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ラーシュ・ネドラン
(ブラック・ヴォイド)
独占インタビュー

つまり、一つのバンドから
もう一つ別のバンドが生まれたということ
別のバンドだけれど、つながってはいるということだよ
今後もホワイト・ヴォイド、ブラック・ヴォイドは
別々に続けていくけれど、両者のつながりも保っていく
お互いがコントラストとなるようにね

                                   

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文:川嶋未来 Photo by J rnVeberg

ソレファルドやボルクナガールでも活躍するラーシュ・ネドラン。昨年彼が率いるホワイト・ヴォイドがアルバム・デビューを果たしたが、この度そのホワイト・ヴォイドの裏返しとも言えるバンド、ブラック・ヴォイドもアルバムをリリースすることになった。パンクやブラック・メタルをベースにしているというブラック・ヴォイドについて、ラーシュに色々と聞いてみた。

 

 

ー ノルウェーの状況はいかがですか。

 

ラーシュ:コロナは問題ないよ。もう制限も一切ない。だけど、今度は戦争だろ。クレイジーだよ。酷いよね。ノルウェーを含め、ヨーロッパの国々にウクライナからの難民もやってきている。まさかヨーロッパでまた戦争が起こるとは。コロナが落ち着いた途端にプーチンだよ。戦闘地帯にいる人たちは本当に大変だと思う。

 

ー ではまず、ブラック・ヴォイドがどのようなバンドなのかを教えてください。ホワイト・ヴォイドとはどのような関係にあるのでしょう。まったくの別バンド、あるいはスピンオフなのでしょうか。

 

ラーシュ:別のバンドだよ。ホワイト・ヴォイドへのアンチテーゼ。アルバム・タイトルを『アンチテーシス』とした理由の一つもそれさ。ブラック・ヴォイドのやっていることは、さまざまな面においてホワイト・ヴォイドの真逆だからね。音楽的アプローチ、歌詞の哲学的アプローチ、サウンド・プロダクション、ヴィジュアル的なもの、すべてが真逆になっている。ホワイト・ヴォイドの音楽は、70年代のハードロックと80年代のニューウェイヴをベースにしたメロディックなものだったけれど、ブラック・ヴォイドはとても下品な汚いパンクや初期のブラック・メタルを合わせたパンク・アンド・ロールみたいな感じ。ホワイト・ヴォイドのプロダクションは、ソフトでスペーシーだったけれど、ブラック・ヴォイドは汚くて不快。不愉快な感じにしたかったんだ。ホワイト・ヴォイドの歌詞は、アルベール・カミュや不条理についてだったけれど、今回のコンセプトはニーチェとニヒリズム。ホワイト・ヴォイドは、ネオン・カラーやピンクを使ったり、ヴィジュアル的にもとてもカラフルなバンドだった一方、ブラック・ヴォイドはモノクローム、ただの白黒。こういうものすべてがコントラストになっている。だけど、ホワイト・ヴォイド、ブラック・ヴォイドのすべての音楽、歌詞は、どれも同じ出発点を持っていて、それがただ別の方向へと爆発しているだけのこと。同じ出発点を持つ別々の哲学というのはとても興味深いんだ。前回のアルバムでは、不条理の持つ問題について色々と語った。つまり、自分が実際に手にするものと、宇宙が自分に与えてくれるものの差分について。サルトルは実存主義でこれを扱い、カミュはこれを不条理という形で取り上げ、ニーチェはニヒリズムとして考えた。最初はこのカミュとニーチェのコントラストを対話的に取り上げられないかと考えていたんだ。そのうち、この2つを切り離して、アンチテーゼとしてやってはどうかというアイデアに至った。まったく別のバンド、アルバムで、ニヒリズムとして取り上げてはどうかと。こういう哲学的なものに興味があれば、ホワイト・ヴォイドのアルバムを手にして歌詞を読み、ブラック・ヴォイドの歌詞も読んでみれば、これらの哲学が何についてなのかの理解ができると思う。これらの哲学のベースを説明するということではなく、自分の人生に対処する時に、どのような態度を取るべきかということについてね。ニヒリズムの含意するところを真面目に受け止めたらどうなるか。ニーチェが言っていたのは、客観的事実の起源を知ることはできないということ。無限退行というやつさ。「俺はこれを知っている。なぜなら○○だから。○○であることを知っているのはXXだから。XXなのを知っているのは△△だから」と永遠に続いてはいくけれど、その出発点には辿り着けない。ベースとなるべき客観的事実なんてないということさ。これが含意するものは大きい。突き詰めれば、モラルなどというものも存在しないということだから。「これは間違っている、これは正しい」なんていう根拠がなくなるということだからね。なぜそれが正しいのか、間違っているのかの根拠になるものなんてないということになる。人生でこういうアプローチを取ると、殺伐としたものになりかねない。ニーチェが示した解決法は、すべての構造を破壊し、新しい構造を作り出すというもの。モラルなどないから、何でも好き勝手にやって良いということじゃない。自分たちの行動に制限を課すモラルというものは、「これは正しい、これは間違っている」というような根拠のないものをベースにするのではなく、「こうすればみんなで一緒に仲良く暮らせる」というような、実用的なものを論拠とすべきということ。ともかく、ブラック・ヴォイドは、ホワイト・ヴォイドのアルバムを作っている最中にできたバンドさ。全てのカラーやメロディにコントラストが必要だと思ったから。つまり、一つのバンドから、もう一つ別のバンドが生まれたということ。別のバンドだけれど、つながってはいるということだよ。今後もホワイト・ヴォイド、ブラック・ヴォイドは別々に続けていくけれど、両者のつながりも保っていく。お互いがコントラストとなるようにね。

 

 

ー 今回はパンクとブラック・メタルをベースにしているとのことですが、具体的にはどのようなバンドからインスピレーションを受けているのでしょう。

 

ラーシュ:難しいな。色々なバンドからインスピレーションを受けているからね。初期のロウなブラック・メタル、もちろん初期のダークスローンとか、今も活動しているTaake。パンクっぽい、ロックンロールっぽいブラック・メタル。パンク・シーンとつながりがあるようなバンドたちさ。Ulverの『Nattens Madrigal – Aatte Hymne til Ulven i Manden』は大きなインスピレーションになったし、Kvistというバンドは覚えているかな。90年代にアヴァンガルド・ミュージックから1枚だけアルバムを出したバンド。ブラック・メタルのよりロウなパートからのインスピレーションさ。パンクということになると、ミスフィッツやデッド・ケネディーズ、ストゥージズ、モーターヘッド、MC5。こういう飼い慣らされていないエネルギーを持っているバンドたちだね。俺がずっとパンクに惹かれている理由の一つは、それが持つ異常なほどのエネルギッシュさ。特にライヴでのエネルギーは凄まじくて、いくらエネルギーを放出しても仕切れないというような感じ。そういうパンクのエネルギーとブラック・メタルのエネルギーを掛け合わせてみようと思ったんだ。初期のハードコアからのインスピレーションもある。アルバムにはハードコアっぽい要素もあるだろう?俺はジャンルレスなタイプで、一つのジャンルに固執する訳じゃない。Sighも同じだろう?気に入ったものがあれば、何でも自分の音楽に取り入れる。ホワイト・ヴォイドやブラック・ヴォイドでは、少々アプローチを限定してはいるけれど、インスピレーションを受け入れる余地というのはある。ブラック・ヴォイドはホワイト・ヴォイドに比べて、もっとずっとハードなことをやっているけれど、それでもメロディがあるし。

 

ー パンクやブラック・メタル以外のインスピレーションもありますか。ブラック・ヴォイドを聴いていると、その2つには回収しきれない要素も感じるのですが。

 

ラーシュ:そうだね。古いハードロックからのインスピレーションもある。70年代のハードロックからの影響は、俺が音楽を作る時は必ずついて回るんだ。俺の中に住み着いているものだから、絶対についてくるんだよ(笑)。メロディへのアプローチについては、80年代のポップ・ミュージックの影響がある。そういう要素が、ブラック・ヴォイドの音楽の醜さの中にもはめ込まれているよ。プログレからの影響も少々あると思う。まあでも、ブラック・ヴォイドのメインのインスピレーションとなると、やっぱりパンクとブラック・メタルだね。

 

ー ギターはボルクナガールのヨステインが担当しています。彼を選んだのは何故ですか。

 

ラーシュ:彼は本当に素晴らしいギタリストだからね。彼をコンフォート・ゾーンから引きずり出すのも良いかと思ったんだ。彼はとても演奏力の高いギタリストだけれど、ブラック・ヴォイドでやるのはブルータルで下品なプレイだ。それでレコーディングするにあたり、彼に一つのドグマを課した。ドグマティックにやらなくちゃいけないから、ダウン・ストロークしか使ってはダメだと。だから速いパートになると、ギターを叩くようにプレイしなくちゃならなくなる。そうすることによって、違ったフィーリング、サウンドが得られる。彼ほどのスキルを持ったギタリストに、わざわざ弾きにくい奏法を強制することで、バンドのフレームワークの中でうまくいくと思ったのさ。彼にとって演奏が苦痛であるというのが、音に現れているよ。そもそもヨースタインとは、長い間ボルクナガールで一緒にやってきてるからね。彼はアイデアを取り上げて、それを彼なりにアレンジする能力に長けているんだ。彼自身のスタンプを押すんだよ。今回のアルバムを聴くと、「これがリフ。ダウン・ストロークしかダメだよ。では楽しんで」っていうドグマを与えられたヨステインのカラーが見えるよ(笑)。

 

ー Taakeのヘストとロッティング・クライストのサキスがゲスト・ヴォーカルとして参加しています。

 

ラーシュ:ヘストのことは1997年頃から知っているので、長い付き合いなんだ。Taakeのことはずっと好きで、彼の耳障りな昔ながらのブラック・メタル・ヴォーカルのファンでね。曲を書いた時に、これをヘストが歌ってくれたらクールだなと思ったんだ。でも彼はとてもエキセントリックな人物だからね。本当に自分が没頭できるものでないとやらないんだ。最初は何度かメールのやりとりをして、ただ昔話をしたりね(笑)。それからとりあえず曲を聴いてくれないかと。そしたら「わかった、曲は聴くけど、何も約束はできないよ」って。曲を送ったら、「これはいいね、とても気に入った。まずファースト・ステップはクリア。次はセカンド・ステップ。歌詞を読ませてくれ。歌詞をきちんと理解して歌わなくてはいけないから」と。それでアルバムのコンセプトの説明と歌詞を送った。ところがしばらく返事がなかったので、「歌詞を読んでくれたかい?」って再度メールをしたら、「読んだ。音楽的にも歌詞的にも、うまく歌う方法があるかを考えているところだ」って。数週間後、「やり方が見つかった。やるよ」って。そしてスタジオに入ってヴォーカルを送ってくれてね。とてもビューティフルな仕上がりだった。俺が望む完璧な醜さだったよ。サキスについては、90年代の初めにテープトレードをしていた時代から、ロッティング・クライストのファンでね。最初のデモや、もちろんファースト・アルバムもよく聴いていた。それで、オールドスクールな人物に一曲歌ってもらうのも良いと思ってね。それでコンタクトをしてみると、幸運なことに彼は曲を気に入ってくれて、素晴らしいヴォーカルを入れてくれた。彼が参加した「ダダイスト・ディスガスト」はヴィデオも作っていて、とてもクールなアニメなんだ。こういうタイプのアルバムにはパーフェクトなゲスト2人だと思うよ。

 

ー その「ダダイスト・ディスガスト」ですが、ダダイズムとニーチェはどのような関係があるのでしょう。

 

ラーシュ:ダダイズムというのは芸術における運動だよね。絵画や演劇など、あらゆる形態の。ダダイズムは、その根幹では不条理やニヒリズムというプラットフォームに依拠しているんだ。ダダイズムは世界大戦、戦争の残虐行為から生まれたもの。戦争の残虐さが持つ絶対的な不条理への反応だったんだ。だから、あまり語られることはないけれど、ダダイズムとニヒリズムには明確なコントラストがある。アルバムの最後にニヒリズムを実際に手で触れることの世界に持ち込むのは面白いアイデアだと思ったんだ。メタ的な歌詞になっていると言うのかな。ある意味俺がブラック・ヴォイドでやっている音楽や歌詞は、ダダイストたちが演劇や絵画などでやっていたことと同じ。このアルバムは、ある意味ダダの芸術だということ。ニヒリズムを本当の世界、現実に持ち込んで、このアルバム全体を不条理でニヒリスティックな芸術的表現で包んだのさ。

 

 

 

ー 『アンチテーシス』というタイトルは、ホワイト・ヴォイドへのアンチテーゼだということでした。個人的にはこれはニーチェの『人間的、あまりに人間的な』からの引用かと思ったのですが。

 

ラーシュ:ホワイト・ヴォイドのアルバムのタイトルは『アンチ』だったよね。『アンチ』への『アンチテーシス』ということさ。「アンチ」も「アンチテーシス」も、それ単独では意味をなさない。アンチテーゼならば、何かがあって初めてそのアンチテーゼというものが成り立つ訳だから。つまり、読み手や聴き手は、まず中身を知って、自分なりの理解をする必要がある。俺はニーチェの書いたものを読んで、自分なりの解釈をする訳だけど、その解釈は君のものとは違う可能性がある。つまりこのタイトルは、哲学というものを読んで、自分なりの解釈をして、自分が正しいと思うことをするべきだというインビテーションでもある。

 

ー アーテム・グリゴリエフによるアートワークは何を表しているのでしょう。

 

ラーシュ:あれは人間にとって意味していたものの、新たなる思考の仕方の誕生を表しているんだ。ニーチェは超人について語ったけれど、あれは多くの人が思っているようなものではない。超人というと、神のような人間や、人間を超えた能力を持つ人間を想像する人が多いけれど、ニーチェの説明では、超人とは我々が真実、モラルだと信じてきた偽りをすべて壊し、それを乗り越え、我々は何に立脚すべきかという新しい理解を作り出すもののことなんだ。神のような存在になるということではまったくない。人間として築き上げたものをすべてぶち壊すという、凄まじく残酷なタスクを実行するということ。アーテムと話しあって、自分の周りの世界、自分自身という存在の新しい理解の仕方というものを表現するアートワークが欲しいと告げた。そして彼が「星の誕生」というアイデアを思いついたんだ。「星の誕生」というのはすべての始まりのポイント。宇宙の始まり、太陽系の始まり、銀河の始まり。アーテムが基本的なアイデアから、何というのかな、この絵にはヴァイオレントな要素が一切ないにもかかわらず、非常にドラマチックな仕上がりになっていて、とても気に入っている。

 

 

ー 今後の予定を教えてください。それぞれのバンドでライヴをやる予定などはありますか。

 

ラーシュ:ホワイト・ヴォイドは今年の夏、ボルクナガールと一緒にいくつかのフェスティヴァルに出る予定。今年のライヴはどれも20年、21年から延期になったものだからね。今年はボルクナガールのライヴが大量に入っているんだ。2週間後には5週間の北米ツアーに出る。そして、夏はたくさんフェスティヴァルとヨーロッパ・ツアーの予定がある。だからブラック・ヴォイドのライヴに関しては、来年まで待つ必要があるんだ。ブラック・ヴォイドもぜひライヴをやりたいんだよ。ステージ向けのエネルギーがあるバンドだからね。

 

 

文 川嶋未来

 

 


 

 

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2022年5月27日発売

ブラック・ヴォイド

『アンチテーシス』

CD

【CD収録曲】

  1. ヴォイド
  2. リジェクト・エヴリシング
  3. デス・トゥ・モラリティ
  4. テネブリズム・オブ・ライフ
  5. ノー・ライト、ノー・ロング
  6. イッツ・ノット・サージェリー、イッツ・ア・ナイフ・ファイト
  7. エクスプロード・イントゥ・ナッシングネス
  8. ニヒル
  9. ダダイスト・ディスガスト

 

【メンバー】
ラーシュ・ネドラン(ヴォーカル/ベース)
トビアス・ソルバック(ドラムス)
ヨステイン・トーマッセン(ギター)