白いと思ったから。でも、仕上がりがどうなるかは分からないんだ。自分のパートしか見ていないから。

 

— 実在の殺人鬼の話なのでしょうか。

 

ウリ:おそらく20世紀初め頃の有名な殺人鬼の話だと思う。そいつの魂が戻ってきて、他の人々に影響を与えて、殺人を犯させるという話さ。基本的に私の役は、悪霊にどう対処するのかを教えるものだよ(笑)。

 

— 良い音楽と悪い音楽というのは実際に存在すると思いますか。それとも、すべてはただの好みなのでしょうか。

 

ウリ:もちろん人それぞれの意見があるだろう。私の意見では、間違いなく良い音楽と悪い音楽というものは存在する。そしてそれは周波数、質の周波数と関係している。人が何を求めるか次第だけどね。 例えば、ハンバーガーが食べたくてマクドナルドに行く。そして、そのハンバーグをおいしいと思うのなら、全く問題はない(笑)。だけど、素晴らしいシェフのいるトップクラスのレストランに行くことを好む人もいるだろう。素晴らしい寿司屋とかね。間違いなく寿司職人は、マクドナルドのハンバーガーのシェフよりもずっと優れた料理人だろう。それに寿司のほうが食べ物としてもずっと優れているに違いない。音楽もこれに近いと思うんだ。音楽の目的によるけれどね。エンターテインメントのためだけに書かれた音楽、例えばスーパーのBGMのような曲もある。ダンスのためだけに書かれる音楽もある。感情に刺激を与える音楽もある。人々を幸せに、あるいはロマンティックに、夢見心地にするために書かれる音楽もある。私にとって良い音楽とは、音楽と調和している音楽(笑)。音楽それ自体が、なんと言ったら良いかな、ルールという言葉は使いたくないのだけど。私にとって音楽とは、宇宙全体の絵画のようなものなんだ。何らかの法則、物理法則のようなものに従っている。私たちの魂に見出されるような法則に従っているものでもある。例えばメジャーコードはほとんどの人に美しいものとして捉えられる。一方トライトーンを複数含むコード、あるいはまったく調和していないコードは醜い。これらは非常に基本的な真実さ。非常に基本的で明白なこと。熱いお湯に指を入れば熱いとか、氷は冷たいとかのようにね。正しいか正しくないかがはっきり分かる。音楽も同じさ。音楽が調和していれば、人々をポジティブにしスピリチュアルにさせる。非常に優れた音楽は、人々の気分を良くすることができるのさ。悪い音楽はその逆。私にとって悪い音楽、あるいは良くない音楽というのは、私を簡単に退屈させるものだ。私が音楽に期待するものは、新鮮なサウンドで私を感動させてくれること。重要なことについてきちんとしたクオリティを保っていること。スーパーマーケットのBGMや、ダンスミュージックにはそれがない。ラジオでかかっているほとんどの音楽は、私をまったく感動させない。白けた気分になるかイライラさせられるばかりで、聞きたくないものだ。聞きたくもないことをべらべらと話しかけられるみたいで、気分が良くないからね(笑)。という訳で、良い音楽と悪い音楽は存在する。だけど、各自が自分で判断すれば良いんだ。私は自分の好みがわかっているからね。多少排他的かもしれないけど、音楽の多くは私に語りかけてこない。私の心を動かす音楽は非常に少ないのさ。

 

— 良い音楽は機能和声法に基づいている必要があるということでしょうか。

 

ウリ:機能和声法を君がどういう意味で使っているかだけど。

 

— トニック、サブドミナント、ドミナントなど、コードには機能があるという考えと言えば良いでしょうか。

 

ウリ:それは間違いない。十二音技法が良い例だよ。シェーンベルクが考案した技法で、これは1分くらい聴くのは面白いかもしれないけれど、それ以上は少なくとも私は疲れてしまう。30分も聞いたら、うんざりだよ。なぜなら、本質的にこのシステムは、持って生まれた人間の精神に反するものだからさ。つまり、根音だよ。私は、宇宙のすべては根音を持っていると思っている。そして音楽は、根音という中心から発展するもの。例えばAメジャーでは根音はAで、これが中心になる。そのAを元にして、他の音符は価値や遠近感を持つ。チェスと同じだよ。キングがいて、クイーンがいて、ルーク、ナイト、ビショップがいる。そして、それぞれの駒がそれぞれのパワーを持っていて、その中心がキング。根音もまったく同じ。太陽系の太陽のようなもの。他の星は、その周りを回っている惑星だ。そして、その軌道の距離に意味がある。3度の音は、5度と共に根音とのハーモニーに重要な意味を持つ。トライトーンは、とても興味深い位置にいる。これはオクターブをちょうど半分に分割するものだからね。低い根音と高い根音のちょうど半分の位置にいるのさ。根音というのはとても美しいシステムで、これは音楽だけにあるものではない。リズムにも根音はある。リズムの根音とは、1のこと。1、2、3、4、1、2、3、4の1が根音なんだ。1、2、3、1、2、3でも、1が重力の中心となり、他は1の周りをまわるんだ。重力の中心は、ブラックホールのような力の場となり、エネルギーを吸い込むと同時にエネルギーを与えもする。太陽のように、エネルギーを与えもするけど、重力も持っているんだ。根音以外の11の音は、みんな根音から異なった距離を持っている。キーがAの場合、Bbは根音と半音の隔たりということになる。これは太陽から一番近い水星のようなもの。この2音の間の磁極は最大のものになる。だから、半音というのは、例えば5度や長短3度の音とは異なったフィーリングを持っているんだ。これらすべてのことが、音楽に意味を与えるんだよ。私たちは根音のパワーを感じることができるからね。長短3度、あるいは4度の音を聴けば、私たちの中にある種のイメージが喚起される。音楽というのは、これらのもので作られた星座なのさ。ところが、十二音技法というのは根音のパワーを否定するものだった。中心というものはなく、すべての音が同等の価値を持つと考えた。コンセプトとしては面白いけれど、完全なる無秩序だよ。結果は混乱でしかない。音楽が美しいのは、そこに秩序と調和があるからなのに。混乱と秩序の違いだよ。もちろん、音楽が美しいのは混乱と秩序のゲームであるからだ。協和音だけの、例えばメジャーコードしか出てこない曲があったら、それは少々退屈なものになるだろう。意外性がないからね。優れた音楽というのは、ハーモニー構造の際どいところを進み、時に危険だけれど聴くものにスリルを与える領域に入りこむものだ。予想もできないものでね。だけど、それが正しく解決されれば、音楽は美しいものとなる。

 

ー ウェーベルンやベルクもダメですか。

 

ウリ:ベルクはだいぶ違うよね。メロディックだし。シェーンベルクも初期は良かったんだ。『浄められた夜』のような美しい曲も書いていて。彼も天才だったんだよ。ただ、コンセプトは誤っていたけれど。アルバン・ベルクのヴァイオリン・コンチェルトはとても美しい。あれは基本的に十二音技法に基づいてはいるけれど、他の方向へも傾いているからね。

 

— 音列に長短三和音が含まれているんですよね。

 

ウリ:そう。だけど私のお気に入りは、やはりもっと伝統的なハーモニーやリズム、メロディに立脚した作曲家たちだよ。

 

— どの時期の作曲家がお好きですか。

 

ウリ:色々なものが好きだからいつが一番とは言えないけれど、バッハは大好きだし、同時期のスカルラッティやヘンデル、ヴィヴァルディも素晴らしい作品を書いている。もう少しあとだと、モーツァルトは作曲家として突出している。ショパンのようなロマン派も素晴らしいね。ロマン派以降にも美しい作品はある。あと、民族音楽も好きだよ。優れたフラメンコ・ミュージックを聴くのも好きだし、インドにも素晴らしいアーティストがいるよね。ラヴィ・シャンカールとか。中国の音楽も美しいし、日本の音楽も美しい。

 

— ジャズについてはいかがですか。

 

ウリ:私はジャズはあまり好きではない。優れたミュージシャンを排出しているという点では、ジャズも魅力的だけど。オスカー・ピーターソンやアート・テイタムとか。キース・ジャレットも大好き。彼は天才だよ。だけどジャズ・スタンダードの大ファンであったことはないんだ。というのも、ジャズに欠けているのは、この発言で私を嫌う人もいるかもしれないけれど、ジャズというのは大抵軽くて表面的だと思うんだ。エンターテインメントが主目的で。私の魂は、通常もっと深いもの欲するんだよ。それがジャズには見出せない。それにジャズは、私にとっては遊び心がありすぎる。私はもっと真面目な骨太な音楽が好きなんだ。ずいぶんと上から目線だと思われるかもしれないけど、ジャズについて聞かれたからね。ジャズにはこういう感情を持っているんだ。ジャンゴ・ラインハルトのギター・ソロを聴いたりするのは好きだけど。これは凄く初期のジャズで、フランス・ホット・クラブ五重奏団の、そうそうステファン・グラッペリも素晴らしい。あくまで私のムード次第で、これらは普段私が聴くものではないけれど。

 

— クラシックの方がお好きなんですね。

 

ウリ:ロマン派も含めたクラシックは、今までに作られた音楽の中で最も高尚なものさ。巨大なオーケストラなどは、人類が作り出した素晴らしい成果だよ。だけど、クラシックもそんなに聴くわけではないよ。演奏をしてみたり、作曲家や作品を分析するために譜面を眺めたりするのは大好きさ。とても素晴らしい映画のサウンドトラックもあるよね。ジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』なんかは傑作だよ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』にも非常に美しい曲がある。そういうのも好きだよ。映画を見ると、必ず音楽もチェックするんだ。たいていは気に入ることはないのだけど、たまに気に入ることもある。誰が何をやっているかによってね。

 

 

— そもそも普段音楽を聴くのですか。

 

ウリ:いや、聴かない。私は家ではピアノを弾いたりするのが好きなんだ。スコアもたくさん持っているし。演奏者よりも、コードやリズム自体を聴く方が好きなんだ。これまでも、音楽を多くは聴いていないよ。多く聴く必要性を感じないんだ。聴くときは100%集中して聴く。一度聴いてすべてのメッセージを受け取るから、二度聴くということは殆どないんだよ。もう一度聴きたいとは思わないんだ。今はオーケストラのために書いたクラシックの作品の準備をしていて、これは少しモーツァルトの『レクイエム』からインスピレーションを受けている。『レクイエム』を聴いたのは、だいぶ後になってからだった。確か83年か、82年くらい。あれを当時レコード・プレイヤーで聴いて(笑)、とても衝撃を受けた。音楽の持つパワーにね。それで、1年間あれを聴くことができなかったんだ。あまりにも完璧すぎるから。これ以上の作品はありえないと思った。1年後に再び聴いてみて、再度心を奪われたよ。そして今でも「コンフターティス」、「キリエ」、「ラクリモーサ」などは、音楽として完璧だと思う。そんな訳で、あまり音楽を多く聴く必要性が感じられないんだ。音楽を聴けば、一度ですべてのメッセージを受け取る。それか、まったく理解できないかのどちらか(笑)。

 

— ちょうど人生変えたアルバム3枚をお聞きしようと思っていたのですが。

 

ウリ:『レクイエム』は間違いなくそのうちの1つだね。その他だと、初期のビートルズのどれか。『Revolver』かな。ギターを弾き始める前にアレを聞いたのだけど、忘れることができないよ。あれは67年だったっけ?

 

— 66年ですね。

 

ウリ:ちょうどクリスマスでね。初めて「エリナ・リグビー」を聴いて、信じられないようなサウンドだった。ウィーンに母の違う姉がいるのだけど、最近彼女と話をしたんだ。ある時彼女が、家にやってきた。まだ父が生きていた頃。私もまだ小さくてギターも始めていなかった。彼女によると、私はとっても変わった子供だったらしい。私は1人で真っ暗な部屋に座って、黙ってビートルズのアルバムを聴いていたのだから。そんなことはすっかり忘れていたのだけど、言われてみれば、確かに私はそういうことをやっていたよ。そうやってアルバムを聴きこんでいたんだ。それも『Revolver』だったかもしれない。間違いなくあのアルバムは私の人生を変えた。音楽の接し始めとして、とても良いものだった。あとはやっぱりジミ・ヘンドリクスだね。クリームの『Disraeli Gears』も当時の私にとって重要なアルバムだったけど、ジミ・ヘンドリクスだと『Axis: Bold as Love』が好きだったな。アルバム全体というわけではなく、タイトル・トラックがね。『Electric Ladyland』の一部もね。これらも非常に重要だった。3枚だけだと難しいな(笑)。5枚ならもっと簡単なのだけど。それから、ドイツの指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーによる、私にとって音楽的メンターの1人であるヴァイオリニスト、ユーディ・メニューイン、彼からはフレージングについて多くのことを学んだよ。私を完全にノックアウトしたアルバムの1枚が、彼らによる、確か54年の録音だと思うけど、ブラームスのヴァイオリン・コンチェルト。確か15歳の時に聴いて、目を開かされた。この4枚でどうだい(笑)。

 

— では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。

 

ウリ:日本が恋しいよ。なるべく早くまた日本に行きたいね。ぜひ日本でソロショウをお見せしたい。日本のオーディエンスは、私のやっていることを理解してくれると思うから。まったく新しく違うことをやっているんだ。今すぐに行けないのは残念なことだけど、コンサートが再開されたらすぐに、プロモーターと話すよ。来年にはね。今年はコンサートはやれないだろうからね。君はどう思う?

 

— 規模の小さいものはやれるかもしれませんが、大きいのは難しいかもしれませんね。

 

ウリ:どうなるだろうね。とにかく日本に行きたいよ。日本に行くと、いつもスペシャルな時間を過ごせるから。