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片方マネージャー×ANTHEM 柴田直人

「ナイト・ゲーム2020誕生秘話を語る Vol.1」

RELEASE INFO

文:藤井徹貫

ANTHEMのリーダー柴田直人。西城秀樹の所属事務所アースコーポレーションの発足当時から35年の長きにわたり、マネージャーを務めた片方秀幸。一見したところ、まったく接点のない二人。しかし、彼らには、約30年前からの知られざる結びつきがあった。引き合わせたのは西城秀樹とグラハム・ボネット。この稀有なヴォーカリストに端を発した縁が、今、結実した。HIDEKI SAIJO with ANTHEM feat. Graham Bonnet「ナイト・ゲーム2020(Night Games)」。柴田と片方、二人の縁を紐解きながら、新作完成までの軌跡を、2回連載でお届けする。

 

六本木の夜。話題はユーライア・ヒープ

 

柴田:最初にお会いしたのは80年代末ですよね。ANTHEMのヴォーカルが森川之雄になったのが88年で、そこから1年ほどして、バンドが事務所から独立するのと、日本のミュージックシーンが激変するタイミングが重なりまして。これからどういう活動をすれば、ANTHEMの音楽をより多くの人たちに届けられるか模索している中、たまたま知人を通じ、西城秀樹さんのマネージャーである片方さんを紹介していただいて。

 

片方:当時、市ヶ谷にあった事務所でお会いしたのが最初でしたね。

 

柴田:坂を登って…。

 

片方:そうです。僕も、あのANTHEMの柴田さんとお会いできると思うと、緊張していました(笑)。僕がまだ学生だった頃、ANTHEMがデビューして、当時のバンド仲間やロック好きな友達の間でも、日本にも凄いバンドがいた!と話題になっていましたから。

 

柴田:年齢的に、僕はヒデキさんの3つくらい下なので、ヒデキさんがデビューされた頃は、ちょうど音楽と野球に熱中していた時期です。当たり前のように新曲が出るたび、テレビやラジオを通して聴いていました。「チャンスは一度」とか、「情熱の嵐」とかは、よく口ずさんでいました(笑)。そんな思い出を甦らせながら、音楽業界のマネージメントの話だけではなく、ヒデキさんの裏話みたいなものもうかがえると楽しいだろうなと、市ヶ谷の坂を登りながら心の中では思っていました(笑)。

 

片方:僕がヒデキさんの事務所に入った頃は、「ギャランドゥ」や「ナイト・ゲーム」でエネルギッシュなステージをやっていたけど、30歳を越えたあたりから「西城秀樹は日本のフランク・シナトラを目指すべきだ」と、大人路線というか、そういう周囲の声が強くなっていましたね。そういう時期だったから尚更、ロック好きな僕としては、ヒデキさんのためにもANTHEMの柴田さんと会えるのは、チャンスだと思いました。で、ときどきお会いする仲になって…。

 

柴田:あるとき、ヒデキさんが撮影やテレビ出演でお使いなった靴とかをね。

 

片方:そんなこともありましたね。事務所としては、もう処分するしかない備品と言っては申し訳ないですが…。

 

柴田:「もし使えるものがあれば」と言っていただいたことがありました。結局、段ボール箱にいろいろ持って帰りましたね(笑)。その中には、ほぼ新品のブーツがあったり、革ジャンがあったりして、本当にお世話になりました。

 

片方:いえいえ。僕からもいろいろ相談させてもらっていましたから。

 

柴田:そうこうしているうち、まだ辛うじて80年代だったか、もう90年代になっていたか、記憶が微妙ですけど、ヒデキさんを日本のロックバンドが囲んで、ロック談義をするという雑誌の企画がありました(このときの写真は、『FRIDAY』の西城秀樹追悼記事にも掲載された。西城秀樹の隣に柴田直人がいる)。あれ、片方さん経由で声をかけもらったんでしたよね。

 

片方:そうでした。六本木でね、集まりましたね。

 

柴田:2、3時間でしたかね。貴重な思い出です。今でもハッキリ覚えているのがユーライア・ヒープの話題。あのバンドの名前が、ヒデキさんの口から出てきたのに少し驚いていたら…。「リー・カースレイクのドラムがいいよね」と仰って。正直、これには驚きました。リー・カースレイクは特にテクニシャン・タイプのドラマーではなかったし、どちらかといえば地味な存在でしたから。マニアックなロック好きと話しても、なかなか彼の名前は出てきませんから。

 

片方:あのバンドの全盛期を支えたドラマー。

 

柴田:そうそう。で、僕はベーシストなので、「ユーライア・ヒープといえば、ベースのゲイリー・セインが好きでした」と言うと、すごく同意してくださって。「リー・カースレイクとゲイリー・セイン(のリズム・セクション)じゃないと、あの音にならないんだよ」と仰っていたのを、鮮明に覚えています。

 

片方:ヒデキさんは自分のコンサートのときも、ベースでヴォーカルの音程を取るので、とにかくベーシストにはシビアでした。それに中学時代はドラマーだったから、ドラムにもシビア。バックバンドのメンバーでも、常にドラムへの注文が多かった。難しいのは、単純にテクニックだけの問題ではない点です。感覚というか、グルーヴが合うか否か。付き合いの長いメンバーは、どの楽器も結局は、決めてはそこでしたね。グルーヴ。

 

柴田:特定のジャンルだけを演奏するなら、それに特化したドラマーやベーシストを招集すればいいけど、ヒデキさんのようにジャンルや曲調が多岐にわたる場合、リズムを担うミュージシャンは大変でしょうね。たとえばボサノバからヘヴィメタルまで。これは相当大変。僕には無理ですね(笑)。

 

新宿の夜。初の生西城秀樹に圧倒された

 

片方:レインボーからナット・キング・コールまで(笑)。それが西城秀樹の真骨頂でした。とはいえ、30歳を越えたあたりから、大人志向が強くなっていた中、でも、やはり感情を爆発させるロック・テイストな曲もやりたいんだろうなと、僕は思っていて。91年に織田哲郎さんプロデュースのアルバム『MAD DOG』をレコーディングして、久々のロックを満喫しているのがわかりました。その年にデビュー20周年記念コンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR ’91 FRONTIER ROAD』をやって。「是非、観にきてください」と、柴田さんに連絡して。

 

柴田:二つ返事でうかがいました。新宿厚生年金会館の2階席の最前列。圧倒的でしたね。エネルギッシュで。ヒデキさんのコンサートを生で観るのは、あのときが初めてでしたけど、オープニングの2曲~3曲くらいで圧倒されました。僕は、内外を問わず相当数のライブを観ていますが、衝撃度は間違いなく5本の指に入ります。

 

片方:ヒデキさんは、ロックとはどういうものか、ご存知だったし、ヒデキさんなりのロック観も持っていました。一緒に過ごさせてもらった長い年月の中、いろいろな話を聞いてきましたが、ロックの原体験というか、初期衝動はウッドストック・フェスティバルだったみたいです。それ以前から、バンドをやっていたそうですが、ベンチャーズなどのエレキ・インストだったようなので…。最初はドラムで。

 

柴田:確かお兄さんの影響?

 

片方:そうです。お兄さんがギターで、ヒデキさんがドラム。それがいつしか歌うようになり、ヴォーカリストとしては、ウッドストックで観たジョー・コッカーやジャニス・ジョプリンからの影響が大きいと言っていました。ただ、本人の好みとしては、なぜか、ブラスロック。たとえばウッドストックだったら、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズとか。当然、ブラスロックの代表格のシカゴも好きでしたし。ウッドストック後に観たロッド・スチュワートに影響されているという…。

 

柴田:本当に守備範囲が広い。

 

片方:それもヒデキさんらしさです。

 

 

文 藤井徹貫

 

 

 

2020年6月1日発売

HIDEKI SAIJO with ANTHEM feat. Graham Bonnet

『ナイト・ゲーム2020』

 

【収録曲】

  1. ナイト・ゲーム2020 (Night Games) HIDEKI&GRAHAM BONNET Version
  2. ナイト・ゲーム2020 (Night Games) HIDEKI SOLO Version

 

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