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チェティル・マンハイム
(オーダー)
独占インタビュー

『ゴスペル』は、まったくレベルが違うよ
このラインナップの持つポテンシャルを
すべて発揮していて
とても出来に満足しているよ

                                   

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文:川嶋未来

元メイヘムのマンハイム(Dr)とメサイア(Vo)、そしてカダヴァーのアンダース・オデン(G)が集まって結成されたブラック・メタル・バンド、オーダー。セカンド・アルバム『ザ・ゴスペル』がリリースになるということで、マンハイムに色々と話を聞いてみた。

 

 

ー オーダー結成の経緯はどのようなものだったのですか。誰のアイデアだったのでしょう。

 

マンハイム:実はアンダースのアイデアだったんだ。それ以前にも何度か彼からアプローチがあったのだけど、何故かうまく行かなくてね。それで2013年に再びバンドをやろうと言われて、その時は俺も時間があったから。それがこのバンドの始まりだよ。

 

ー オーダーの音楽をどのように表現しますか。デス・メタルなのでしょうか。それともブラック・メタルでしょうか。

 

マンハイム:良い質問だね。うーん、そうだな、俺はブラック・メタルだと定義するよ。だけど、他の様々なジャンルの要素も聴こえると思う。特に今回のアルバムではね。アンダースと俺でそれぞれ曲を書いて、それを混ぜ合わせたということもあるし。

 

ー ニュー・アルバム『ザ・ゴスペル』は、デビュー作と比べてどのような点が進歩していると思いますか。

 

マンハイム:今回は随分違う内容になっていると言える。『Lex Amentiae』は良いアルバムだったとは思う。強力な曲も入っているしね。一方で、あれはただ曲を集めただけで、オーダーというバンドがどんなことをできるのかというテストだったとも言える。書いてあった曲を集めて、結果としてわりと良いものになったけれど、ビッグなレコードと言えるほどではなかった。ナイスではあったけれど。レビューも良かったし。『ゴスペル』は、まったくレベルが違うよ。このラインナップの持つポテンシャルをすべて発揮していて、とても出来に満足しているよ。内容としてはとても個人的なもので、アンダースや俺にとって、このアルバムの曲を書いていた時期は、とても厳しいものだったんだ。『Lex Amentiae』は政治や宗教を題材とした、とても難解な作品だったけれど、『ゴスペル』は内向的で難解なコンセプト・アルバムで、俺たちの内面の感情を知ることができると思う。

 

 

 

ー コンセプト・アルバムなのですね。

 

マンハイム:というか、結果としてコンセプト・アルバムになったという感じかな。このバンドの歴史をどのくらい知っているかわからないけど、レネが亡くなって、メンバー・チェンジをしなくてはならなかった。それからアンダースが大病を患ってね。癌にかかったんだ。今は完治しているけれどね。それが去年のことさ。それでまたオーダーをやろうということになった時、というのもオーダーというのは継続的に活動をしている訳ではなかったからね。色々なことが起こっていたから。去年このアルバムに着手しようという話になった時に、それまでに書いていた曲は、まったく違ったテーマを持っていて、どうもしっくり来なかった。エネルギーが感じられなくてね。それで全部ボツにして、一から曲を書き始めた。そうしたら、とてもうまく行ったんだ。色々なものが湧き上がってきて、本当にクリエイティヴな2ヶ月間になった。最初の曲を書いて、それを他のメンバーのためのデモとして録音したら、とても激しいものが出来上がった。曲を書き続けていくと、自然と人間であるとはどういうことなのかという内容になっていったんだ。2ヶ月間かけて曲を作っていった結果、自然と人々が語りたがらない内面の感情についてのアルバムになったのさ。つまり人間としての苦痛。もし苦痛をすべて取り去ってしまったら、俺たちはもはや人間ではないと思うんだ。苦痛は人間であることの一部だからね。人生には友情であるとこか、様々な側面がある。だけどこのアルバムでは、人生における足掻きや苦痛というものにフォーカスしたんだ。不安であるとか。人生においてクリエイティヴたりえることの要因となるもの。タイトル曲を除いて、すべてがこういうことを扱っているから、コンセプト・アルバムという言い方をしたのさ。このアルバムにおける「ゴスペル」とは、苦痛は現実であり、その苦痛を耐えるために生きなくてはいけないということ。それがタイトルを『ザ・ゴスペル』とした一つの要素で、メッセージ。一方でタイトル曲の歌詞はメサイアが書いたんだ。他の曲の歌詞はすべて俺が書いたのだけど。タイトル曲は、独自のストーリーを持っているんだ。実話に基づいていて、内容がわかっていれば、何について、誰についてのお話なのかわかるようになっている。

 

ー 確かに歌詞を翻訳していて、タイトル・トラックだけはまったく毛色が違いました。非常に抽象的で、何のことなのかまったくわからなかったのですが、メサイアは何を表現しようとしたのですか。

 

マンハイム:ああ、歌詞を翻訳するのなら、中身を説明する義務がありそうだね(笑)。実はあの曲は、メイヘムの最初の年についてなんだよ。

 

ー そうなんですか!

 

マンハイム:「ロングハウス」という単語が出てくるけれど、当時俺たちが住んでいた場所のことなんだ。歌詞はどれもメイヘムの最初の年に起こったこととつながっているのさ。「カーニヴァル」というのは、初めてやったコンサートのこと。ロックやポップスのバンドが色々と出る、「カーニヴァル」のようなコンサートでね。お客さんが俺たちのことを気に入るはずもないことはわかっていたんだけど、とりあえず出たんだ。「羊は決して呼び声を理解しなかった」というのはお客さんのこと。これは実際にトーナメントで、一番得点の高かったバンドは、全国大会に出る権利が得られるというものだった。俺たちはもちろん0票だったけれどね(笑)。「気味の悪いダンス」というのは、ケルティック・フロストの「Dance Macabre」のことで、そのコンサートではこの曲をやったんだ。「四騎士」はもちろん俺たち四人のことで、”Seth of Hades”はユーロニモス、”The Butcher”はネクロブッチャー、”The Saviour”はメサイア、そして”スキンを叩くDominus”が俺のこと。「豚の穴蔵」というのは俺たちのリハーサル場所。俺たちは農場の納屋でリハーサルをやっていたんだよ。「落ち着かず彷徨うものたちを惹きつけ、奴らは近くから来た、奴らは遠くから来た、叫びの魔女集会に集まるため」というのは、メイヘムに興味を持った奴らが、その農場までリハーサルを見にきたということ。当時どこでもライヴをやることができなかったからね。そうするしかなかったんだ。「むさぼり食うものの城からの殺人鬼(the slayer)」というのは、『Slayer Magazine』のメタリオンのことさ。”Chateau de le Devoreur”とフランス語を使っているけれど、Sarpsborgという街のことだよ。彼がノルウェーのブラック・メタル・シーンやアンダーグラウンドの音楽について、ヨーロッパに広めたんだ。

 

ー なるほど。それで意味がわかりました。

 

マンハイム:難解に書かれているけれどね。単調にならないように、実際に起こったストーリーが書かれているんだ。

 

ー 「ガル・ル」というのは何なのでしょう。

 

マンハイム:これはメソポタミアの神話に出て来る悪魔さ。彼らの神話の中に、人々を汚した悪魔だとされるんだ。歌詞はそういうタイプの化け物についてで、宗教的な意味はなくて、体内に取り憑いて、人生の間ずっとついてまわるもののこと。死ぬまで離れなくて、俺たちが死んだ時にやっと自由になれるんだ。つまり、人間の持つ苦痛についてだよ。人間という種に最初からついてまわるもの。アルバムのイントロも同じこと。アルバムは「プニューマ」という曲で始まって、同じく「プニューマ」で終わる。最初の「プニューマ」は始まりで、生の息吹であり、不安定だけれども素晴らしいもの。アルバムの終わりも同じ曲だけれども、これはもはや素晴らしいものではなく、もっと暗くつらいものになっている。同じ曲だけれども、色々なものが付け加わっている。この曲自体は80年代から頭にあったのだけどね。今回やっと使えたんだ。

 

ー アルバムのジャケットは写真のようですが。

 

マンハイム:あれは俺の写真なんだ。Norten Stromというとても才能のあるカメラマンによるもの。彼は一切人工の光を使わず、暖炉の光だけで撮影したんだ。低露光でハイレゾの写真を撮るというやり方を使ったので、ああいう風になったんだ。もちろんその後の加工はしてあるけれどね。歌詞の内容やアルバムが表現している激しさというものをどう表現するかについて、さんざん議論をしてね。難しかったよ。あまりに露骨でもいけないし、かと言ってあまりに難解だと意図が伝わらないし。これはとてもパーソナルなアルバムだからね。俺と言う個人が写っていて、その目が何も見ていない、ある種の悲しみというものを表現しようとしているんだ。

 

 

ー オーダーというバンド名にはどのような意味が込められているのですか。

 

マンハイム:これには長い話があって、もちろんバンドをやるからにはバンド名が必要だった。バンド名をつけると、みんなその意味を知りたがる。俺たちのバックグラウンドは、「Pure Fuckin’ Armageddon」や「Mayhem」だからね、今はもう年をとってきたし、「Order(秩序)」が必要だと思って。そんな言葉遊びだったんだけど、ピンと来たのさ。俺も気に入ったんだ。とてもシンプルだし、俺たちはこの混沌の中で、ある種の「秩序」を表現しているということで。

 

ー エクストリームな音楽にハマったきっかけは何だったのでしょう。

 

マンハイム:どうだろう(笑)。わからないな。俺は小さい頃から音楽が好きでね。両親が持っていたグリーグのレコードが好きだった。色々な音楽が好きだったけれど、陰鬱なものが良くてね。古いブラック・サバスやユーライア・ヒープとか。それが始まりだった。成長するにつれて、今ヘヴィメタルと呼ばれる音楽を聴くようになった。モーターヘッドやAC/DCとか。当時これらのバンドがどう呼ばれていたか忘れてしまったけれど。パンクも好きだった。政治的なものも、アグレッシヴなものも、どちらも好きだったんだけれど、やっぱり陰鬱なものが好きでね。それでブラック・サバスが大好きだったんだ。まあ当時あらゆる種類の音楽を聴いていたよ。もちろんポップスとかカントリーは聴かなかったけれど。ピンク・フロイドのようなプログレも聴いていた。自分で音楽をやろうということになった時に、俺はかなり早い段階からドラムに興味を持っていたんだ。ドラムを学びたくて、地元のマーチング・バンドに入ったくらいさ。それでますますリズミックな音楽に興味を持ってね。それからメタリカを聴いて、あとヘルハマーとか。何か新しいバンドを聴くたびに、さらにアグレッシヴなものになっていたよ。俺も、ヨルン(ネクロブッチャー)も、そうやってアグレッシヴな音楽に惹きつけられていったんだ。ヘヴィメタルやロックはメロディックな方向に行っていたけれど、俺たちが逆方向に行きたかったのさ。バンドを結成すると、モーターヘッドのカバーをやったりした。簡単だったからね(笑)。何か音楽を聴いて、それが自分の中にあるものに共鳴する。これが一番の説明じゃないかな。どんな音楽を聴いているにせよ、その音楽は、自分が内面に持っているものを映し出していなくてはいけないということ。メイヘムでは過去に聴いた音楽よりも、さらにエクストリームなものを作りたいと思っていたよ。さらにアグレッシヴなもの。もちろん当時としてはだけれどね。他の人たちが俺たちに感じさせてくれたものを、俺たちも他の人たちに感じさせたかったから。そうやって限界を押し進めていったんだ。俺は後にノイズをやるようになった。すべての構成を取り払って、サウンドスケープそのものを探究するんだ。日本には本当に素晴らしいノイズのアーティストがいるよね。音楽を楽しみ、プレイするためには、その音楽に自分と共鳴する波長がある必要があるんだよ。

 

ー 『Deathcrush』の頃は、どのようなバンドからインスピレーションを受けていたのでしょう。

 

マンハイム:そうだね、たくさんいるけれど、どんなものを聴いていたかというと、スレイヤー、もちろんヴェノム。ケルティック・フロストもよく聴いていたな。インスピレーションという点では、ケルティック・フロストが一番大きかったかもしれない。もちろん耳にしたものはすべてやっていることに影響を与えただろうけれど。ヘルハマー、ケルティック・フロスト、それからバソリーは間違いなく大好きだった。ヨルンとオイスタイン(ユーロニモス)はヴェノムが大好きでね。だからインスピレーションは受けていただろう。俺はそれほどでもなかったのだけれど。ヴェノムは聴いてはいたし、今でも聴くことはあるよ。何曲か素晴らしい曲があるから。人々は気づいていないかもしれないけど、俺たちはエクスペリメンタルな音楽からもインスピレーションを受けていた。70年代のアーティスト、例えばコンラッド・シュニッツラーとか。彼はアルバムにも参加してくれているし。当時こういう音楽から影響を受けていたバンドはそういなかったんじゃないかな。

 

ー コンラッド・シュニッツラーについてお伺いしたかったのですが、彼がアルバムに参加した経緯はどのようなものだったのでしょう。ユーロニモスがアポ無しでコンラッドの自宅を訪問したという話を聞いたことがあるのですが、これは本当なのでしょうか。

 

マンハイム:(笑)。うーん、イエスでありノー。彼はそのような説明をしていたようだけれど、俺の記憶は違う。残念ながら彼は死んでしまったからね、もう彼から話を聞き出すことはできないけれど。いずれにせよ俺たちは、コンラッドの大ファンだった。初期のタンジェリン・ドリーム、彼のソロ作品、それからクラスターも。アモン・デュールやクラフトワークとか、当時のドイツの音楽が大好きだったんだ。それで彼とコンタクトをとってね。手紙のやりとりを始めた。彼は答えをビデオテープで送ってきてね。VHSの。それでビデオを見たら、それを送り返すんだ。ビデオテープは安いものじゃなかったからね。それでオイスタインと俺は、『Deathcursh』をコンラッドに聴いてもらって、イントロを作って欲しいとお願いをしたんだよ。彼が実際に「Silvester Anfang」を送ってくれた時は、大喜びだった。これが俺の記憶さ。コンラッドはその後メイヘムに起こったことを聞いて悲しんでいたようで、殺人等と結びつけられることを嫌がっていたみたいだ。オイスタインがコンラッドの家を訪問したことは事実だよ。だけど、コンラッドは訪問客をあまり好まないし、ベルリンを離れたがらないんだ。おそらくユーロニモスの話は一部本当なのだろうけれどね。誰かが玄関に出てきて応対はしたのかもしれないし、オイスタインが家を訪ねたのは本当だよ。

 

ー 当時のメイヘムにとって、パンクやハードコアからの影響は大きかったですか。

 

マンハイム:もちろん。メロディックなものではなく、デッド・ケネディーズとかジ・エクスプロイテッドなんかは大好きだった。クラッシュとかは好きじゃなかった。もっとアグレッシヴでポリティカルなパンクが好きで、オイスタインと俺はパンクのサイド・プロジェクトもやっていたくらいさ。パンクからの影響は大きかったよ。ちょうどメイヘムがパンクのカバー作品を出したところだよね。メサイアはパンクへの興味の方が大きくなって、メイヘムを辞めた後はパンク・バンドをやっていたよ。

 

ー あなたはメイヘムを辞めた後もメタルを聴いてはいたのですか。

 

マンハイム:聴いていたよ。あまり活動はしていなかったけれど。メイヘムを辞めた直後は、個人的に酷い時期でね(笑)。それだけで手いっぱいだったのだけれど、90年代の半ばくらいからまたシーンに関わるようになった。色々プロジェクトなどをやっていた訳ではなく、ただウロウロしていただけだけれど、みんなとはコンタクトを取っていたし、もちろん音楽も聴いていたよ。音楽は俺の一番の興味だからね。俺自身の活動としてやっていたのはノイズだった。ノイズのコラボレーションをやったり、再びコンラッド・シュニッツラーとも一緒にやったよ。The Residents & Big Robotというプロジェクトさ。とても俺に合っていたんだ。ずっとメタルもノイズとかのアヴァンギャルドな音楽が好きだよ。メタルの世界に戻ってきたのは、家に帰ってきたような感じだね。ノイズはワン・プロジェクトなのがいいね。例えば作品を一つ作ったり、パフォーマンスをやれば、それで完了。もちろんメルツバウのようなアーティストもいるけれど、俺は一つ一つプロジェクトとしてやる方が好きなんだ。またメタルをやるということは、バンドに加入して曲を作るということだからね。ノイズのパフォーマンスは、メタルとは随分違うものなんだよ(笑)。

 

― 90年代のブラック・メタルの事件についてはどのように見ていましたか。

 

マンハイム:それは答えるのが難しいな。もちろんみんな友人だったからね。もしオイスタインの周囲についてのことであれば、彼は彼の新しい生活の基盤を作り上げようと足掻いていたのだと思う。というのは当時彼は孤独だったからね。彼は自分のお店にたくさんの人を集めたり、レーベルをやってアルバムをリリースしようとしたりしていた。とても奇妙な時期だったよ。混沌としていて。混沌という言葉が一番さ。オイスタインが『De Mysteriis Dom Sathanas』を完成させられたのは良かったと思うよ。リリースを目にすることはできなかったにしても、彼はあの作品にとても熱狂的だったからね。クリスチャン(ヴァーグ)がオイスタインを殺してしまったことは悲劇だし、もちろん殺人は常に悲劇なのだけど。まあ俺もあの事件のことは今も理解できないよ。クリスチャンはとても若くて、精神的にも混乱していたのかもしれないね。後にナチがどうのと言い出したり、何か問題のある子供だったんだろう。他に色々とメイヘム周囲で起こったことも含め、あれは間違いなく悲劇だったよ。

 

ー ユーロニモスはどのような人物だったと言えますか。

 

マンハイム:彼は親友だったよ。オイスタインとは音楽的な興味をたくさん共有していた。ロックスターになろうなんていうことよりもずっと深いものをね。俺はロックスターになることではなく、音楽を探究することに興味があったから。そういう点においては、オイスタインは俺よりも野心的で、彼はメイヘムでツアーをやりたがっていたけれど、俺はアルバムを作りたかった。彼はとてもインテリジェントで、彼と話すのは楽しかったよ。俺は本を読んでそれをきちんと理解する人間が好きだからね。彼は表面的ではなく、音楽に深く興味を持っていたよ。サウンドスケープや、どうやって違うサウンドを作るかなんていう議論をしたものさ。俺たちはどちらもあらゆる種類の高度な音楽が好きだったからね。彼は良き友であり、良きディスカッションの相手だった。政治や哲学、音楽なんかについてディスカッションをした。共通のインテリジェントな話題を持っていたんだ。彼は賢くて成績も良かった。ミドルクラス、アッパー・ミドルクラスの出身で、自分のやりたいことをやる手段も脳みそも持ち合わせていたのさ。物理や数学なんかは俺よりもずっとよく出来てね。俺はそういう科目は苦手で、社会科の方が得意だったんだ(笑)。とてもナイスガイで、もちろんそうじゃなかったら、一緒にバンドなんてやらないよ。ヨルンと俺は幼稚園から一緒で、ずっと良く知っていて、それで一緒にバンドをやれる奴を探していてね。それでオイスタインと知り合ったんだ。俺にとっては相性ピッタリの相手で、それは彼にとってもそうだったと思う。

 

ー 先ほどユーロニモスのことを「孤独だった」と表現していましたが。

 

マンハイム:俺の意見だけれどね。彼のお店にはたくさんの人が集まっていたけれど、彼らはみんな年下で、メタルという世界において、彼のことを尊敬していた。だけど、実際に彼と物事を議論できるような相手はいなかったように思う。もちろん俺がいたし、彼が殺される数日前までコンタクトを取っていたけれどね。だけど、日々の生活においては、彼は自分のアイデアやヴィジョンを共有できる相手はいなかったんじゃないかな。それに当時、彼は周りにいた人たちに対してかなり攻撃的になっていた。俺の知っていたオイスタインは、音楽を議論したりする成熟した人間だったのだけどね。イーヴルなレコードショップのオーナーというイメージを作り出そうとしていたのかもしれない。それが本当の彼だったのかはわからないな。そのせいで彼は疲弊してしまったんじゃないかな。物事が悪化してしまったのは、俺やヨルンがいなかったせいで、彼に同等に意見できる人物がいなかったからだと思う。そういう意味で、彼は孤独だったということさ。

 

ー お気に入りのアルバムを3枚教えてください。

 

マンハイム:『Morbid Tales』は間違いなく入れなくちゃならないね。たった3枚となると難しいな。20枚とかならともかく(笑)。たくさんの音楽が好きだからね。初期のナパーム・デスかな。『Scum』。このアルバムでは露骨にケルティック・フロストが参照されているよね。スレイヤーも挙げたいんだけどね。スレイヤーは大好きだし、よく聴くのだけど、アルバム単位ではなくて曲ごとになんだ。そうだ、モーターヘッドの『Iron Fist』。とても良いアルバムなのだけど、過小評価されていると思う。それにあれに収録されている「(Don’t Need) Religion」は、ヨルンと一緒に初めてやった曲なんだ。

 

 

文 川嶋未来

 


 

 

 

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2021年10月1日発売

オーダー

『ザ・ゴスペル』

CD

【CD収録曲】

  1. ヌーマ
  2. ライズ
  3. ブリンガー・オブ・ソルト
  4. イット・バーンズ
  5. ザ・ゴスペル
  6. ガル・ル
  7. ディセンド
  8. ラスト
  9. マイ・ペイン
  10. トゥーム
  11. ヌーマ・II
  12. サヴェージ [日本盤限定ボーナストラック]

 

【メンバー】
チェティル・マンハイム(ドラムス)
ビリー・メサイア(ヴォーカル)
アンダース・オデン(ギター)
ストゥー・マンクス(ベース)