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DESTRUCTION

『ボーン・トゥ・ペリッシュ』共通するテーマは「人類」

RELEASE INFO

川嶋未来

ニュー・アルバム『ボーン・トゥ・ペリッシュ』をリリースするデストラクション。バンドの顔であるシュミーアに、いろいろと話を聞いてみた。

 

 

シュミーア:ハロー。ずいぶんと音がいいね。前のインタビューはオランダだったのだけど、やたらと音が悪くてさ。隣国なのに。日本とのほうが音が良いって不思議だね(笑)。昨晩ドイツは酷い嵐で、インターネットのつながりが悪くなってるみたいなんだ。じゃインタビューを始めようか。

 

― 今回のアルバムで一番の驚きは、やはり4人体制になったことです。もう1人ギタリストを加えようという決断を下したのはなぜですか。

 

シュミーア:トリオという形態は確かにとてもクールだし、俺たちも長いことトリオでやってきた。それにミュージシャンとしても、3人だけというのは1人1人がフォーカスされるというのも良かった。そういう意味でトリオは素晴らしかったのだけど、一方で制限もあった。アルバムを作るときはいつも、何がやれて何がやれないかを考える必要があった。ライヴではギターが一本しかないからね。俺たちはバッキング・トラックも使わないし、いろいろと制限があったのさ。今回は、ただ思ったように曲作りをすれば良かった。制限なんてないから。もう一人ギタリストを見つけるにあたっては、それにふさわしい人物である必要があるとも思っていた。ただギターがうまいというだけではダメだ。人としてきちんとしていて、バンド内で仲良くやれる人間でないとね。ダミアは前のアルバムでもソロを弾いてもらっていたし、長いこと彼を知っていたから。確かにギタリストをもう一人加えるというのは、俺たちにとってはリスクでもあったよ。ライヴやレコーディングで、それがうまくいく保証はなかったわけだし。だけど、こうやってアルバムが完成して、ライヴも何本もやってみて、結果はファンタスティックとしかいいようがない。バンドに新鮮な空気が入った感じさ。よりタイトでパワフルになって、いろいろなことができるようにもなった。マイクももう一人のギタリスト、パートナーができたことをとても喜んでいる。彼にとってもチャレンジであった一方、肩の荷がおりたという感もあるんじゃないかな。

 

― マイクはギター一本へのこだわりがあるのかと感じていたのですが、もう1人ギタリストを加えることに異議を唱えたりなどはなかったのですか。

 

シュミーア:いや、それはなかったよ。何年も前からギタリストは探していたし、マイクももう1人ギタリストを加えるというアイデアをとても気に入っていたよ。マイクはリフマスターだけれども、典型的なギターソロ・プレイヤーではないんだ。ソロを弾くのはもちろん好きだけれど、常にソロを弾いていたいというタイプではない。曲を作ってリフを弾くタイプ。メタリカのジェイムズみたいなね。ギタリストが彼だけだと、ステージでソロをすべて弾かなくてはいけないだろ。もう1人ギタリストがいれば、ソロを任せることもできる。それにライヴでは、ハモることもできる。ライヴではプレイできなかった曲も、やれるようになるし。

 

「ビトレイヤル」オフィシャル・ビデオ

 

― となると、(ギター2本体制で作られた)『Release from Agony』時代の曲もレパートリーに復活してくるということでしょうか。

 

シュミーア:間違いなくずっとプレイできなかった曲をやれるチャンスが訪れているよ。一番に思いつくところだと、「Reject Emotions」。この曲はずっとプレイできていなかった。アコースティックのパートもあるし、曲中ずっとギターのハモりがあるからね。あとは「Sign of Fear」。これはとてもファンに人気の曲なのだけど、ライヴではやれなかった。ハーモニーもあるし、サビの部分でギターのタッピングもある。ギター一本ではサビを再現できなかったんだ。次回日本に行くときも、間違いなくこの時期の曲を聴かせられると思うよ。

 

― 新ギタリスト(Damir)の名前は、どう発音するのですか。

 

シュミーア:ダミア・エスキッチ。彼はスイスに住んでいるけれど、もともとはユーゴスラヴィアの出身なんだ。彼がまだ赤ん坊のころ、両親が戦禍を避けてスイスにやってきたんだ。

 

― シュミーアと同じ感じでダミアなのですね。

 

シュミーア:そう、シュミーアとダミアだよ(笑)。

 

― 今回はドラマーも変わっています。

 

シュミーア:ランディは間違いなく最高のメタル・ドラマーの一人さ。本物のオールドスクール・マスターだよ。獣みたいにドラムを叩くんだ。10年前にドラマーを探したときも、ランディは候補の筆頭だったんだ。結局ヴァーヴェルが加入したのだけど。スケジュールの都合があったし、彼は若かったからね。ランディはプライマル・フィアでドラムを叩いて忙しかったというのもある。ランディには、2年前セパルトゥラとのアメリカ・ツアーでもドラムを叩いてもらって、デストラクションの曲はたくさん覚えているから、ヴァーヴェルがバンドが去ることを決まったときに、またヘルプをお願いしたんだ。すでに決まっているライヴをこなすために。日本にもランディと行ったし、オーストラリアとかでもプレイした。ランディはプレイヤーとしても優れているし、人間的にも最高だ。デストラクションにぴったりのドラマーなんだよ。だから、去年の夏バンドに正式に加入するようお願いしたのさ。去年のヴァッケンが、オフィシャル・メンバーとしての最初のライヴだった。

 

― 日本盤ボーナスにはライオットのカバーが収録されていますが、ライオットを選んだ理由は何ですか。

 

シュミーア:俺たちは、大好きなバンドのカバーしかやらない。俺たちに影響を与えた、そのバンドがいなければデストラクションは違うバンドになっていたというようなアーティスト。過去にカバーしてきたのも、そういうパンク・バンドやNWOBHMのバンドばかりだった。今回のアルバム(ヨーロッパ盤)では、タイガース・オブ・パンタンのカバーもやっているけれど、それも同じ理由さ。ライオットは、初めて聴いたアメリカのメタル・バンドだった。ライオットがいなければ、アメリカのメタルはなかったようなものさ。彼らは79年にデビュー・アルバムをリリースして、80年代頭に出た『Narita』は、俺たちにとって重要な作品なんだよ。ギターリフもクールだし、シンガーも特別だ。音楽自体も、あの時代にしてはとてもパワフルだろ。だからライオットを選んだんだよ。もちろんこういうバンドをカバーするというのはチャレンジでもある。強い個性があるし、スペシャルなシンガー、曲だからね。マーク・リアリは素晴らしいギタリストだしね。彼らへ敬意を払いつつ、デストラクション流にカバーをしたよ。

 

 

― 今回のアルバムのコンセプトは何でしょう。タイトルトラックは、反宗教的な内容ともとれますが。

 

シュミーア:どの曲も、共通するテーマは「人類」さ。今のこの世界はとても悲劇的で、さまざまな困難が存在している。俺が書く歌詞は、どれもそのことについてだよ。歌詞を書くときは、あまりクリアにならないようにしているんだ。リスナーに解釈の余地を与えられるようにね。だから、それが何についてなのかはっきりとはわからない歌詞もあると思う。「ボーン・トゥ・ペリッシュ」は、人生において偶像を持つということについて。もちろん宗教的な偶像ということにもなるし、それ以外の意味にもとれる。とても大切にしているけれど、実は自分にとっては良いものではない偶像のこと。だから反宗教的な曲ともとれる。Lords、Hosts、Godsなんていう単語も使っているし。いろいろと解釈できるようにはしているよ。誤った偶像を作り上げ、そののせいで人生を困難なものにしてしまうということさ。

 

― 「フェイタル・フライト17」はマレーシア航空機撃墜事件についてですよね。

 

シュミーア:この事件は、ヨーロッパという俺にとって身近なところで起こった悲劇的なものだ。俺は仕事柄飛行機に乗ることが多いから、どの航空会社が良いかというのはよく調べているんだ。航空会社を選ぶのに、とても慎重になっている。飛行機に乗るのは俺の人生の大きな部分を占めているからね。軍事的な衝突のせいで、民間の飛行機が撃墜されるなんて、とてもショッキングなことさ。この事件は、ゲイリー・ムーアの「Murder in the Skies」を思い起こさせた。これは日本海で飛行機が撃墜された事件についてだよね。

 

― 大韓航空機撃墜事件ですね。

 

シュミーア:まだマレーシア航空撃墜事件についての曲は書かれていないようだったから、俺が書くべきだと思ったんだ。とても衝撃を受けたから。さらに、もう1つ別の話もあった。オランダに住んでいる俺の友人の友人が、この飛行機に乗っていたんだよ。Facebookで、友達がスレイヤーのライヴを見に行ったという投稿をしていた。次の日、彼が「友人がマレーシア航空に乗っていて死んでしまった」という投稿をしていたんだ。Facebookには、彼らがスレイヤーのコンサートにいってパーティをしている写真などが載っていた。実はその彼はスレイヤーのライヴが見たくて滞在を一日伸ばし、その結果そのマレーシア航空機17便に乗ることになってしまったのさ。つまり、スレイヤーのライヴを見たせいで、命を落とすことになってしまったということ。とても悲しい話だよ。それに、この撃墜事件については、まだ真相がはっきりしていないし。こうやって曲にすることで、この事件が忘れられないようにするという気持ちもあった。本当に残酷な話だよ。

 

 

― 「ブッチャード・フォー・ライフ」についてはいかがでしょう。「俺のスクリーンからクズはふき取る」なんていう歌詞も出てきますが、前作に引き続き、これもインターネットで調子に乗っているやつらについてでしょうか。

 

シュミーア:(笑)。この曲は、もうちょっと深い内容さ。ファンによく聞かれるんだ。「次のアルバムにマッド・ブッチャーは登場しますか?」って。だけど、予測がつくようなことはしたくないというのがある。もっと人間の邪悪さを象徴するようなアートワークにしたいというのもあって。その代わりに、歌詞の中にブッチャーを登場させたんだ。歌詞を書くにあたって、いかに人生というものが尊いか、そしていかに人々の間に理由もない憎悪がはびこっているかということに気づいた。君はこれをインターネット上の憎悪と解釈したようだけれど、確かにそれも一部だ。だけどそれだけではなく、もっと人類はどこへ向かっているのか、人々はあまりに利己的になりすぎているのではないか、という内容さ。人生において何を成し遂げたいか。お互い協力して、隣人たちと助け合ったほうがいいのではないか。ただ自分のことばかり考えるのではなくてね。最近は多くの人たちが自分のことにしか関心がないように見える。そのせいで、金持ちはさらに金持ちになり、貧乏な人たちはさらに貧乏になっていく。これこそがフェイクシステムさ。君は日本という国に住めて、とてもラッキーだと思うよ。日本には違った文化があって、もちろん大変な部分があることは知っているけれど。たくさん働かなくてはいけなかったりとか。だけど、世界中をツアーしていると、ほかの国ではもっと人々が利己的になっているように感じるんだ。それで、「詐欺師になりたいのか、それとも本物の人間になりたいのか」と問う歌詞を書いたんだよ。自分のことだけを考えて作り上げたものは、ただのインチキでしかない。もっとお互いに助け合いサポートすることを学ぶべきなんだ。ヒッピーみたいなことを言っていると思われるかもしれないけど、俺としてはこういう言い方しかできない。考え方を変える必要があるのさ。現実としてね。

 

― ”Buthcer”をどういう意味で使っているのですか。

 

シュミーア:文字通りとれば「虐殺する」「殺す」ということだけど、決して物理的なものだけを意味するわけじゃない。自分自身のライフスタイルを殺してしまうとか、あとは自分の将来とかね。夢を犠牲にするとか。自分の夢、他人の夢を殺すということさ。

 

― 「フィルシー・ウェルス」には、「他者の弱みにつけこんで金持ちになる最高のビジネスモデル」という歌詞が出てきます。これは何か具体的なことが念頭にあるのでしょうか。

 

シュミーア:これは、自分たちのことしか頭にないビジネスマンのこと。他人の金を奪って、自分の夢をかなえる奴らのことさ。大企業とかね。大企業は小さな企業を食い物にする。買収して、元々いた従業員たちをみんなクビにしたり。そうやって、大企業はますます大きくなっていく。だけど、そのせいで犠牲になっている人たちがいるわけさ。まさに、汚いビジネスモデルということだよ。それで金持ちにはなるだろう。だけど、他人の人生をめちゃくちゃにして金持ちになっているわけさ。長年勤めた会社が買収されて、あっという間に解雇されたりとか。これは1つの例でしかない。ほかにもさまざまな例があるよ。汚い金は一体どこからやってきたのか。ここヨーロッパでは、大企業は税金を払いやしない。ドイツでは、俺たちみたいな庶民は50%近い税金を取られているのにだよ。大企業は何億円も設けながら、税金を払わない。だから、その金はどうやって儲けたのかを問うているのさ。他人を犠牲にして得た汚れた富なんだよ。他人に損をさせて得ているお金なんだから。まさにこれこそがシステムであり、本当にウンザリさせられる。

 

― 「ラットキャッチャー」では「何で俺はメインストリームのテイストを受け入れられないのだろう?」と歌っていますが、やはりメインストリームの音楽は嫌いですか。

 

シュミーア:(笑)。俺は若いころからずっと、メインストリームの音楽が大嫌いなんだ。子供のころ、ラジオで流れる音楽が大嫌いでね。だから、ヘヴィメタルをプレイし始めたんだよ。80年代の初め、商業的なポップ・ミュージックがとても人気でさ。ボーイ・ジョージとか、ミリ・ヴァネリとか、本当に酷かった。それでヘヴィメタルを聴くようになって、それ以降俺はあまり変わっていない。人々は簡単に流される。日本にあるのかわからないけど、テレビで素人が歌ってスターを誕生させる番組とかさ。ビッグ・マネー・マシンだよ。そういう奴らのほとんどは1曲だけヒットを出して、それで消えてしまう。金儲けのマシンでしかないからね。俺は長いこと、なぜ大衆の好みというのはこうも奇妙なものなのか考えてきた。なぜ人々は、多くの人が良いと思うものを好むのか。自分自身の考えを持った方が良いのではないか。みんなが好むものばかりを好むだけよりもね。これは政治的な問題にもつながってくる。政治的内容も構造は同じだから。多くの政治家は、世論を作りだすのにトリックを使う。そうやって有名になって票を集めるのさ。「ラットキャッチャー」というのは、日本語にあるかわからなのだけど、ドイツでは古い言い回しなんだよ。「ハーメルンのネズミ捕り屋」という古いお話があって。

 

― ハーメルンの笛吹きの話ですね。

 

シュミーア:そう、それ。そこから来た言い回しで、人々を操るのがいかに簡単か、良い考えでなくても、プロモーションやパブリシティをうまくやることで、人々を従わせることができる。今はインターネットやテレビが主要なターゲットさ。それらを使って世論を作り出すなんて簡単なことなのだろう。俺は自分自身の考えを大事にするタイプだから、集団ヒステリーみたいなのは大嫌いだし。他の人たちにただついていくのではなく、自分自身で考えたいんだ。「ラットキャッチャー」はそういう内容だよ。

 

 

― 「インスパイアード・バイ・デス」は非常に興味深い内容でした。私も49になり、非常に死というものを身近に感じるようになったというか。若いころは完全に死なんてファンタジーだったのですが。

 

シュミーア:(笑)。まさにそういうこと。年とってくると、死が身近なものになり、死について考えざるをえないということだよ。死が身近なものになってくると、それは恐ろしいものになってくる。実はこの曲を書いているときに、わずか1週間で3人もの友人が亡くなってしまったんだ。デスのラルフ・サントーラ。アイスド・アースでもギターを弾いていたよね。それからマーク・パガニーニ。80年代にVIVAで歌っていたシンガーだよ。マイケル・シェンカーの妹、バーバラ・シェンカーもいたバンドさ。さらにもう1人、長年の友人も亡くなってしまったんだ。それでとてもショックを受けてね。みんな同世代だったし。それで、悲しい気持ち、いずれは死ぬということについての考えを書いていった。書き上げて思ったのは、大切なのは人生を楽しむこと。すべての瞬間を、これが最後であるかのように感じること。明日には死んでしまうかもしれないわけだから。年をとってくると、死についていろいろ思うところが出てくる。若いころは気にもしていなかったのに。君も言ったように、死はファンタジーでしかなかった。あまりに遠いものだからね。実際には若くても、飛行機事故で死んでしまうかもしれないのだけど。この曲のメッセージは、人生というものを自覚し、最大限楽しめということさ。この曲は、歌詞を書き終わっても、タイトルが決まっていなかったんだ。で、これは死にインスピレーションを受けて書いたわけだから、それをそのままタイトルにしたんだ。とても良いタイトルだからね。誰もが死ぬのだから。

 

ー ジャケットのアートワークは何を表しているのですか。

 

シュミーア:ハゲタカは、もちろん欲望を表している。厳密に言うと人間の欲望の行きつく先。2つ頭があるのは、二面性を表しているんだ。2つの顔を持っていて、一方で笑っていながら、他方では背中にナイフを刺す。ハゲタカは誰もが持っている人間の内面にある邪悪なものさ。それを抑圧して決して表面に出さない人間もいる一方、その邪悪さを利用して成功しようとするやつもいる。いろいろと歌詞に書いたようにね。さらに、宗教的なシンボルも描きこまれている。王冠が描かれているのは、今では誰もが王様になりたがっているという意味。みんなYouTubeのインフルエンサーだとか、重要人物になりたがっているだろ。俺が子供のころは、医者や消防士、パイロットになりたいというのが普通だった。それが今ではYouTubeスター、インフルエンサー、ロックスターなんていう状況さ。変わったよね。とにかくダークなカバーにしたかったんだ。今回は音楽も多少ダークだし。全体的にイーヴルな雰囲気になっている。それに、エンブレムのようなわかりやすいカバーにしたかったというものある。ステッカーみたいに貼って、すぐにデストラクションとわかるような。前にやったような3Dとか、リアリズム的なのではなくて、エンブレムや旗みたいなものにしたかったんだ。ファンが気に入ってくれるかは自信がなかったのだけど、いつもと違うからね、だけどリアクションはとても良いよ。

 

― ここからは、昔の話を聞かせてください。あなたにとって、そもそもエクストリームな音楽との出会いとはどのようなものだったのでしょう。

 

シュミーア:君にとって何がエクストリームな音楽かということになるけど、俺にとってはエルヴィス・プレスリーが最初のエクストリームなシンガーだった。初めてエルヴィスの「Jailhouse Rock」を聴いたのは、確か8歳のころだった。それが初めてのロックンロール体験だったんだ。それ以前もドイツのロックンロールを聴いたことはあったけど、エルヴィスほどワイルドじゃなかったからね。「Jailhouse Rock」はワイルドでクレイジーに聴こえたんだ。それからいろいろとロックを聴くようになって、その後ステイタス・クォーに出会った。70年代、初めて買ったレコードがステイタス・クォーだった。それがギター中心のロックとの初めての出会いだったね。AC/DCやディープ・パープルのあと、エクストリームな音楽、すなわちヘヴィメタルとの出会いという意味ではジューダス・プリーストさ。『Unleashed in the East』というライヴ盤が、初のヘヴィメタル体験だった。79年か、80年のことだったかもしれない。さらにエクストリームな音楽となると、NWOBHMのバンド。レイヴンやジャガーとか、ほとんどスピード・メタルと言える音楽をプレイしていたバンドたちだね。デストラクションを結成したときは、速くてクレイジーな曲だけを演奏しようと思っていた。というのも、当時のヘヴィメタル・バンドは、アルバムの中にせいぜい1曲や2曲だけ速い曲があるというのが普通だったから。例えばアクセプトなんかも、「Fast as a Shark」だけが速くて、残りは普通だったよね。だから俺たちは、アルバム全部速い曲をやってやろうと思ったんだ。それでもっと速く、もっとアグレッシヴでもっとクレイジーな曲を書いていきたいと思ってデストラクションを始めたんだよ。

 

― 82年にKnight of Demonという名でバンドをスタートした当時、影響を受けたアーティストはどのあたりだったのでしょう。

 

シュミーア:Knight of Demonを結成したころは、UFOの「Doctor Doctor」なんかをカバーしていたことを覚えているよ。これは初めてベースで弾いた曲の1つさ。あとはサクソンの「Wheels of Steel」とかね。それからもっとエクストリームなことをやりたくて、一つ先のレベルのバンド、例えばさっき言ったジャガーとか、あと、82年か83年に『Metal Massacre』が出て、そこに「Hit the Lights」という曲が入っていた。それがメタリカ初体験だったよ。ちょうど同じころ、エキサイターのファースト・アルバム『Heavy Metal Maniac』も出た。これらが出て、これこそ俺たちがやりたいことだと思ったのさ。だけど、そこでギタリストとヴォーカリストがバンドを抜けてしまった。「こんなのやりたくないよ、いくらなんでも速すぎる」って言い争いになってしまい、結局マイクと俺、トミーの3人が残ったわけさ。これがデストラクションの誕生だった。速くてクレイジーな曲を書いてね。当時はみんな笑ってたけど。「何だよこれは、クレイジーすぎるだろ」って。でもどうでも良かった。やりたいことをやるだけだったし、有名になりたいなんて考えもしなかった。ただ現実から逃げ、音楽をプレイして楽しみたかっただけだったから。若者はそういうものだろ。現実から逃げて、音楽で自分たちを表現する。人とは違ったやり方でね。

 

 

― 当時はまだメタリカやスレイヤーもデビューしておらず、当然スラッシュ・メタルというカテゴリーも言葉もなかったですよね。自分たちは一体どういうくくりの音楽をプレイしていると自覚していたのでしょう。

 

シュミーア:もちろん今は年も重ね、賢くなったから、自分たちのスタイルについてはよく理解している。だけど当時は何も考えていなかったよ。スラッシュという単語を初めて聞いたのは、メタリカの「Whiplash」だった。”thrashing all around, acting like a maniac”って。だけど当時は「Thrasing」というのがどういう意味なのかもわからなかった。英語も得意ではなかったし。16歳か17歳でね。「スラッシュ・メタル」という単語を初めて聞いたのは、86年くらいだったと思う。

 

― ずいぶんとあとになってからですね。

 

シュミーア:そう、だいぶあとになってからだよ。「スラッシュ・メタル」という言葉が生まれたのはいつか知ってる?俺ははっきりとは知らないのだけど。86年か87年くらいに音楽ジャーナリストが「スラッシュ・メタル」って呼び始めたんじゃないかな。それ以前は、自分たちのことを「ブラック・スピード・ハードコア・メタル」なんて呼んでいたことを覚えている。面白いよね。当時までブラック・メタルなんていうジャンルもなく、ハードコア・メタルなんていうものもなかった。スピード・メタルというジャンルはあったかもしれないけど。エキサイターとかさ。一体誰がスラッシュ・メタルという単語を考えたんだろう。アメリカの音楽ジャーナリストが雑誌で使ったとかじゃないのかな。

 

― 一般的には、84年にマルコム・ドームが初めて使ったということになっています。

 

シュミーア:ああ、ケラング!に書いてるイギリス人のジャーナリストだね。

 

― しかし、ポゼストのジェフ・ベセーラと話したときは、80年~81年くらいには、エクソダス周辺で「スラッシュ・メタル」という言葉がすでに使われていたと言っていました。

 

シュミーア:それはないよ。アメリカではもしかしたら、英語が彼らの母国語だからね、早くから使われていた可能性はあるかもしれない。だけど、少なくともヨーロッパでは、そんな言葉はなかった。それに85年にスレイヤーとツアーをしたのだけど、『Hell Awaits』のときね、そのときも俺たちの音楽を「スラッシュ・メタル」と呼ぶやつは一人もいなかったよ。「スラッシュ・メタル」という言葉が使われるようになったのは、もっとあとになってからさ。デス・メタルも同じだよね。ポゼストがデビュー・アルバムで使ったけど、86年か85年だっけ?『Seven Churches』で。だけどデス・メタルという音楽が登場したのがいつかというのはまた別の話さ。(デスの)チャックのヴォーカル・スタイルは、それまでのどんなものとも違っていたよね。だから、デスが初のデス・メタル・バンドと考える人は多いけど、ポゼストこそが最初と考えることもできる。

 

 

― ヴェノムについてはどう見ていましたか。

 

シュミーア:ヴェノムは重要ではあったよ。少なくともイメージという点においてはね。当時、彼らの演奏にはあまり魅かれなかったけれど、あのイーヴルでストロングでブルータルなイメージにはね。それから当時、俺が初めて見たライヴの1つが、85年、いや84年だったかな、スイスでのメタリカとヴェノムのショウだった(注:84年2月3日)。メタリカも好きだったけど、俺の目当てはヴェノムだったんだ。ところが、メタリカが完全にヴェノムを食ってしまってね。ヴェノムはステージでは、俺たちが期待したほどワイルドじゃなかったんだ。とてもワイルドなバンドというイメージだったのだけど、実際のステージはそうでもなかった。あまりヘッドバンギングもせず、それほどクレイジーでもなく、ただつっ立って演奏している感じで。一方のメタリカは若かったこともあって、走り回ってヘッドバンギングも激しくてさ。メタリカが大好きになった。一方で、ヴェノムとはこのショウで決別してしまった感じだったね。「もうヴェノムはお気に入りのバンドじゃないな」なんて思って。いずれにせよ、イーヴルなスピリットというヴェノムのイメージは、当時とても重要だったね。まったく新しいものを作り出したわけだろ。まったく新しいイメージで、デストラクションもそれを取り入れたわけだし。

 

― 『Seven Dates of Hell』のツアーですよね。今では完全に伝説となっているツアーですが。

 

シュミーア:俺は一番前で見ててさ、ジェイムズ・ヘットフィールドが観客に頭を突き出してヘッドバンギングしてさ。俺はジェイムズの頭をつかんだことを覚えているよ。ジェイムズが柵のところに来て、頭を突き出してヘッドバンギングしてたんだよ。それで俺は頭を触って「イエーイ、メタリカのギタリストの頭を触ったぞ!」なんて思ってさ。子供のころの最初のファン体験さ。

 

― 他に当時見たライヴで印象的なものはありましたか。

 

シュミーア:一番初めて見たライヴはサクソンだった。『Wheels of Steel』ツアーのとき。81年で、俺にとってサクソンはとても重要なバンドだった。81年にはレインボーも見た。普通のヘヴィメタルばかりだよ。初めて見たエクストリーム・メタルのライヴとなると、やっぱりヴェノムとメタリカだね。その前は、アイアン・メイデンとか、アクセプトとか。アクセプトの『Restless and Wild』のツアーも、俺にとってはとても重要だった。とても速い曲もあったし、レザーのコスチュームとか、凄くクールなイメージだったしね。ステージではアクセプト独特の動きもあっただろ。アクセプトのライヴはとてもスペシャルなものだったよ。

 

― そもそもデストラクションという名にした理由は何だったのですか。

 

シュミーア:ソニック・デストラクション、つまり音楽的な破壊ということ。音楽の決まり事をすべてぶち壊したかったし、世界で一番ブルータルで速くてヘヴィなバンドになりたかったんだ。デストラクションというのは、音の破壊、音による殺戮とか、まさにそういう音を出していたのさ。83年ころ、俺たちほどクレイジーなバンドは多くなかったからね。最初のデモも、本当にワイルドな内容だったよ。

 

― 当時、ほかのドイツのバンド、例えばクリエイターやソドムなどとの交流はあったのでしょうか。

 

シュミーア:当時はインターネットもなかったからね、最初は何のつながりもなかった。テープトレードはあったけれど。当時ドイツで一番大きなメタル雑誌といえば、メタルハマーだった。そこに、Tormentor(注:クリエイターの前身)というバンドが載っていたのを覚えている。3人のクレイジーな奴らの写真が出ていて、まるでデストラクションみたいだった。スピード・メタルと書かれていて、音的にも似ているようだった。それでデモを買ってみたら、カッコよくてね。83年か84年、確か83年かな、タンカードとソドムとのライヴがあった。そこでみんなと出会ったんだよ。タンカード、ソドム、そしてたくさんのファンたちと。ヴェノムのファンクラブのミーティングだったんだ。そこから文通するようになってね。当時は「ペンフレンド」なんて言って。もはや死語だけど。手紙を書いてさ、返事が来るまで何日も待つんだよ(笑)。それから俺たちのエッセンでの最初のショウがあって、エッセンはクリエイターの出身地なのだけど、ソドム、デストラクション、アイアン・エンジェルというラインナップだった(注:84年12月1日)。クリエイターは当時まだTormentorという名前で、彼らもショウに来ていたんだ。84年かな、ソドム、デストラクション、アイアン・エンジェルが一堂に会してね、それでみんな友達になったのさ。

 

― あなたのヴォーカル・スタイルはとても独特ですが、どのようなヴォーカリストから影響を受けたのでしょう。

 

シュミーア:影響を受けたのは、もちろんレミーだね。ラフなウィスキー・ヴォイスからも影響を受けたし、ベースのサウンドも。歪んだベースのサウンドは、とても力強かったから。俺はプリーストの大ファンだったから、ロブ・ハルフォードは常に俺にとってヴォーカリストの神様だった。多くの人はブルース・ディッキンソンが好きだけれど、俺はロブ・ハルフォード派だった。彼のスクリームとか、声質はほかの誰とも違っていたしね。レミーとロブ・ハルフォードをミックスしたものが、俺のヴォーカル・スタイルだよ。ヴェノムが出てきたあとは、クロノスも大好きだった。速いヴォーカル・フレージングをディープな声でやるというのは、まったく新しいものだったし、それを学んだのは俺にとって重要なステップだった。そもそも俺はベーシストであり、ヴォーカリストをクビにしたから、仕方なく歌も歌うようになったんだけどね。

 

― 少々奇妙な質問なのですが、90年代あなたが抜けている間のデストラクションに、黒人のヴォーカリストがいたという噂を耳にしたことがあります。しかし、インターネットを検索してみても、そのような情報は見つけられないのですが。

 

シュミーア:それはないよ。絶対にない(笑)。当時トーマス(ローゼンメルケル)というヴォーカリストがいて、俺はネオ・デストラクションと呼んでいるのだけど、その時期に俺が参加していない作品が3枚あるんだ。彼は見た目がラテン系なんだよ。メキシコ人か、スペインのような南ヨーロッパみたいな感じ。髪もカールしていて色も黒めだからね、見間違えたんじゃないかな。あるいは黒人のファンが飛び入り参加したとかかもしれない。アメリカでは黒人のファンも多かったからね。噂というのはそうやって発生するものさ(笑)。俺たちの最初のアメリカのファンは黒人だったよ。ハイラックスのケイトンさ。ケイトンからの手紙が、俺たちが受け取った初めてのアメリカからのものだったんだよ。「やあ、俺はハイラックスというバンドをやってるんだ。デモを同封したよ。ぜひデストラクションのデモを聴かせてくれ」って。そうやってデモをトレードしてね。ケイトンは、いろいろなアメリカのバンドも紹介してくれた。エージェント・スティールやエクソダスとか。代わりに俺たちはヨーロッパのバンドをカセットにダビングして送ったのさ。ケイトンは最初のアメリカのデストラクション・ファンだよ。

 

― お気に入りのアルバム3枚を教えてください。

 

シュミーア:オールタイムのトップ3!オーマイゴッド。それは超難しいな(笑)。やっぱりジューダス・プリーストの『Unleashed in the East』がナンバーワンだね。これには人生を変えられた。初めて聴いたヘヴィメタルのアルバムだったから。これ以前に聴いていたのは、ただのハードロックだった。プリーストを聴いてメタルヘッドになったんだ。それから、もちろんメタリカの『Kill ‘Em All』。これにも人生を変えられたからね。彼らがクランチーなギターサウンドを発明したんだよ。あれだけ速い音符を詰め込んだというのは画期的なことだったのさ。今では『Kill ‘Em All』は、ただの素晴らしいアルバムという感じかもしれないけど、あれが新世代の音楽を作り出したんだ。この2枚選ぶのは簡単だけど、3枚目が難しいなあ。オーマイゴッド。やっぱり若い頃聴いていたドイツのバンドを選ぶべきかな。そうなると、アクセプトの『Restless and Wild』。もちろんスコーピオンズも大好きだったけど、最初のドイツの本物のメタル・バンドとなると、やっぱりアクセプトさ。『Restless and Wild』は、「Fast as a Shark」が入っているという点でも重要だし。非常に影響力のあるスピード・メタル、というか、世界初のスピード・メタルだったかもしれないね。

 

― では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。

 

シュミーア:日本は特別な国さ。日本に行くと、まるで家に帰って来たような気分になる。日本でプレイするというのは、デストラクションにとって特別なことなんだよ。ニュー・アルバムが出たら、もちろんまた日本に行くよ。一応今年の終わりという話もしているけれど、来年の始めになるかもしれない。次回は、いくつかの都市でショウをやりたいね。最近は、東京だけとか川崎だけとかだったから。ファンもそれを望んでいるだろうし。1箇所、2箇所ではなくて、日本中を回るのが夢なんだ。6箇所とかね。マイケル・アモットとは仲が良いのだけど、彼らは12ヶ所とかでやっているよね。そんなことが可能だなんて知らなかったからさ。「君らは日本でロックスターなんだね!」なんて話をしていたんだよ。ハロウィンだってそんなにたくさんやっていないだろう?もちろん予算の関係などもあって、大きな都市だけでやる方が簡単なのだろうけど、いつかは日本全国をまわってみたいね。

 

「ボーン・トゥ・ペリッシュ」オフィシャル・ヴィジュアライザー

 

インタビュー中語られているヴェノムのファン・ミーティングというのは、1984年9月23日にフランクフルトで行われたもの。「Black Metal Night」と題されたこのイベントは、当時のドイツ・ヴェノム・ファン・クラブの会長による企画で、ヴェノム3人のサイン会+ソドムとタンカードのライヴが予定されていた。このときデストラクションの3人も会場に来ていて、どうやら飛び入り的にステージにあがり、演奏をしたようである。(ちなみにこのときのソドムのラインナップは、エンジェルリッパー、グレイヴ・ヴァイオレイター、ウィッチハンター!)この晩のサイン会は、マンタス不在でクロノスとアバドンの2名のみ参加。というのも、数日前にオランダのラジオにヴェノムが出演した際、司会者とクロノスが大ゲンカ。スタジオ内で大暴れしたため、オランダの警察にメンバー3人パスポートを取り上げられるという事件があったのだ。それでもクロノスとアバドンは列車に乗り込み、オランダ・ドイツの国境通過の際は、トレイに隠れてやってきたのだとか。シュミーアも、「この晩が新しいシーンのスタートだった」と言っており、この伝説の夜の様子を想像するだけでも胸がワクワクする。

 

取材・文 川嶋未来

写真クレジット Liné Hammett

 

 

2019年8月9日 発売

デストラクション『ボーン・トゥ・ペリッシュ』

【CD】GQCS-90736 / 4562387209767 / ¥2,500+税

【日本語解説書封入】

 

【CD収録予定曲】

  1. ボーン・トゥ・ペリッシュ
  2. インスパイアード・バイ・デス
  3. ビトレイヤル
  4. ロットン
  5. フィルシー・ウェルス
  6. ブッチャード・フォー・ライフ
  7. タイランツ・オブ・ザ・ネザーワールド
  8. ウィ・ブリード・イーヴル
  9. フェイタル・フライト17
  10. ラットキャッチャー

《日本盤限定ボーナストラック》

  1. ファイア・ダウン・アンダー(ライオット カヴァー)

 

【メンバー】

シュミーア(ベース/ヴォーカル)

マイク(ギター)

ダミア(ギター)

ランディ(ドラムス)

 

デストラクション オフィシャルページ

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