ニュー・アルバムのリリースを8月に控え、9月に開催されるMETAL WEEKEND 2019へのヘッドライナー出演も決まったハンマーフォールのヴォーカリスト、ヨアキム・カンスが日本にやってきた。ということで、新作や、彼の音楽的バックグラウンドについて、じっくりと話を聞いてみた。
ー ニュー・アルバム『ドミニオン』がリリースになります。どのような内容になるのでしょう。ハンマーフォールらしいヘヴィメタルのアルバムになりますか。それとも、新しい一面を見せるものになるのでしょうか。
ヨアキム:これは非常に重要な質問だよ。とてもたくさんの答えが含まれることになるだろうからね。まず最初に言いたいことは、ハンマーフォールはハンマーフォールだということ。ハンマーフォールのアルバムに関して、これは常に疑いのないことだよ。というのは、俺たちはヘヴィメタルをプレイしていて、いつもヘヴィメタル、あるいは俺たちがヘヴィメタルと感じる枠の中のことをやっているからね。新作は、非常にバランスのとれたバラエティに富んだ作品さ。ハンマーフォールのアルバムとして必要なすべての要素を兼ね備えている。アルバム製作の過程は、いつもと違っていたんだ。曲作りを始めたのはだいぶ前のことで、いつもはたいてい8−10ヶ月ほど曲作りに専念する期間を定めていたんだけど、今回初めて曲を書いてはツアー、そしてまた曲を書いてツアーという形式になった。ツアー中もツアーバスで曲作りをしたんだよ。俺たちにとってはまったく新しい試みだったので、新しい扉をいくつも開けることができたと思う。創造性の点、ツアー中にも創造的なことをやるという点でね。気づいてみると、曲がたくさん出来すぎていた。こんなことは以前になかった。アルバムには11−12曲入れるのだけど、それよりもずっとたくさん書き上がっていてね。「こんなにあるのか。じゃあ、これらは次のアルバムに入れるしかないな」なんて。クリエイティヴィティが高まりすぎて、さらに次のアルバムについて考える始末だよ。
― なぜ製作方法を変えたのでしょう。
ヨアキム:おそらくは俺たちが年齢を重ねて来て、賢くなって来たせいだと思う。昔はもっと融通がきかなくて、「ダメだよ、ツアー中はツアーだけに専念しなくちゃ」なんて考えていた。そして、ツアーを終えてから曲作りとスタジオでの作業に没頭していたんだ。だけど、さすがに退屈してきてね。今回のやり方は楽しかった。新曲を聴いてもらえれば、楽しさというか、情熱のようなものを感じてもらえると思う。あと、個人的には今回の曲作りには、そうだな、ワイン作りのようなものを感じた。しばらく書いた曲を寝かせて、新鮮な耳で聴き直して、「これは完璧だ」と思ったり、あるいは「うーん、これはもうちょっと寝かせよう」なんて思ったり。あるいは「ここはこうした方がいい」なんて変えてみて、で再び寝かせて聴き直すと「やっぱり直す前の方が良かったな」なんていう具合に、時間をかけて作ることができた。非常に細かい点にまで気を配ることができたんだよ。素晴らしいプロセスだったね。曲作りが非常にうまくできたと思うので、みんなも同じように感じてくれるといいな。今回ほど出来上がったアルバムを聴き返したことはないよ。散歩しながら聴いていて、「俺もこのアルバムに参加しているのか?ファンタスティック!」なんて思うほどさ。非常に成熟したヘヴィメタルのアルバムだと言えるね。
― ということは、当然今回の作品がハンマーフォール史上の最高傑作ということになりますね。
ヨアキム:まあ、毎回そう言ってるんだけどね(笑)。少なくとも、アルバムに対してこのような感情を持ったことはないよ。俺自身、今回のアルバムでは多くのチャレンジをしたし。
― それはシンガーとしてですか。
ヨアキム:シンガーとしてももちろん、作曲者としてもね。例えば、ヴォーカル・ラインを書くときは、どうしても安全策をとりたくなるものさ。自分にとってベストなものを書こうとしてしまう。
― 自分が歌いやすいメロディにしてしまうということですか。
ヨアキム:そう。こんな音符を書いて歌えなかったらどうしよう、なんて考えてね。でも、今回は違った。「この音も絶対出してやる!」って。実際にスタジオでその音を歌ってみると、「あれ、もっと高くいけるんじゃないか」なんて思うこともあった。高飛びでもあるよね。楽々その高さをクリアしてるみたいなの。今回のアルバムにも、さすがにこの高さを歌うのは不可能だと思うパートがあったんだ。でも、俺はノーとは言わなかった。オスカーが書いたパートだったのだけど、送られて来たメロディを聴いて、「イエス、歌えるよ」って答えた。その曲は、スタジオで最後に歌うことにしたんだ。そして、きちんと歌ってみせた。あまりに俺の声のパワーが凄すぎて、最高音に達するとマイクが揺れてしまってね、そのせいで何度か録り直さなくてはいけなかった。何回もレベルを調整して。チャレンジをしたのはとても気持ちよかったよ。もう安全に歌いたくはないからね。自分に挑戦しなくてはつまらないよ。
― あなたの出せる一番高い音が入っているのですね。
ヨアキム:おそらく最高音と最低音の両方が入ってると思う。俺の声域は広がってるんだよ。不思議だよね、俺は今49歳で、来年には50になる。にもかかわらず、声域が広がってるんだからさ。様々なヴォーカリストに会ったけど、たいてい年と共に声域というのは狭まっていくものだよ。だけど、俺の場合は最初が酷かったから。生まれつき素晴らしいヴォーカリストとは逆の方向をたどっているのかもしれないな。もちろん人間の体だから、俺ももっと年をとってきたらどうなるかわからないけど。でも、今はまだ大丈夫。コンピューターでインチキをしなくても、高い音を出せる。今の時代、ProToolsなどを使ってなんでも簡単に修正できるよね。今回ヴォーカルのプロデューサーのジェイムズ・マイケルが、録音したテイクを2パターンで聞かせてくれたんだ。最初のは、実に素晴らしい、すべてが完璧なリズムになっていた。もう1つのテイクは、生々しいエネルギーに溢れていた。ライヴ・テイクみたいなね。こっちがほとんど手を加えていないバージョンで、最初のが完璧にリズムなどを修正したもので、確かに素晴らしいけど、まったく魂が感じられなかった。それで手を加えていないものの方を使うことにしたんだ。そういうものを俺たちは求めていたからね。一言一言カットアンドペーストをしたものではないやつ。カットアンドペーストをしまくったものは、聴けばわかるから。普通は歌っていれば、ブレスが入るものさ。ブレスが入っていれば、一気に歌ったのだとわかる。とにかく今回の作品の出来については、とても誇りを思っているよ。『レヴォリューション』、『ビルト・トゥ・ラスト』はとても成功した作品だけど、新作はさらにもう一歩進んだアルバムさ。アンホーリー・トリニティだよ。少し休みを置いてからの作品だからね。ブレイクを置くというのはとても重要なことさ。また全力でやるためにね。
「(ウィ・メイク) スウェーデン・ロック」MV
― あなたの音楽との出会いのはどのようなものだったのですか。
ヨアキム:音楽との出会いはわりと遅かったんだ。というのも、俺が育った家では、誰も楽器を演奏しなかったからね。最初のハイファイのステレオを親父が買ったのは、俺が6−7歳の頃だったと思う。リビングに置いてあって、子供たちがいじりまくってたよ。それ以前はステレオなんてなくて、ラジオしかなかった。だから、俺にとって音楽というのは、決して自然に接するものではなかったんだ。11歳の頃、近所の友人が『Breaker』を聴かせてくれた。Acceptの。それが初めて聴いたヘヴィメタルだったよ。それ以前にAC/DCなんかも聴いたことはあったのだけど、気に入らなかった。70年代終わり頃、友人たちはKISSなどを聴いていたけれど、俺はDavid CassidyやFrank Zappa、それからAdam & The AntsやDavid Bowieみたいなのを聴いていたんだ。ところが、Acceptを聴いてぶっ飛んでしまった。あの瞬間から、俺は魂の半分をヘヴィメタルに捧げたんだ(笑)。レコード屋に通うようになって、新譜をすべて聴いていたよ。レコード屋の店員とも親しくなって、「やあ、何か新しいのは入ってる?」「あるよ、こっちにおいでよ」なんていう感じで。お金がない時は、取り置きをしてもらったりね。まだ小さいうちからレコードコレクターになってしまったんだよ。入ってくるお金はすべてレコードに使った。クリスマスも誕生日も、すべてレコードを買ってもらったよ。俺はスポーツが大好きで、中でも水泳が得意だった。俺の世代ではスウェーデンで2位になるほどだったのだけど、音楽は集中するための手段として使っていたんだ。大きな大会の前は、必ず音楽を聴いていた。俺は何もせず、何時間もただ音楽だけを聴き続けるということはできなくて、ミュージシャンになるとも思っていなかったんだ。何しろ楽器を演奏する家族もいなかったくらいだから。ある時友達が新しいギターを買って、古いギターを譲ってくれた。13歳か14歳のころ。そのギターをコインで弾いてね。それから一緒に水泳をやっていた親友が、パンクロックのバンドでヴォーカルを始めたんだ。やはり13歳の頃。で、あいつが歌えるなら、俺も歌えるに違いないと思ってさ。これが俺のキャリアの始まりだよ。ヴォーカリストを探しているヘヴィメタルの仲間がいたから、オーディションを受けてね。だけど、酷い出来でさ。「お前じゃダメだよ」なんて言われて。仕方なく、しばらくギターをプレイしていた。もちろん将来は、まずプロの水泳選手になるということを一番に考えていた。水泳こそが俺のキャリアで、音楽はあくまで趣味だったから。そのうちまたヴォーカルを探しているバンドと出会い、今度は加入することができたんだ。だけど、本当はギターを弾きたかったんだよ。Yngwie Malmsteenみたいになりたかったからさ。それがゴールだったんだ。
― あなたがAcceptを聴いた81年頃のスウェーデンでは、ヘヴィメタルは人気のある音楽だったのでしょうか。
ヨアキム:ちょうど人気が出はじめた頃だったね。83年か84年くらいに大ブームになったんだ。Iron Maidenの『The Number of the Beast』が出たあたり。それからMetallicaが出てきて。
― Metallicaが大人気になったのは、85年、86年あたりですか。
ヨアキム:いや、もっと前からだよ。『Kill ‘Em All』、『Ride the Lightning』あたりから。83年、84年頃は、ラジオでもしょっちゅうヘヴィメタルがかかっていた。メインストリームのラジオ、それからテレビでもね。MTVがあったし、テレビでビデオチャートなども放映されていた。ビデオチャートを賑わしていたのは、多くはメタルだったのさ。Twisted Sisterのビデオはいつも1位になっていたし、Helixの「Rock You」なんかも、スウェーデンでは大きなヒットになっていた。ビデオのおかげで。Madam Xとかもね。ヘヴィメタルにとっては良い時代だったのさ。
― 日本でも当時、ヘヴィメタルは人気はありましたが、11歳の子供が夢中になるほどのものではなかった気がします。スウェーデンは今でもメタル大国ですよね。
ヨアキム:確かにそうなんだけど、今はメインストリームのラジオでメタルがかかることはない。隅に追いやられてしまっている感じがして、とても残念だよ。スウェーデンというのはとてもオープンマインドな国のはずなんだけどね。メインストリームのテレビやラジオは、あらゆる人を対象にしたものでなければいけないはず。俺が子供の頃は、そうだったんだよ。ヘヴィメタルというのは、日常の一部だったのさ。母親がラジオでかかっているヘヴィメタルの曲を聴いて、「これはいいわね」、「W.A.S.P.っていうバンドだよ」なんていう感じで(笑)。音を聴く機会がなければ、それを気にいるかどうかすらわからない。たいていの人は、メタルの外見だけで敬遠してしまうだろ。聴いたことはあるのかと尋ねても、「聴く必要はないよ」なんていう調子でさ。というわけで、俺はヘヴィメタルにハマって、その後新譜をほぼすべて買っていったんだよ。
― Accept以外ではどんなバンドがお気に入りでしたか。
ヨアキム:Accept以外だと、Saxon。Saxonの『Strong Arm of the Law』は、初めて買ったレコードだった。それ以降は、俺はもともとメインストリームのバンドを避けるタイプで、Iron Maiden、Kiss、Led Zeppelinなどは当たり前すぎてね。もっとマイナーなバンドを探しはじめた。それでまず、Yngwie Malmsteenを発見したんだ。Steelerのアルバムでね。それからドイツのバンド、Stormwitchや、20年後に一緒に歌うことになるアメリカのWarlordとか。ハンマーフォールがボーナストラック用などでカバーをやるときは、必ずこういう若い頃大好きだった、だけど割とマイナーなバンドの曲を選ぶようにしている。俺もオスカーも、Pretty MaidsやLoudness、オランダのPictureなんかが大好きなんだよ。
― Pictureはマイナーだけど素晴らしいバンドですよね。
ヨアキム:そうなんだよ。だけど、誰に聞いてもそんなバンドは知らないという。面白いことに、俺たちが「Ravenlord」をカバーした後に、Stomwitchはニュー・アルバムをリリースしたんだよ(笑)。俺たちが火を灯すことに成功したということさ。最高だよ。そういうことがやりたかったからね。Heavy Loadも同じさ。Heavy Loadも大好きで、カバーをやった。こういうマイナーなバンドを発掘することが、俺のミッションなんだよ。
― 当時スラッシュの方にはいかなかったのですか。
ヨアキム:トライはしたのだけど、Metallicaが限界だった。Metallicaより向こう側へは行けなかったよ。俺にとってのヘヴィメタルというのは、ハイトーンの美しい歌声だから。Metallicaの向こう側にいたバンド、例えばSlayerなどは、ヴォーカルが俺の求めるものではなかったからね。10-15年後、そういう音楽を聴くことによって得られるアグレッションなどのフィーリングは理解できるようになったけど。パンク、特にOi!を聴くようになったせいでね。これらはメロディが豊富だからさ。メロディというのは俺にとってとても重要なんだ。曲を作るときも、最も大切なのはメロディなんだ。だから、スラッシュは好きではなかった。レコードはたくさん持っていたけれど。
ー コレクションとしてですか。
ヨアキム:というか、良い作品もあったからね。Sacred Reich、Heathenとか。
― なるほど、ハイトーン系のですね。
ヨアキム:そう。Abbatoirとか。
― あれも良いバンドでしたね。
ヨアキム:うん。まあ良いバンドは良いバンドさ。ジャンルに関係なく。
― パンクを聴くようになったのはなぜですか。
ヨアキム:それは、さっき言ったパンク・バンドのシンガーになった水泳関係の友達を通してだよ。水泳の大会や合宿などで、ヨーロッパ中を旅していたから、いつも彼とは一緒でね。彼がカセットを持ってきていたんだ。Cockney RejectsやUK Subs、Blitz、The Exploitedとか。で、彼は俺よりも3歳年上だったから、これらのカセットを無理やり聴かせられているうちに、好きになったのさ。実はパンク・バンドをやろうというアイデアはあって、バンド名やメンバーなんかも決まってはいるんだ。俺はベースで。デモかEPを出せるといいんだけどね。EPとかスプリット・シングルなんかはパンク・シーンではとても人気があるだろ。パンクが出てきたとき、そこには誰でもバンドを始められるというメッセージが含まれていたよね。そして、実際にみんながバンドを始めて、当然酷いバンドもいた。NWOBHMにも似た側面があって、当時誰もがヘヴィメタルのバンドを結成し始めた。だから、中には酷いバンドもいた。つまり、パンクと初期のヘヴィメタルには、近い部分があるんだよ。
― NWOBHMはパンクを通じて生まれた部分がありましたよね。
ヨアキム:その通りだよ。とてもベーシックで、コードも3つか4つ程度で。パンクは楽しいよ。
― スウェーデンは、今でこそ世界に名を轟かせるメタル大国ですが、80年代はちょっと違ったように思います。もちろんEuropeのように、世界的な成功を収めるバンドもいましたが、特にスラッシュの時代などではあまり多くのバンドはいなかったように思います。スウェーデンがメタル大国になったきっかけとは何だったのでしょう。もちろんハンマーフォールもその1つだと思うのですが。
ヨアキム:とても良い質問だね。80年代当時、俺はスウェーデンのバンドは聴いていられなかった。というのもヴォーカルがね。ヴォーカルのプロダクションや歌い方があまりにスウェーデン丸出しでさ。イギリスのバンドなどに比べると、アマチュアっぽくて。
― 英語がスウェーデン訛りであるということですか。
ヨアキム:そう。スウェーデン訛りが俺にとっては大きな問題だった。当時スウェーデンのバンドで、ヘヴィメタルのトレンドに乗ったバンドは多くなかったように思う。ほとんどは、アメリカのヘアメタルの真似をしていたけど、うまく行ってるとは思えなかった。メンタリティが違いすぎるからね。アメリカのバンドは実際にサンセット・ストリップで生活をしていたわけだろ?やっぱり大きな変化のきっかけとなったのは、デス・メタルだね。みんながスウェーデンに眼を向けるようになった。もちろんその後At the GatesやIn Flamesなどのヨーテボリ・サウンドが生まれて、それが世界中のメロディック・デス・メタルのスタンダードになったよね。そしてハンマーフォールがニューウェーヴ・オブ・スウェディッシュ、あるいはブリティッシュ・ヘヴィメタルのニューウェーヴ(笑)の門戸を開いた。80年代の問題は、プロダクションとアクセントだね。
― デス・メタルのヴォーカルでは、訛りを気にする必要がなかったということでしょうか。
ヨアキム:その通りだよ。それに、俺たちの世代は、80年代のバンドの世代と比べると、英語の発音も上達していると思う。だけど同時に、ドイツのバンドを聞いてみると、やはりドイツ訛りを持っているだろ。
― 面白いのは、日本人は日本語訛りの英語は気にするのに、例えばスウェーデン訛りであるとか、ドイツ訛りは一切気にしないんですよね。あなたがスウェーデン訛りを気にしたのも、同じことでしょうか。
ヨアキム:そうなんだと思うよ。自国のバンドについては、ジャッジが厳しくなるのだと思う。そうそう、ニュー・アルバムの最初のシングルは、「(ウィ・メイク)スウェーデン・ロック」という曲なのだけど、これはスウェーデンのヘヴィメタル・シーンへのトリビュートなんだ。69年から今日まで。歌詞は全て他のスウェーデンのバンドへの参照になっているんだよ。28バンドくらい登場するよ。ビデオでは、50〜60のバンドの写真が飛び回るものさ。みんなが集まってスウェーデン・ロックということだよ。10年か15年くらい前は、音楽はスウェーデンの第2の輸出品目だったんだ。大きなものだったんだよ。
ー スウェディッシュ・メタルに関するとてつもなく分厚い本を持っています。
ヨアキム:ヤンネ(スターク)のだよね。彼はグルだよ。何かわからないことがあったら、彼に聞けばいいのさ。
― 先ほどデス・メタルの話が出ましたが、突如スウェーデンでデス・メタルが盛り上がったのはなぜだったのでしょう。
ヨアキム:スウェーデンは、西海岸と東海岸の大きく2つのグループに分かれる。東海岸、つまりストックホルム中心のグループは、例えばEntombedみたいなアグレッシヴなスタイル。西海岸はイエテボリが中心で、イエテボリ・サウンドから想像がつく通り、彼らはデス・メタルでありながら、メロディを取り入れていたよね。ヴォーカルを除けば、At the GatesやIn Flamesの音楽はとても素晴らしくて、俺のヴォーカルを乗せても違和感がないものさ。たまにとても速いけれども、基本的には素晴らしいヘヴィメタルだ。At the GatesやIn Flamesが出てくるだいぶ前に、俺はバンドをやめてしまっていたからね、よくわからない部分もあるのだけど、当時イエテボリのクラブで働いていて、これらのバンドがプレイをしているのを見て、とても楽しかったよ。オスカーも、Ceremonial Oathでプレイしてた。君の質問に答えるのは難しいのだけど、やっぱりイエテボリのサウンドはとてもユニークで、とてもインパクトが大きかったから、世界的なスタンダードになったのさ。世界中のファンが、スウェーデンに注目して、なんでこれほどクオリティの高いバンドがいくつも1つの街から出てくるのかと不思議がった。街、というか小さな郊外の地域からね。郊外といっても、ワーキング・クラスの人たちじゃないよ。お金持ちの家の子供たちが始めたシーンだったんだ。イエテボリのリッチなエリアから生まれたんだから、面白いよね。それでレーベルは血眼になってこの地域のバンドを探し始めた。At the Gates、In Flames、Dark Tranquility。本当にたくさんの素晴らしいバンドがいた。どのレーベルも、ああいうサウンドのバンドを欲しがった。その数年後、俺たちもイエテボリから出てきたのだけど、俺たちに興味を示したスウェーデンのレーベルは皆無だった。スウェーデンの人気のあるバンドは、みんな国外のレーベルと契約していたのさ。スウェーデンのレーベルが犯した最大のミスの1つだよ。彼らには、本当の才能を見抜く力がなかったんだ。スウェーデンのバンドがスウェーデンのレーベルからさっぱりサポートを受けられなかったというのは、とても残念なことだね。
― あなたのヴォーカリストとしてのキャリアはどのようなものですか。
ヨアキム:さっきも言った通り、最初は本当に酷かった。だからギターを始めたのだし、ギタリストとしてやっている期間も長かったのさ。スウェーデンでは、というか他の国でも同じかもしれないけど、バンドを始める時に、ドラムやベース、ギターを見つけるのは難しくない。だけど、ヴォーカリストというのはそうそういないんだ。だから俺も最初はギターを弾きつつ、正式なヴォーカリストが見つかるまで俺が歌うよ、という感じだったのさ。そうやっているうちに歌が上達してきてね。18歳の時にバンドをやめて、21歳の時かな、友人から電話が来たんだ。3週間後にミュージックコンテストがあって、3曲やるのだけど、と誘われた。特にやることもなかったから引き受けて、リハーサルをやった。そのバンドは5年くらい続けたのかな。その期間に、ヴォーカリストとしてとても成長したんだ。で、スウェーデンにいる理由が何もなかったから、というのも仕事もなく、ガールフレンドも子供いなかったから、ハリウッドに1年間音楽を勉強しに行くことにしたのさ。そこで基礎を学んだ。6日間連続で2時間歌うツアーが2ヶ月続いても大丈夫な方法をね。とても良い経験になったよ。俺の声というのは発展途上で、決して生まれながらのシンガーではないんだ。いきなり上手に歌えるタイプではなかった。大変な努力が必要だったよ。
― スラッシュやデスでは、仮のヴォーカリストがそのまま正式なヴォーカル担当になるというのはよくあると思います。一方で、最初は歌が得意ではなかった人が、一流のヘヴィメタルのヴォーカリストに成長するというのは非常にレアな例ではないですか。
ヨアキム:その通りだね。俺は1200枚くらいヘヴィメタルのLPを持っているけど、80年代のものを聞き返してみると、本当に良いのは20−30%くらいで、残りはあまり良くない。たいていはシンガーのせいでね。最近はうまいシンガーが増えたように思えるけど、これはおそらくコンピューターのおかげだろう。良いシンガーを見つけるというのは難しいんだよ。だから、バンドにとってシンガーを変えるというのは大変なことなのさ。Iron Maidenもそうだっただろ。ブレイズ・ベイリーが入ってどうなった?Judas Priestもそう。もちろんリッパーは素晴らしいシンガーだよ。だけど、みんなが聞きたいのはロブ・ハルフォードだ。シンガーというのは、それぞれ独自のユニークな楽器を持っているようなものだからね。もちろん他のシンガーを真似て歌うことはできるだろうけど、まったく同じヴォーカリストというのはいないからね。だからどのバンドもシンガーは大切にすべきさ(笑)
― Acceptなどは、わりとうまくシンガーの交代をやってみせた気がしますが。
ヨアキム:確かに新しいシンガーはうまくやっているとは思う。パワーもあるし。でも、申し訳ないけど、やっぱり彼はウドじゃないよ。ウドはウドでしかなくて、彼の声はAcceptというバンドや音と完全に結びついているからね。たまにフェスティヴァルなんかで、Acceptがプレイしていて、他のステージではウドがAcceptの同じ曲を、間違ったミュージシャンたちプレイしていたりするのを見ると、いつかもしかしたら(またウドがアクセプトに戻って)、なんていう期待を持ってしまうよ。オスカーとは、しょっちゅう言い争いをしてるんだ。どっちがバンドを辞められるかって。俺たち2人だけが、ファースト・アルバムからいるメンバーだからね。俺は「オスカーはいなくちゃダメだ。オスカー抜きではハンマーフォールじゃない」って言ってるんだけど、彼の方は逆に「アホか、お前が辞めたらもうバンドは続けられないだろ」って。「いや、バンドを結成したのはオスカーだろ。俺は請負人でしかないよ」なんて言い争い続けてるんだよ。まあ、実際は2人のコンビネーションなんだろうけどね。強力な2人組だから。
― シンガーとして成長した理由は何だったと思いますか。
ヨアキム:やっぱりリハーサル・ルームで過ごした時間だよ。スウェーデンのバンドは恵まれていてね。政府がリハーサルのための場所を援助してくれるんだ。普通の学校に通っていても、申請すれば音楽学校にも通えて楽器を習うことができる。だから、スウェーデンでは楽器を演奏できる人がとても多いんだ。俺はそのシステムは使わなかったのだけど、バンドを始めると、やはり政府から援助を受けられるのさ。それでリハーサルする場所を確保できる。これはスウェーデン特有のシステムで、アメリカでは3時間スタジオを借りるのにもそれなりのお金を払う必要があるだろ。おかげで俺もリハーサル・ルームでたくさんの時間を過ごすことができた。試行錯誤してね。ある程度歌えるようになってきたところで、アメリカの音楽学校に行ったことも良かった。その間はバンドにも一切入らず、ただ歌うことに専心したんだ。アメリカに行った理由は、さっきも言ったようにスウェーデンにいる必要がなかったからなんだけど、他にも俺に歌を歌ってほしいというギタリストに会ったということもあった。King DiamondやMadisonでプレイしていたマイケル・ムーンなのだけど、彼からヴォーカルをやってほしいと言われてね、それで俺ももしかしたらヴォーカリストとしてやっていけるんじゃないかと思うきっかけになったんだよ。俺は自分に厳しかったし、今も厳しいのだけど。自分にプレッシャーをたくさんかけてね。だけど彼に声をかけられて、タバコもやめて、シンガーとしてどこまでやれるか試そうと思ったのさ。それで、「よし、アメリカに行ってみよう」と。アメリカではメタルはまったく歌わず、ジャズやブルースなんかをやった。1年間ね。他のジャンルを歌うことで、シンガーとして成長できるか試してみたかったんだ。94年にスウェーデンに戻ってきたときは、バンドを見つけられなくてね。誰もヘヴィメタルなんてプレイしていなかったから。それで諦めかけた頃に、イェスパーから電話がかかってきたんだ。シンガーを探していると。それで俺の人生はすっかり変わったのさ。
― 今のメタル・シーンをどのように見ていますか。
ヨアキム:新しいバンドを追うのは難しくなってきてるね。10年、20年前とはシーンが変わってきているよ。いわゆるメジャーなバンドというのは、俺にとってはヘヴィメタルじゃない。Five Finger Death PunchやDisturbedなどは、なんというか、違ったタイプのメタルのジャンルという気がする。ヘヴィメタルのバンドについては、以前と同じく、良いものもあればそうでないものもある。もちろん、とても素晴らしい作品もあるだろうけれど、そういうのを見つけるのは難しくなってきてる。リスナーの立場としては、どこでそういう作品を探せば良いのかよくわからなくてね。49歳になった今となっては、かつてのようにハングリーではないし。もちろん、突如素晴らしいバンドを耳にすることもある。Beast in Blackとか。バンドをやってヘヴィメタルをやろうと思う若者がいるというのは素晴らしいことだよ。この音楽にも未来があるという証明だからね。スウェーデンには、ソロのシンガーのためのスタジオがたくさんできている。つまり、バンドをやろうという若者が全然いないということなんだよ。みんながソロアーティストになりたがったら、一体どうなってしまうのだろう。K-POP、J-POP、どんなPOPにしろね。バンドという、何かの一部になる一体感はどうなってしまうのだろう。とても大事なことだと思うのだけど。バンドを結成してリハーサルして、一緒に成長をしていく。家で一人でブレイクするのを待つのではなくてね。この間はGloryhammerとツアーをしたのだけど、彼らもとてもクールだね。彼らの姿勢がとても気に入った。ドイツのOrden Oganともツアーしたけど、彼らも良かった。新しい世代のバンドは出てきているよ。だけど同時に、上の世代のバンドは、正しい時期に身を引くべきだということを理解すべきだと思う。手遅れになる前に、バトンタッチできるようにね。俺たちは25年もやっているけれど、未だにフェスでは中間の位置にいる。ヘッドライナーはビッグネームだけど、もはやふさわしいステージを見せられないバンドもいる。「そんなことはどうでもいいんだ、ビッグなバンドなんだから」という人もいるだろう。だけど、酷いものは酷い。アイスホッケーやサッカーでも同じだろう。マラドーナは、間違いなく素晴らしい選手だった。でも今、レアル・マドリードにマラドーナが加わったらどうなる?2分ほどボールをパスして終わりだろう。フル出場なんてできるはずがない。引退して久しいわけだからね。もちろん今でも素晴らしいショウをやる古いバンドもいるよ。だけど、そのせいで新しいバンドはなかなか最後のステップアップができない。まあ、そう遠くないうちに状況は変わるかもしれないけどね。UFOもイギリスツアーが終わって、メンバーが亡くなってしまったよね。
― お気に入りのアルバムを3枚教えてください。
ヨアキム:刻々と変わるからなあ。朝起きて機嫌が良いか悪いかとかでも変わるし。まあ、でも必ず挙げるのはイギリスのバンドDemonの『The Unexpected Guest』。これがNo.1だよ。これは水泳をやっている時に本当に大きなインパクトがあった。
― Demonは、イメージがめちゃくちゃサタニックなのに、音は割とポップというギャップが面白かったですよね。
ヨアキム:そう。ファースト・アルバムも良かった。
― 「Night of the Demon」とか、名曲ですよね。
ヨアキム:オーマイゴッド(笑)。あれは、A面とB面でも感じが違って、A面は暗い雰囲気が漂っているのに、B面は思いっきりロックンロールだし。『The Unexpected Guest』は、集中をする時にとても大きなインパクトを与えてくれた。横になって、えーっと、英語では何というのかな、眠っているのと起きているのとの間の状態で、動けないけど音などは聞こえる状態。このアルバムを聴くと、いつもそういう状態になったんだ。オスカーに聴かせたら、「これ何?」なんていう反応でさ。「最高だろ」って言っても「いや、理解できないな」なんて言われてしまったんだけど。このアルバムを理解するには、これがリリースされた当時に聴いていなくてはいけないのかもしれないね。とにかくこれがNo.1さ。No.2は、だいぶ古い作品なのだけど、Riotの『Fire Down Under』。Riotは時期によってスタイルがあるよね。
― 音楽性を何度か変えてますからね。
ヨアキム:そうなんだよ。トニー・ムーアが初参加した『Thundersteel』も大好きだけど、最新の1枚前も素晴らしかったよね。何というタイトルだっけ。『Unleash the Fire』。あれはヘヴィメタル史上最高のアルバムの1つだよ。実はドニー(ヴァン・スタヴァン)から、このアルバムで歌ってくれと頼まれていたんだけど、断ったんだ。
― アルバム全部を歌ってくれと?
ヨアキム:そう、Riotに加入してほしいと。だけど、ハンマーフォールと両立ができないから断ったんだ。それで出来上がったこのアルバムを聴いて、本当に俺が歌わなくて良かったと思ったよ。彼らが見つけたシンガーは本当に素晴らしいよね。もし自分が歌っていたら、こんなに楽しんで聴けなかっただろうし。とにかく良いアルバムだよ。No.3は『Operation: Mindcrime』。ジェフ・テイトからはシンガーとして大きな影響を受けたからね。最初のEPや『The Warning』も好きだよ。クイーンズライクがDioのオープニングをやるのを見たことがある。『The Warning』のツアーの時にね。最高だったよ。
― では最後に、日本のファンへのメッセージをお願いします。
ヨアキム:待ってくれた甲斐があるアルバムになっていると思うよ。素晴らしいサポート、どうもありがとう。Heavy Metal Rules!
文・取材 川嶋未来
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★最新スタジオ・アルバム
2019年8月16日 世界同時発売予定
ハンマーフォール『ドミニオン』
【100セット 直筆サインカード付きCD】 WRDZZ-875 / ¥3,500+税
【CD】 GQCS-90732 / 4562387209729 / ¥2,500+税
【日本語解説書封入/歌詞対訳付き】
【CD収録予定曲】
- ネヴァー・フォーギヴ・ネヴァー・フォーゲット
- ドミニオン
- テスティファイ
- ワン・アゲインスト・ザ・ワールド
- (ウィ・メイク) スウェーデン・ロック
- セカンド・トゥ・ワン
- スカーズ・オブ・ア・ジェネレーション
- デッド・バイ・ドーン
- バトルウォーン
- ブラッドライン
- チェイン・オブ・コマンド
- アンド・イェット・アイ・スマイル
【メンバー】
ヨアキム・カンス (ボーカル)
オスカー・ドロニャック (ギター)
ポンタス・ノルグレン (ギター)
フレドリック・ラーソン (ベース)
デイヴィッド・ウォリン (ドラムス)
ハンマーフォール『ドミニオン』オフィシャルページ
https://wardrecords.com/products/detail5068.html
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★HAMMERFALL出演決定
BURRN創刊35周年記念
WARD LIVE MEDIA PRESENTS
METAL WEEKEND2019
Powered by Guardian Tokyo
- 出演
DAY1 9/14(土) LOUDNESS / MYRATH / BEAST IN BLACK / Ronnie Romero + Nozomu Wakai METAL SOULS HR/HM Historia
DAY2 9/15(日) HAMMERFALL / MYRATH / BEAST IN BLACK / Ronnie Romero + Nozomu Wakai METAL SOULS HR/HM Historia
- 会場
東京:ZEPP DIVERCITY TOKYO
- 日程&開場/開演時間
9/14(土) 開場 15:00 / 開演 16:00
9/15(日) 開場 15:00 / 開演 16:00
※両日再入場可
- チケット販売情報
主催者先行販売 6/18(火)12:00 ~ 6/24(月)17:59
一般発売開始 7/20(土)
1Fスタンディング 7,500円
1F後方指定席 8,500円
2F前方指定席 15,000円
2F後方指定席 8,500円
主催:WARD LIVE MEDIA / Guardian Tokyo
制作:KATANA MUSIC KK
協力:BURRN!編集部 / CREATIVEMAN PRODUCTIONS
問い合わせ:CREATIVEMAN PRODUCTIONS 03-3499-6669 (平日12:00-18:00)
METAL WEEKEND2019特設サイト
http://wardrecords.com/page/mw2019/
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