ー ニュー・アルバム『リサージェンス』がリリースになります。過去の作品と比べて、どのような点が進化していると言えるでしょう。
カム:新しいミュージシャンを迎えているからね、多くの点で進歩があるよ。ロッガ・ヨハンソンとジョニー(ペッターソン)の二人とは、以前にも一緒にやったことがあるし。特にロガとはBone Gnawer、Grotesquery、The Skeletal、それから彼自身のバンドにも参加したことがあって、もう15年くらい色々やってるんじゃないかな。ジョニーとも、ここ5年くらい一緒にやってるんだ。俺がマサカーに戻ってやりたかったのは、オールドスクールのスタイルを取り戻すこと。と言うのも、テリー(バトラー)とリック(ロズ)が作った前回のマサカーのアルバムでは、彼らはもっとモダンなサウンドにしようとしていて、チューニングもBだったし、サウンドもモダンだった。あれはファンが望むものではない。ファンはマサカーにモダン化して欲しいとは思っていないよ。ファンは85-87年、あるいは91年の『From Beyond』のマサカーのサウンドが気に入っている訳だからね。あの時のサウンド、少なくとも可能な限りそれに近いサウンドにしなくてはと思ったんだ。ロガ、ジョニー、それからギター・ソロでスコット(フェアファックス)が参加することが決まって、彼ら3人ともが初期のマサカーのファンだからね。彼らが最初にした質問は、「チューニングはどうする?」だった。それで「Dだよ」って答えたら、それが初期マサカーのチューニングだからね、3人とも喜んでいたよ。「イエス、グレイト!Dでやろう!」って。BやAみたいなモダンなチューニングではなく、Dでやるということはとても大切なことだった。それから、ギタリストは二人ともスウェーデン人だから、彼らには「無理してフロリダのサウンドにしようとはしないでくれ」と伝えた。俺はスウェディッシュ・デスも大好きだから、自分たち独自のデス・メタルのスタイルも取り込んでくれと。だから、スウェディッシュ・デス・メタルとフロリダのサウンドがミックスされたものになっていると思う。とてもうまくブレンドできたよ。それにすごく早く仕上げることもできた。
ー 歌詞のテーマについてはいかがでしょう。明らかにラヴクラフト色が強いですが。
カム:『From Beyond』では、すべてがラヴクラフトについて、というかラヴクラフトっぽいというものもあったけれど、今回はもっとタイトで、「インスマスを覆う影」、「ダゴン」、「クトゥルフの呼び声」の一部、「狂気の山脈にて」とか、ラヴクラフトの作品から主題を選んだ。アルバムは3つのサイクルに分かれていて、最初が「ジ・インスマス・サイクル」、次が「ザ・ヴォイド・サイクル」、最後が「ザ・カースト・デッド・サイクル」になっている。「カースト・デッド・サイクル」は、『From Beyond』の曲に関係していて、「スポーン・オブ・サッキュバス」は「サッキュバス・パート2」みたいなものだし、「リターン・オブ・ザ・コープスグラインダー」はもちろん「コープス・グラインダー」のパート2。この2曲はダイレクトに『From Beyond』に入っていた曲とつながっているのさ。
ー これらのサイクルは歌詞のテーマで分けられているのですか。それとも音楽的にも違いはあるのでしょうか。
カム:どっちもじゃないかな。まあ基本的には歌詞の内容で分けたのだけれど、『From Beyond』の1曲目「Dawn of Eternity」、それから今回の1曲目「エルドリッチ・プロフェシー」、そして『From Beyond』の2曲目「Cryptic Realms」、今回の2曲目「ルインズ・オブ・ルルイエ」と聴いてみれば、それぞれ音楽的に似ていることがわかると思う。これはとても重要なことで、ギタリストたちに「どういうアルバムにしたい?」と聞かれた時、俺は「『From Beyond』を聴いて、どう感じるか教えてくれ」と答えたら、「『Dawn of Eternity』みたいなものを書きたい」とか、ロガは「『Defeat Remains』みたいなものを書きたい」みたいな声が上がって、それじゃ書き上がったら聴かせて欲しいと。それでアルバムとして成立するか確認するからということだったのだけど、出来上がってみたらとてもうまく行っていてね。それぞれのギタリストが5曲ずつ書いて合計10曲なのだけど、それぞれ『From Beyond』の曲からインスピレーションを受けて、シンクロニシティというか、とてもうまく行ったんだ。アルバムを作るのが、とても楽しかった。こんなことはあの当時以来初めてだよ。マサカーの活動の中で、ここ30年の中で一番楽しかったよ(笑)。正直最初のアルバム以降楽しくなかったからね(笑)。
ー 「ザ・ヴォイド・サイクル」というのはどういう意味なのですか。
カム:「ザ・ヴォイド・サイクル」は、どの曲も『From Beyond』とのつながりが大きい。前作では、テリーが俺のタイトルをパクって『Back from Beyond』としていたから、曲のタイトルとかに「Beyond」という単語を使いたくなかったんだ。「From Beyond」とか「Further from Beyond」とかね。それで「Beyond」って何なんだろうって考えたら、「宇宙の次元」とか、あるいは「ワームホール」みたいなものとか、そういう次元と関係があるものだと思った。それに何か近い言葉はないかとなった時に「void」を思いついたんだ。領域と領域の間にある空虚。ワームホールとか、次元の扉、スターゲートとか。それに『ザ・ヴォイド』というホラー映画も大好きだし。それでこれが良い単語じゃないかと思ったのさ。「ザ・ヴォイド・サイクル」の曲は、まあ「ザ・ブック・オブ・ザ・デッド」は、これは聴いてもらえばわかる通り、「Evil Dead」のパート2みたいな曲だけど(笑)、それ以外の曲は、何となく歌詞的に『From Beyond』のパート2だと言ってしまって構わないと思う。なるべく「Beyond」という単語は使わなかったけれど(笑)。
ー Insidious DiseaseやBenedictionのメンバーなどがゲスト・ミュージシャンで参加をしていますが。
カム:実を言うと、俺はInsidious Diseaseにゲスト・ヴォーカルで参加したし、Benediction、Cadaverのアルバムにも参加したんだ。実はCadaverのアンダースが参加してくれた曲もあって、それはアルバムではなくEPに入ってるんだ。もともとはEPが先に出る予定だったのだけど、コロナのせいで色々変更になってね。アルバムのリリースも遅れて、EPはこの後出ることになっている。という訳で、俺がゲスト・ヴォーカルをやったニュークリア・ブラストのアーティストにお返しをしてもらったというか、「今度は俺のアルバムにゲスト参加してくれないか?」みたいなシンプルな話さ(笑)。俺たちが曲を書いてレコーディングしたのは、ちょうどパンデミックの期間だったから、タイミング的にもパーフェクトだった。みんなツアーに行けなかったからね(笑)。
ー アルバム・タイトルを「リサージェンス(復活)」としたのは何故でしょう。もちろん意図は十分わかりますが。
カム:(笑)。もともとのタイトルは『エルドリッチ・プロフェシー』だったんだ。だけど、個人的に曲のタイトルをアルバムのタイトルにするのは好きじゃなかったから、何か別のタイトルを考えなくちゃと思っていた。ある時ロガとFacebookでやりとりをしていた時に、彼が何気なく会話の中で”resurgence of old school death metal”と言ったのを聞いて、「これだ!」と思って。ロガは「『エルドリッチ・プロフェシー』で行くんじゃないのか?」って言っていて、そっちのタイトルが気に入っていたようだったけれど、「resurgence」という単語は明確にすべてを説明するものだったからね。バンドの復活、俺のマサカーへの復活、こういうスタイルの音楽の復活。パーフェクトな言葉だと思ったのさ。これもシンクロニシティさ。たまたまロガが会話の中で使った言葉がタイトルになった訳だから。
ー アートワークについてはいかがですか。ウェス・ベンコースターには細かい指示をしたのでしょうか。
カム:ウェスに連絡をとったのは、オートプシーのアートワークが気に入っていたからなんだ。スレイヤーのアートワークをやったことも知っていたけれど、そのことでは彼のことはよく知らなかった。それで彼に連絡をして、何しろ現代はフェイスブックで簡単に連絡が取れるからね、自己紹介をして、「マサカーの新作のアートワークをやってくれるか」と聞いてみたんだ。どんなアートワークが欲しいのかと聞かれたので、非常にラヴクラフトっぽいやつと伝えると、ぜひやりたいと。彼はラヴクラフトが大好きだったけれど、ラヴクラフトをテーマにしたアートワークは描いたことがなかったんだ。それでテーマがラヴクラフトで、あとは自由に描いてくれるようお願いした。出来上がっていたら、ダゴンもいるし、ミ=ゴもいる。もともと俺が考えていたアートワークは、目のあるオベリスクだけのシンプルなものだった。そのことはウェスには伝えていなかったにもかかわらず、彼のアートワークにはそれが描かれていたんだ。仕上がりにはとても満足しているよ。特にカラートーンが素晴らしい。海の底みたいなフィーリングが欲しかったからね。それも伝えていなかったのに。
ー そもそもエクストリーム・メタルを聴き始めたきっかけは何だったのですか。
カム:10代の頃、俺はもともとパンクのドラマーだったんだ。当時ディスチャージやG.B.H.なんかを聴いていて、だけど学校で俺がそういうものを聴いているということを知る奴すらいなかった。俺はアウトサイダーだったからね。80年代初めという随分早い時期からテープトレードを始めて、モンテ・コナー(後にロードランナー・レコードのSenior Vice Presidentになる人物)ともトレードをしていたんだ。当時彼は大学でラジオをやっていてね。その音楽を色々と送ってくれた。当時のアンダーグラウンドのメタルさ。もともとは色んなパンクを聴きたくてテープトレードをしていたのだけど、モンテはメタルのテープを色々と送ってきたんだ。それで、初めて本当にメタルを良いと思ったのは、アクセプトの「Fast as a Shark」だった。あれで初めてツーバスというものを知った。本当にぶっ飛んだよ。パンク用の簡単なキットしか持っていなかったから、どうやってあんな演奏をするのかわからなくてね。それでアクセプトやレイヴン、初期のスラッシュなんかを聴くようになっていったんだ。カナダのエキサイターにもハマった。ダン・ビーラーはドラムを叩きながら歌っていたからね、その点で大きな影響を受けた。それからリック(ロズ)と出会ってマンタスを始めると、ヴェノムのカバーをたくさんやった。その後チャック(シュルディナー)と出会ってね。それで彼らに「ダン・ビーラーはドラムをやりながら歌ってる。俺にも同じ事をトライさせてくれ」って言って。
ー その後に加入したマサカーはもともとコピー・バンドだったんですよね。それをあなたがデス・メタル・バンドに変えたんですよね。
カム:その通りさ。
ー マサカーではどのような音楽をやろうと思っていたのでしょう。すでに「デス・メタル」をやろうと明確に思っていたのでしょうか。
カム:思っていたよ。彼らに紹介された時に、まずアラン・ウェストに会って、彼はオリジナル・ギタリストだったのだけど、アランが俺を迎えにきて、ビルの家でミーティングをするはずだったんだ。ところがアランが現れず、俺は彼がくれた手書きの地図を頼りに、スケートボードで1時間半くらいかけてビルの家まで行ったんだ(笑)。当時俺はスケート・パンクだったから。それでビル・アンドリュースとマイク・ボーダーズに会った。結局アランは来なくて、それで彼らにどういうのをやっているのかと聞いたんだ。何となくは知っていたのだけれど。彼らはオーディションだとは言わなかったけれど、明らかに俺をオーディションしている雰囲気があってね。アンスラックスとか、あと何と言っていたかな、そういうカヴァーをやっていると。それでエクソダスの「Piranha」をやれるというので、俺も知っていたから歌ったんだ。彼らもずっと微笑んでいてね、俺の歌を気に入っているようだった。終わったあとに「俺たちにはシンガーがいるのだけど、いまいちなので」と言い出して、俺は事情を知っていたから遮って、「加入するよ。だけど、やるのはデス・メタルだ」って言ったんだ。俺が入るのなら、スラッシュじゃなくてデス・メタル・バンドになるとね。彼らはすでに「Death in Hell」を書いていて、アランは「Aggressive Tyrant」を書き始めていたところだった。バンドみんなで集まって初めて書いたのは、「Mutilated」だった。これらのアランが書いた3曲は、アルバムには収録されたことがない。もちろんデモとしては発表されているけれどね。とにかく俺が入るならデス・メタルをやるということだったんだ。俺は数ヶ月前にデスを抜けたばかりで、ああいう音楽を続けたかったからね。あの頃俺はタンパに引っ越して、チャックはスローターに加入するためにカナダに行って、確か2週間だけ滞在して、それからカリフォルニアに移った。チャックはデスの曲を持ってカリフォルニアに行って、そこでデスをやっていた頃、俺はタンパでマサカーをやっていたんだよ。
ー 当時他のメンバーは、デス・メタルが何か知っていたのでしょうか。
カム:ビルとテリーは、デスがナスティ・サヴェージのオープニングをやったショウに来ていたんだ。1984年の大晦日のショウだった。彼らはそれを見て、デス・メタルというものを知ったんだ。ビルはこういうスタイルの音楽をやりたいと思っていたようだし。ビルが最初に聞いてきたことの一つは、俺がドラムを叩きたいかということだった。だけど、俺はフロントマンをやりたかったからね。俺はパンクのドラマーであって、メタルのドラマーではなかったから。オールドスクールなパンクやハードコアは叩けたけれど、メタルは得意じゃなかった。ビルはフルのキットを持っていたし、ツーバスも踏めたから、彼がドラムを担当することに何の問題もなかったよ。
ー その頃マサカーに興味を持ったレーベルは無かったのですか。
カム:(笑)。面白い質問だね。1987年に、自分たちで東海岸を回るツアーを企画したんだ。これの一番の目的は、フロリダからニューヨーク・シティまで行って、ロードランナー・レコードと話をすることだった。この時にとてもガッカリする出来事があってね。担当者の名前は忘れてしまったのだけど、ロードランナーのオフィスにいた奴の一人が、俺のことを侮辱して、このことはいまだに考えるんだけど、「アジア人のヴォーカリストと4人の白人のバンドなんて、真面目に受け取るやつはいないよ」と言われたんだ。
ー それは酷いですね。
カム:そうなんだよ。信じられなかった。そして、その言葉は俺よりも他の4人に深く響いたようだった。それでフロリダに戻ると、バンドは解散。リック、テリー、ビルの3人はチャックのところに行って、デスに加入したのさ。家に帰ってわずか7日後にね。土曜日に帰ってきて、次の日曜日に、彼らはバンドは解散した、俺たちはデスに入ると言い出したんだよ。
ー 酷い話ですね。当時もうデス・エンジェルなんかも出てきていたでしょうし。
カム:そうさ。忘れられないよ。モンテは悪いと思ったのか、ミーティングの後俺たちにピザをご馳走してくれたんだけど、さすがにあの侮辱の対価がピザではね(笑)。フロリダからわざわざニューヨークまで行って、まともに会話すらすることもできなかったのだから。
ー 1989年にマサカーは復活しますが、これは何がきっかけだったのでしょう。イヤーエイクからのリクエストだったという話もありますが。
カム:あの頃ナパーム・デスが、タンパのモリサウンド・スタジオで『Harmony Corruption』のレコーディングをしていたんだ。彼らはヨーロッパ・ツアーから戻ってきたばかりのモービッド・エンジェルと一緒にライヴをやる予定もあってね。それに招かれて、ナパーム・デスに会い、それからバックステージにいたら、デイヴィッド・ヴィンセントがやって来て、「なあ、マサカーを再結成するべきだよ」と言うんだ。何故かと聞くと、彼らはヨーロッパから戻ってきたばかりで、イギリスではマサカーが大人気だと。だけど俺はバンドをやっていなかったから、メンバーもいなかった。そうしたら、デイヴィッドがベースは自分が弾くと。さらにリックが数週間前にデスをクビになったから、彼に連絡するべきだと言われたのだけど、デスのことは追っていなかったから、初耳だった。これが始まりだった。その時デイヴィッドに電話番号を教えたんだ。すると数日後、イヤーエイクのディグビーから電話がかかってきて、「デイヴィッドと話したんだけど、マサカーの再結成についてどう思うか」と言われたんだ。彼らのアイデアは、デイヴィッド・ヴィンセントがベースで、はっきりと覚えていないけれど、モービッド・エンジェルのドラム(ピート・サンドヴァル)、それからリックというものだったはずさ。どういう訳かディグビーはすでにリックと話をしていて、リックが君と話したがっていると。それで3日後、リックが俺の家にやってきたんだ(笑)。「マサカー再結成の話は本当なのか?」と言うので、「おそらく本当だよ」って。面白いことに、この時リックはジェニトーチャラーズでプレイしていたんだ。シンクロニシティがわかるかい?後にデイヴィッド・ヴィンセントは(ジェニトーチャラーズのヴォーカリスト)ジェンと結婚するんだからね。リックがベーシストに心当たりがあると言って連れてきたのが、ブッチ・ゴンザレスだった。リックは曲もあると言っていたのだけど、それらは実は彼がジェニトーチャラーズ用に書いていたものだったんだ。『The Second Coming』デモ(90年)の曲のいくつかは毛色が違うのは、そういう訳なんだ。スラップが入っていたり。それからウィプラッシュのジョー・カンジェローシにフロリダに来てもらって。そうやってマサカーは復活したんだ。
ー 現在のオールド・スクール・デス・メタルの盛り上がりをどう見ていますか。
カム:起こるべくして起こったものさ。すべてものに10年、20年というサイクルがあるからね。デス・メタルは90年代初めに盛り上がって、90年代後期にブラック・メタルが出てきたことで人気が下がった。それから色々なスタイルのメタルが出てきた。今起こっていることは、俺が若い頃、俺は80年代に育ったのだけど、その時に興味を持った音楽の一部は、親父のものだった。親父のジミ・ヘンドリクスのアルバムなんかを聴いていた。それと同じように、オールドスクール・デス・メタルに興味があるとは思えないような若い子たちが、オールドスクール・デス・メタルを好きになっている。まだ18歳になったばかりのような子たちが、「お父さん、お母さんが持っていたCDを聴いて好きになりました」なんて言ってくるんだ。さっきプエルトリコからんインタビューを受けたのだけど、まだ若い子でね。本当に感銘を受けたよ。「13歳の時に父が『From Beyond』のCDをくれて」なんて言っていた。最高だよ。当時デス・メタルを聴いていた人たちが親になり、その子供たちが今ティーンエイジャーになって、当時の音楽を探しているんだ。それでオールドスクール・デス・メタルが盛り上がっているのだと思う。
ー 今後の予定を教えてください。コロナでなかなかツアーも難しいと思いますが。
カム:大変だよ。2020年にブッキングしたたくさんのフェスティヴァルが今年に延期になって、またそれが22年に延期になっている。まだキャンセルになっていないものもあって、それらが開催されるのであれば、もちろんプレイするよ。とてもフラストレーションが溜まるシチュエーションさ。一方で、曲は書き続けているし、自分たちでシングルを出す予定もある。『From Beyond』の30周年記念のシングルを、たくさんのゲストを迎えて作ったんだ。これは6月にリリースしたよ。ネクロフェイジアのキルジョイへのトリビュートも作っていて、これは12月に出す予定さ。たくさん曲は書いていて、すでに次のアルバムを作れるくらいの量になっている。それから、今回のアルバムのメンバーは、あくまでレコーディングのためだということは言っておきたい。俺とマイク・ボーダーズはバンドのコアだし、ジョニーはヨーロッパのツアーには参加するかもしれないけれど、ロガやブリンジャーはツアーはやならいし、スコットはソロを弾いただけだからね。アメリカ、ヨーロッパで違うメンバーということになるかもしれない。色んなミュージシャンとやるのが好きだからね、とても面白いことになると思うよ。今の時代、テクノロジーのおかげで世界中の誰とでもバンドをやれるからね。80年代にはこんなことは想像もできなかった。君もネクロフェイジアでやっていたからわかるよね。本当に楽しいよ。一緒にやりたい人間はいっぱいいて、今それを実現しているんだ。テクノロジーのおかげでね。
ー お気に入りのアルバムを3枚教えてください。
カム:まずはセルティック・フロスト(カムはセルティックと発音)の『Morbid Tales』。なぜかわからないけれど、このアルバムはいつも聴いてしまう(笑)。本当にいつも。それから、これはメタルじゃないけれど、ミスフィッツの『Walk among Us』。ミスフィッツは大好きで、メタルを聴くようになる前に『Walk among Us』を聴いたのだけど、こういうのをやりたいと思ってドラムを始めたんだ。それから、うーん、よく考えないと。俺は色んなものを聴くからまたメタルじゃないけれど、ジョン・カーペンターの作品が大好きなんだ。彼の音楽はいつも聴いている。個人的には今はメタルやパンクよりも、サウンドトラックを聴く方が多いんだ。それからゴブリンも大好き。
文 川嶋未来
【CD収録曲】
- エルドリッチ・プロフェシー
- ルーインズ・オブ・ルルイエ
- ジ・インスマス・ストレイン
- ザ・ウィスパラー・イン・ダークネス
- ブック・オブ・ザ・デッド(ネクロノミコン・エクス・モーティス)
- イントゥ・ザ・ファー・オフ・ヴォイド
- サーヴァンツ・オブ・ディスコード
- フェイト・オブ・ジ・エルダー・ゴッズ
- スポーン・オブ・ザ・サキュバス
- リターン・オブ・ザ・コープス・グラインダー
【メンバー】
カム・リー(ヴォーカル)
マイク・ボーダーズ(ベース)
スコット・フェアファックス(ギター)
ロッガ・ヨハンソン(ギター)
ジョニー・ペッターソン(ギター)
ブリンヤル・ヘルゲトン(ドラムス)