アメリカのインダストリアル・メタル・バンド、フィア・ファクトリー。『メカナイズ』再発、そして、『The Industrialist』を人力ドラムでリタッチした『リ・インダストリアライズド』発売を記念して、リーダーでありギタリストのディーノ・カザレスに話を聞いてみた。
ー フィア・ファクトリーは1989年にUlcerationとして結成されたとのことですが、当初からインダストリアルとデス・メタルを融合しようとしていたのでしょうか。
ディーノ:確かにUlcerationは、フィア・ファクトリーの以前にやっていたバンドではある。バートンと俺でやっていて、何と言うかゴッドフレッシュのパクリみたいなことをやっていたんだ。荒々しくてガチャガチャしていて、ヘヴィでインダストリアルでノイジー。アレックスがドラムで、デイヴ・ギブニーという奴がベースを弾いていた。ちょうどその頃、レイモンド・ヘレーラとも会って、彼はエクストリーム・デスというバンドをやっていた。俺もExcruciating Terrorというグラインドコア・バンドをやっていてね。みんなそれぞれ別のバンドをやっていたのだけど、レイモンドのプレイを見て、「こいつのプレイが必要だ」って思って。レイモンドと一緒にジャムをして、新しいバンドを始めたんだ。別のヴォーカリストがいたのだけれど、彼では務まらなかったので、「バートン・ベルっていうシンガーを知っているのだけど」と言って、彼をリハーサルに連れてきたんだよ。一緒にUlcerationをやっていたからね。それでバートンが歌ってみたら、ピッタリとハマったのさ。そうやってフィア・ファクトリーは生まれたのさ。
ー ゴッドフレッシュやミニストリーからの影響についてはよく語られていますが、デス・メタルの方はいかがでしょう。どんなバンドから影響を受けたのですか。
ディーノ:たくさんいるよ。一番という意味では、デス・メタルだったらナパーム・デスかな。それからカーカス。でもやっぱりナパーム・デスが一番かな。当時彼らはよりデス・メタルなアプローチをしていただろう?グラインドではあったけれど、もっとデス・メタルに寄っていたよね。『Harmony Corruption』や『Mass Appeal Madness』などが大好きだった。ゴッドフレッシュ以外では、このあたりからの影響が大きかったと言える。ナパーム・デス、それからもちろんミニストリーやナイン・インチ・ネイルズのようなインダストリアル。それから80年代のスラッシュ・メタルも大好きだよ。82年から80年代中盤頃。その後しばらくスラッシュは消えてしまったけれど。初期のメタリカ、エクソダス、アンスラックスとか、何でも。俺のリフのルーツはこういうところにもある。スレイヤーとかね。
ー やはり、初めて体験したエクストリームな音楽というのはスラッシュ・メタルということですか。
ディーノ:ヘヴィメタルかな。スラッシュ・メタルというのはパンクとヘヴィメタルのミックスだからね。ディープ・パープルやジューダス・プリースト、アイアン・メイデン、ヴァン・ヘイレンとか、初期のバンドももちろん聴いていたよ。その後のクワイエット・ライオットやモトリー・クルー。もちろんオジーも。そういうアーティストたちが大好きだった。そこから進化していったのさ。81年、82年頃、レイヴン、メタリカ、エキサイターなどが出てきて、新しいバンドにどんどんハマっていったんだ。歪んだギターがあれば、何でも好きだったよ。
ー ではスラッシュ・メタルの初体験はいつですか。
ディーノ:1985年、すぐそこのハリウッド・パラディアムでのヴェノム、エクソダス、スレイヤー。
ー 『Ultimate Revenge』が収録された時のツアーですね。
ディーノ:そう。あれが初めてのスラッシュ・メタル体験だった。その1ヶ月後、アーマード・セイントとメタリカを見に行った。『Ride the Lightning』の時のツアー。さらにその1ヶ月後、アクセプトを見に行った。その3つが最初のスラッシュ、と言うのかな、の体験だったよ。メタルのコンサートということであれば、1983年のThe US Festival。ヴァン・ヘイレン、スコーピオンズ、ジューダス・プリースト、トライアンフ、モトリー・クルー、オジー、クワイエット・ライオット。
ー 最高の時代ですね。
ディーノ:その通りだよ。
ー LAのスラッシュ・メタル・シーンはどんな感じでしたか。ベイエリアとはかなり違ったようですが。
ディーノ:スラッシュはサンフランシスコで始まったけれど、当然ここにもやって来た。ハイラックスとか、色々なスラッシュ、というかスピード/スラッシュのバンドが現れたよ。80年代中盤、スラッシュ・メタル・シーンはとても大きなものになった。デス・メタル・シーンも大きかったな。バックヤードのグラインド、デス・メタル・シーン。
ー LAのシーンはギャングがらみで非常にヴァイオレントだったという話も聞きますが。
ディーノ:スーサイダル・テンデンシーズとかはね。クロスオーヴァー・メタル・パンク・ギャングというか、彼らは自分たちをスーサイダルズと呼んでいて、当時確かにかなりヴァイオレントだったな。
ー いわゆる「ワンノート・リフ」というのはフィア・ファクトリーのアイデンティティの一つで、あなたが発明したとこも言われています。このアイデアはどこから得たのでしょう。
ディーノ:そうだね、俺が初めてあのアイデアを得たのは1988年、メタリカが『…And Justice for All』をリリースした時のこと。「One」の中間部の、あのダダダダダダダっていうところがあるだろう?あの小さなパートがフィア・ファクトリーに火をつけたのさ。ギターとバスドラがガッチリと噛み合っていて、俺は「こういうのをもっと頻繁にやってみてはどうか」って思ったんだ。「One」ではあの1箇所でしかやっていなかったからね。その小さなアイデアから、フィアー・ファクトリーというバンド1つを作り出したのさ。
ー 『メカナイズ』がここ日本でも再発になります。これは一度フィア・ファクトリーを抜けていたあなたにとって、復活アルバムということになります。どのような経緯でバンドに戻ったのでしょう。
ディーノ:当時ミニストリーとメシュガーが一緒にライヴをやっていて、それを見に行ってね。バートンもその場にいたんだ。彼とはもう何年も喋っていなくて。彼が俺のところにやって来て、「調子はどう?ちょっと話せる?」って。それで話して、電話番号を聞かれたから教えて、それでまた連絡が来るようになった。そのうち、バンドに戻る気はないかと聞かれたので、少し考えさせてくれと。そして6ヶ月後、バンドに戻る決意をしたんだ。
ー ジーン・ホグランと参加した経緯はどのようなものだったのですか。
ディーノ:バイロン(ストラウド)が、俺がバンドを抜けている間に加入していてね。04年頃じゃないかな。俺が抜けて、クリスチャンがギターに転向して、それでバイロンがベースで入ったんだ。俺が戻った時は、クリスチャンはもうギターを弾いていなかったから、そのままバイロンが残ったのさ。そしてレイモンドも抜けたので、バイロンがジーン・ホグランを提案したんだよ。だけど、俺は別のドラマーにお願いしていたんだ。ナイルのジョージ・コライアスと、デリック・ロディ。2人とも素晴らしいドラマーさ。だけど、ジョージはギリシャ在住だったし、デリックはツアーはあまりやらなということで、ダメだった。たくさんツアーができるドラマーでないとね。それでジーン・ホグランになった。
ー 現在の目で振り返ってみて、『メカナイズ』というアルバムをどう表現しますか。
ディーノ:あのアルバムの一部には、スラッシュっぽい部分があると思う。「フィアー・キャンペーン」などには、スラッシュのヴァイブがあるだろう?フィアー・ファクトリーに復帰する前にやっていたバンド、Divine Heresyの要素があると思うんだ。Divine Heresyとして2枚のアルバムをリリースしたのだけれど、あれにはスラッシュの要素があった。ドラムがニック・バーカーで、彼と一緒に最初のアルバムの曲を書いて、スラッシュ・ビートもやったんだ。自分のバンドでは、スラッシュ・ビートは使ったことがなかったのだけど、フィア・ファクトリーに戻って、ドラムがジーン・ホグランだったから、そこでもスラッシュ・ビートをやったんだよ。まあ全体的には、おそらくこのアルバムは『Soul of a New Machine』に次いで、2番目にブルータルなアルバムだと言えるんじゃないかな。テンポも速い。この前の作品はもっとグルーヴィだったからね。これはDivine Heresyをやっていた影響が大きいと思うよ。当時実際にDivine Heresyのスタイルと比較するファンもいた。リフやソロ、すべてにおいてDivine Heresyからの影響があったと思う。俺がドラムマシンを使って曲を書いて、それをジーンに聴かせて、彼がそこから発展させていった。バンドに戻って、とにかくヘヴィな作品を作りたかったんだ。「オーケー、ファッキン・ディーノが帰ってきた」ってね。最高のアルバムを作るしかなかった。ジーン・ホグランがドラムを叩く訳だし。あんなドラマーに参加してもらうんだからね、ヘヴィな作品にしない訳にはいかないよ。
ー ボーナス・トラックとして、ファーストの曲3曲が再録音されました。
ディーノ:「Sangre de Niños」は「子供たちの血」という意味で、ブラジルで警官がホームレスの子供たちを殺しているという話に基づいている。彼らはお金がなくてご飯を食べられないから盗みをしたりして、それで殺されてしまうんだ。彼らをまるでネズミを駆除するかのように殺してしまうのさ。そういう記事を読んでね。どうかしていると思って、曲を書いたんだ。これはもともとお蔵入りになったファースト・アルバム『Concrete』に収録されていたのだけれど、『Soul of a New Machine』には入れなかった。『Soul of a New Machine』は17曲入りだけれど、入れられなかった曲はまだ5-6曲あった。「Sangre de Niños」はその中の一つさ。
ー 続く『The Industrialist』では一転、ドラムマシンを全面起用しています。これは何故ですか。
ディーノ:『メカナイズ』のツアーが終わって、『The Industrialist』に取り掛かろうとジーン・ホグランに連絡をしたら、「マネージャーを雇ったから、彼と話してくれ」と言われたんだ。それでマネージャーと話してみると、ジーンがもっとたくさんのギャラが欲しいと言っていると。だから、こちら側もマネージャーに頼んで、マネージャー同士話してもらったんだよ。ジーン側はもっとたくさんギャラをもらうべきだと思っていて、まあ確かに彼はそれに値するドラマーだけれど、俺たちには彼が提示した金額を支払う余裕はなかったのさ。それで丁重にお断りしたのだけど、レコード会社からのプレッシャーがあってね。早くレコードを仕上げろと。何人かのドラマーに当たったのだけれど、手が空いているものはおらず、それでドラム・プログラムを使うことにしたのさ。ジョン・サンキーという友人に手伝ってもらって、彼は実際ドラマーでもあるのだけれど、アルバム全部をプログラムした。
ー ということは、多少妥協した部分もあったということでしょうか。
ディーノ:うーん、そんなことはないよ。こういうことができるとしたら、やはり俺たちだからね。だけど、ジーンが参加しておらず、ドラムマシンが使われているということで、多くの人がガッカリしたようだった。
ー バイロンも参加しなかった理由は何だったのですか。
ディーノ:彼は当時別のビジネスを始めていたんだ。違う道を歩み始めていたんだよ。
ー 現在の目で振り返って、『The Industrialist』というアルバムをどう見ますか。
ディーノ:大好きなアルバムだよ。ライヴでも多くの曲を演奏しているし、盛り上がる。リリース当時はバッシングを受けたけれどね。
ー ドラムマシンだということで?
ディーノ:そう。だから、本物のドラマーで録り直すことにしたんだ。今回の再発では、マイク・ヘラーがドラムを叩いているよ。
ー ドラムを入れ直したのはいつですか。
ディーノ:1年半くらい前じゃないかな。
ー この作品に関しては、ただ単に再発するというのではなく、人間のドラマーでやり直したかったということですね。
ディーノ:その通りさ。まあファンには両方のオプションがあるということだよ。Spotifyには古いバージョンもあるし、新しいバージョンも聴ける。ドラムマシンが良いか人間が良いか、どちらでもね。
ー あなた個人としては、両バージョンをどう見ますか。
ディーノ:今回いくつかのものを追加したからね。マイクはフィルやロールを色々と付け加えているし、俺もいくつか音符を変更した。だから違いはあるけれど、個人的にはどっちのバージョンも好きだよ。今でもオリジナル・バージョンは好きだし、新しいバージョンも好き。アートワークも新しいものにしたし、イカしているよ。
ー そこもお聞きしたかったのですが、アートワークを変えたのは、今回の作品は別のアルバムだという意思表示なのでしょうか。
ディーノ:そう、アートワークを変えることで、オリジナルのアルバムにいくつかの追加をしたということをはっきりさせたかった。タイトルも『リ・インダストリアライズド』にした。リタッチしたというのが良い表現かな。アートワークが違えば、見ただけでどっちのアルバムがどっちかわかるだろう。あのアルバムに入るはずだったけれど、間に合わなかった曲も入っている。レコード会社から急かされたからね。今回その曲を、入るはずだったところに入れてある。これが入ることによって、アルバムはエピックなエンディングを持つことになったのさ。
ー その曲もマイクのドラムが入っているのですか。
ディーノ:いや、あれはドラムマシンのまま。
ー 近頃ニュー・ヴォーカリスト、ミロ・シルヴェストロが加入しました。300人の中から選ばれたとのことですが。
ディーノ:300人をオーディションした訳ではなく、300ほどビデオを見たということだけれどね。
ー 彼が選ばれた決め手は何だったのでしょう。
ディーノ:彼は、まだ俺たちがヴォーカリストを探すよりも前の段階で、YouTubeに「フィアー・キャンペーン」を上げていたんだ。しかも、ギター、ベース、ドラム、キーボード、ヴォーカル、すべて1人でこなして。とても印象的だろう?その後、ファースト・アルバムのメドレーをやっているビデオも見た。それぞれの曲のヴァース、コーラスとつなげていったようなやつ。「ワオ、これは凄いな」と思って、それでまず俺のレーダーにとらえられたんだ。バートンが抜けることになって、ヴォーカリスト募集を発表すると、引っ切りなしにとんでもない量のメールが送られてきた。俺とマネージャー、アシスタントですべてのビデオを見ていって、5人にまで絞ったんだ。女性2人、男性3人。そこからさらに、女性1人、男性2人に絞った。その3人は実際にオーディションをしたんだ。実際に来てもらってね。コロナの最中だったから、国を離れられないという人も多くて、飛行機に乗るのも楽じゃなかった時さ。イタリアで規制が解除になってすぐに、ミロにも来てもらった。他の2人は、俺が与えた曲だけを覚えてきた。3曲だけね。他にも覚えている曲はあるかと尋ねたのだけど、なかった。ミロが来た時は、3曲やって、他にやれる曲はあるかと聞いたら、「イエス、あの曲をプレイしてくれ」なんて言って歌ってみせた。他にもあるかと聞くと、「じゃあ次はこれ」って、また歌ってみせたよ。それが初日で、翌日は「これだけ歌えますよ」って、18曲ほど持ってきた。彼はバンドのファンであり、音楽もスタイルも理解している。バンドの過去の作品にもリスペクトがあるし、バートンのファンでもある。バートン・スクール出身みたいなものさ。90年代の、初期のKornやコール・チェンバーみたいな、ヘヴィなニュー・メタルのファンなんだ。イル・ニーニョとか。スタイルを理解しているんだよ。ニュー・メタルに限ったことではなく、何をすべきかをね。彼のバックグラウンドはとても広くて、父親はとても有名なブルース・ギタリスト。彼は父親のブルース・バンドでドラムを叩いているんだ。母親はヴォーカル・コーチ。彼自身もオペラ、ブルース、ジャズと何でも歌える。音楽をやるために生まれてきたような男さ。
ー 本物のミュージシャンなのですね。
ディーノ:俺よりも優れたミュージシャンだよ(笑)。彼はこの間のツアーで初めて大きなショウをやったのだけど、数千人のお客さんの前でね、基本的に「グッドラック!」って言って、背中を押せば良かった。それで完璧にやってみせたよ。43回のショウをやったのだけど、もちろんショウごとにどんどんと良くなっていったよ。
ー ニュー・アルバムも作っているのですか。
ディーノ:作っている。8曲できていて、今ミロが歌詞を書いている。だけど、来週は南米ツアーの準備をしなくてはいけないからね。一旦中断して、それが終わったら、7月からレコーディングを開始できる。7月、8月、9月でスタジオに入って、アルバムを完成させるよ。
ー オールタイムのお気に入りのアルバムを3枚教えてください。
ディーノ:オオ!1枚目はスレイヤーの『Reign in Blood』。2枚目はエクソダスの『Bonded by Blood』。あのレコードは崇拝しているよ。3枚目はU2の『The Joshua Tree』。毛色が違うけれど、大好きなんだ。幅広いタイプの音楽が好きなんだよ。まあ、でも俺のハートとなるのはメタルだけれどね。メタル、スラッシュ・メタル。何と呼んでも良いけれど、一般的なメタル。
ー ところであなたは80年代、ロック・ショップというお店で働いていたのですよね。私も確か87年にあのお店に行って、カルチャー・ショックを受けました。
ディーノ:どうしてカルチャー・ショックを受けたの?
ー 当時日本では見たこともないようなTシャツ、カセット、LPなどがたくさんあって。まだインターネットもなかった時代ですから、大量にカセットなどを買って帰った覚えがあります。
ディーノ:その当時はまだ週末しか働いていなかった。平日は別の仕事をしていたんだ。あそこに行くと、あらゆる新しいバンドを聴くことができたな。名前も聞いたことがなかったようなバンドがたくさんいて。覚えているだろ、まだインターネットもなかった時代を。あそこでたくさんのミュージシャンや人々に会った。外国から来た人、ツーリストたちも含めてね。「ロック・ショップ?オーマイゴッド!何なんだ、この場所は!』みたいな感じで。
ー まさにそんな感じでした。
ディーノ:何でも揃っていたからね。雑誌を見て、バイヤーに「これとこれを仕入れてくれ」なんて言って。俺がスラッシュ・メタルを推薦していたんだよ。イヤーエイク、ニュークリア・ブラスト、ピースヴィル、メタル・ブレイドとか、レーベルの人たちにも会った。彼らも店にやって来て、自分たちの商品を売ろうとしていたんだ。
ー 番地が666だったんですよね。
ディーノ:そうだよ。ラッキーにもあの場所を手に入れられたんだろうね。パンクからヘアメタル、スラッシュ・メタル、スピード・メタル、デス・メタル、グラインドコア、あらゆる種類のハードコア、何でもあったよ。そして俺はやって来るお客さんに色々と推薦していて、レイモンドと会ったのも、それがきっかけだったんだ。彼もお店に来ていたんだよ。そのうち他の仕事をやめて、ロック・ショップでフルタイムで働き始めた。92年にファースト・アルバムをリリースした時も、まだあそこで働いていた。まだCDがトールケースに入っていた頃さ。何でトールケースに入っていたか知ってる?LPの箱は深いだろ?そこにCDをそのまま入れたら、埋もれてしまうからさ。だから当時トールケースに入れて、LPと同じ高さにしていたんだよ。それはともかく、アルバムの発売初日、デス・メタル好きの友達がみんな店に来てくれてね。いつも「このバンドをチェックするといいよ」なんて、色々と推薦していたから、みんな俺のことを知っていた。それでみんなに「俺のレコードが出るから買いに来てくれ」なんて言っていたら、初日に60本カセットが売れてね。「Yeah!」なんていう感じで、とてもエキサイトしたことを覚えているよ。その日、店の前でもプレイしたんだ。その様子はYouTubeでも見られるよ。
ー お店はいつ無くなってしまったのですか。
ディーノ:その後移転になって、そのまま無くなってしまった。誰もCDなどを買わなくなってしまった時期があったからね。
ー では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。
ディーノ:できれば来年にでも日本に行きたい。しばらく行けていないからね。ずっとサポートしてくれてありがとう。とても感謝しているよ。
文 川嶋未来
【CD収録曲】
-
- メカナイズ
- インダストリアル・ディシプリン
- フィア・キャンペーン
- パワーシフター
- クライストプロイテイション
- オキシダイザー
- コントロールド・デモリション
- デザイニング・ジ・エネミー
- メタリック・ディヴィジョン
- ファイナル・イグジット
- マーター(リレコーディング・ヴァージョン)
- クラッシュ・テスト(リレコーディング・ヴァージョン)
- サングレ・デ・ニーニョス(リレコーディング・ヴァージョン)
《ボーナストラック》
【メンバー】
バートン・C・ベル (ヴォーカル)
ディーノ・カザレス (ギター)
バイロン・ストラウド (ベース)
ジーン・ホグラン (ドラムス)
【CD収録曲】
[DISC 1]
- ジ・インダストリアリスト
- リチャージャー
- ニュー・メサイア
- ゴッド・イーター
- ディプレイヴド・マインド・マーダー
- ヴァイラス・オブ・フェイス
- ディファレンス・エンジン
- ディスアッセンブル
- リリジョン・イズ・フロウド・ビコーズ・マン・イズ・フロウド
- エンハンスド・リアリティ《ボーナストラック》
- ヒューマン・オーグメンテイション
[DISC 2]
- フェイド・アウェイ (リチャージャー・リミックス by ライス・ファルバー & ディーノ・カザレス)
- ノイズ・イン・ザ・マシーン (ディファレンス・エンジン・リミックス by ブラッシュ・レスポンス)
- ランドフィル
- サチュレイション
- パッシング・コンプレキション
【メンバー】
バートン・C・ベル (ヴォーカル)
ディーノ・カザレス (ギター)
マイク・ヘラー (ドラムス)