元祖メタル・パンク、ヴェノムの弟分とも言われていたイギリスのウォーフェア。新曲からレアトラックまで大量の楽曲を収録した3枚組CDがリリースになるということで、ドラマーでありシンガーのエヴォにロング・インタビューを敢行した。
― そもそもヘヴィ、あるいは激しい音楽にハマったきっかけは何だったのでしょう。やはりパンクですか。
エヴォ:良い質問だな。子供の頃は、ハードロックも好きだったよ。だから最初はスレイド、スウィートとか。イギリスのチャートに入るような、ダンスっぽいしょうもないものも聴いていたけれど、やがてピストルズの「Anarchy in the UK」が出て、多くの人の人生を変えてしまった。俺もその中の一人だったよ。いずれにせよ俺は学校では問題児だったから、服従に対する態度は変わらなかったけどね。言うことなんて聞いたことなかったから。俺の住んでいたところは工業都市でね。鉄道とか炭鉱とか。だけど俺の信条からそういう職にはつきたくなかった。学校での5年間は拷問だったよ。地獄さ。だから、そういう職にもつきたくなかったし、ピストルズやバズコックスをテレビで見て、奴らがやれるなら俺もやれるだろうと思ったんだ。ドラムを買ってね。ラウドで、エクストリームな音楽はずっと好きだった。パンク/オイ・バンドのメジャー・アクシデントに加入して、これが俺が最初にやったバンドだったのだけど、アルバムと2枚のEPを出した。それからロンドンに行って、ザ・ブラッドに入った。そこで色々と学んだんだ。色んな人たちと知り合ってね。当時のロンドンのロックはとても活気があったよ。マネージャーたちやモーターヘッド、ファスト・エディ、タンクのメンバーなんかと知り合った。みんな友達で、一緒に飲んだり。そのうちザ・ブラッドがうまく行かなくなって、エンジェリック・アップスターツに入ったのだけど、実際は自分のバンドをやりたいと思っていた。当時はまだスラッシュ・メタルすら発明されていなかったけれど、ヘヴィメタルのリフとパンクの歌詞を混ぜたいと思っていたんだ。本当にラウドなやつ。マーシャルを積み上げてね。俺は今でもラウドだけど、当時も本当にラウドで、おかげで今も俺の作品に興味を持ってくれる人たちがいる。素晴らしいことだよ。
― なぜギターでもベースでもなく、ドラムを選んだのですか。
エヴォ:わからない。子供の頃、いつも何かを叩いていたからな。テレビでフィルシー・アニマルを見て、「これこそ俺の楽器だ」と思ったんだよ。だけどベースも弾くし、もちろんヴォーカルもやるからな。よくわからない。ギターよりもドラムの方が需要があったし。ギターに興味を持ったことはないんだ。ごちゃごちゃしすぎていて、俺にはもっとブルータルでシンプルなものが合ってるのさ。俺はいつも怒ってるような子供だったから、ドラムがピッタリだったんだよ。怒りをぶつけることができたから。
ー パンクとメタルを融合したかったとのことですが、それぞれのジャンルでどんなバンドが念頭にあったのですか。
エヴォ:良い質問だな。
― 当時ウォーフェアのような音楽は、他に聴いたことがありませんでした。
エヴォ:特に影響というのは無かった。もちろん色々と影響を受けてはいたけれど、特にそれらをベースにはしなかったんだよ。ただ色んなことを思いついて、それがオリジナルなものだったというだけ。頭の中に自分のやりたいサウンドというものがあった。そこに触れるバンドはたくさんあって、間違いなくモーターヘッド、彼らはハードロック、メタル・サイド。ラモーンズも大好きだった。初期のラモーンズね。それから若い頃はピンク・フェアリーズみたいな変わったものもよく聴いていたな。だけど特に影響を受けたというバンドはいない。特定のバンドみたいなサウンドを出したいとは思わなかったよ。レコード・ディールを得るには、オリジナルなサウンドでないとダメだったし。多くのキッズはバンドをやって、オアシスやモーターヘッドみたいになりたがるけれど、レコード会社からすれば、「だから何?こういうのはすでに聴いたことがあるよ」ということだからな。俺がウォーフェアを始めた時、ロードランナーもニートも、あんな音楽は聴いたことがなかった。あんなものは誰も聴いたことがなかったんだよ。とにかくシンプルで、リズムも合っていなかったり。俺たちみんな独学だったから。リズムが合っていないようには聴こえないかもしれないけど、例えば「Rabid Metal」では、余計なブリッジを足した。普通のミュージシャンならそんなことはしない。だけど、俺はそういうことをわざとやっていたんだ。ウォーフェアはポップ・ミュージシャンの集まりじゃなく、多かれ少なかれストリートの叫びであり、俺は音楽よりもアティテュードを重視していたから。
ー ヴォーカルについてはいかがでしょう。個人的にはあなたの声は世界最高峰のものだと思うのですが、ロールモデルとするようなシンガーはいなかったのでしょうか。
エヴォ:いなかった。ウォーフェアを結成した時、というか実際ウォーフェアを結成する前のことだな。俺はロンドンにいて、バンドをやろうと考えていて、ザ・ブラッドがうまく行かなくなって。アップスターツでの演奏には腹が立っていたんだ。自分のバンドじゃなかったし、ライヴはスキンヘッドや極右のナチばっかりだったし、俺の居場所ではなかった。ああいうアンセムやチャントも好きじゃなかったから、バンドを抜けて何か違うことをやらなくちゃと思った。ヴォーカルについては、バンドができる前にディールを手にしていたからな(笑)。公衆電話に行って、ニート・レコードに電話をかけて「エンジェリック・アップスターツのエヴォだけど、デイヴィッド・ウッドと話をしたい」って。それで、3人編成でこうこうこういうバンドをやってと説明したら、「で、君はどうしたいんだ?」と聞かれたから、「そっちこそどうしたいんだ?」と聞き返したら、「契約しよう。とりあえずやってみよう。シングルをレコーディングしに来られるか?」ってね。それが3月で、4月にレコーディングだったのだけど、ヴォーカルなんてやったことないから誰に頼もうかと思ってたら、タンクのアルジーに「自分で歌いなよ。歌えるだろ。歌ってるところを聴いたことあるぞ」って言われてね。だけどリード・ヴォーカルをやる自信はなかった。結局レコーディングの日が来ても、ヴォーカリストは見つからなかった。一人試したんだけどね。ルックスは良かったけど、マイクに向かったら酷いものでさ。まったく音程を保てねえし、だからお引き取り願った。だから自分でマイクを握って「Burn the Kings Road」を歌ったら、エンジニアが最高に良いと。俺は恐縮して、それで他の曲も歌ってみたら、それ以降はしっくり来たのさ。それで、ドラムを叩きながら歌う練習をしたんだ。
― 『Pure Filth』にはヴェノムのメンバーが参加していますが、これはニートを通じて話をしたのですか。それともあなたが直接依頼したのでしょうか。
エヴォ:『Pure Filth』をやった時、ファースト・シングル用にジェフ(マンタス)がギターを弾いてくれた。当時ニートの4階建てのビールの最上階にスタジオがあってね。下がメインのオフィスで、そこでみんなたむろしてたんだ。ジェフがそこでタバコを吸っていから、「レコードでギターを弾いてくれないか?」ってお願いして。『Pure Filth』のレコーディングが終わりかけの頃、下に行って紅茶を飲みながらデイヴィッドにもうすぐ完成だと伝えたら、ロードランナーにライセンスするからボーナス・トラックが必要だと言われてね。「マジかよ。どうすりゃいいんだ?」なんて思ってまた上に行って、そのことを伝えると、キース(ニコル。プロデューサー)が「もう一曲書けるかい?今すぐ」って。時間も無かったし、参っていると、クロノスが入ってきて「おい、何やってるんだ?ジャムでもやってみるか?」なんて言ってね。「Death何とか」っていうタイトルになるのかってクロノスが聞くから、「いや、『Rose Petals Fall From the Face』だ」って答えてね。ただのジョークの曲だったんだけど、そのうちジェフが来て、それからトニー(アバドン)も来て、「とりあえずやってみるか?」って。ギターを手に取って12小節のリフを書いて、ギタリストが「それで完成?」なんて聞くから「適当にうまくやってくれ」って。それから歌詞を書いた。レコード会社に関するジョークさ。それで下に行って、デイヴにヴェノムと素晴らしエヴォナス・トラックを作ったと伝えたんだ。出来上がりを聴いて、奴は気に入らなかったみたいだけど、もう手遅れさ。奴は起業家で、メタルなんて興味が無くてね。不愉快だと言ってた。そんな訳で、それ以降ヴェノムとはきちんとした友達になったんだ。これまでたくさんのレビューでしょっちゅう俺たちがヴェノムに似てるなんて書かれてきたけれど、本当にニート・レコードと契約するまで、ヴェノムは聴いたことがなかったんだよ。『Black Metal』すら持ってなかったし、彼らのことは何も知らなかった。存在は知ってたけど。タンクやモーターヘッド、レイヴンは聴いてたけど、ヴェノムは聴いたことがなかったんだ。だから影響は受けてないし、そもそも正直なところヴェノムと似ているとも思わないよ。
ー アルジー・ワードがプロデュースをしていますが、これはあなたのチョイスだったのですか。
エヴォ:アルジーとは友達だったんだ。彼はしょっちゅうニューカッスルに来ていて、俺の初期のバンドがサポートをやってね。ショウの後に俺のバンドをどう思うか聞いてみたら、彼の独特の南部訛りで「他の3人はクソだけど、君はとてもいいよ。あんな奴らと一緒にやってるのは時間の無駄さ」って。それで友達になった。クロイドンに引っ越すと、彼は通り2本くらい離れたところに住んでいてね。それでディールを手にした時に、プロデュースをお願いしたら快諾してくれたんだ。
― 続くセカンド・アルバム『Metal Anarchy』はレミーのプロデュースで、ワーゼルがゲスト参加しています。
エヴォ:ロンドンのディングウォールズで飲んでたら、レミーがいてね。彼の革ジャンを引っ張って、「ハロー、レム。ご機嫌いかが?」って話しかけたんだ。話してみると、彼は俺のことを知っていて、それでウォーフェアの次のアルバムのことを伝えたら、ウォーフェアはちょっと聴いたことがあって気に入っていると。「次のアルバムをプロデュースしてもらえるとありがたいのですけど」って言ったら、マネジメントと話してくれないかなんて言うからさ、「マネジメントなんかと話しませんよ。あなたにお願いしてるんです!」って返したら、イエスと言ってくれた。ジャック・ダニエルを2杯注文して、「これで決まりっていうことか?」「そうです。これであなたはもうやるしかありません」なんていって笑ったりして。ニューカッスルに戻って、レコード会社にダグラス・スミス(モーターヘッドのマネージャー)に連絡をとって、それから経済的な面でも準備してくれって頼んだのさ。そんな訳で、俺が直接レミーにお願いしたんだよ。お願いしなきゃ始まらないからな。連絡が来て、レミーは数日後にはツアーに出るということで、アルバムはほとんどライヴみたいに録音した。オーバーダブはほとんどしてないよ。レミーとの仕事は素晴らしかったね。彼はテクニカルな仕事はしないと思うかもしれないけど、自分のやりたいことをはっきりわかっていたよ。音楽面にはあまり口を出さず、でも俺のヴォーカルには色々と指摘をしてくれて、とても助かったな。本当に楽しかったよ。1週間笑いっぱなしだった。このセッションに関する逸話があるんだ。コントロール・ルームから出てみると、ブロンドの綺麗な女性がいてね。こんにちはと言って、コーヒーを飲もうと思うって言ったら、彼女が淹れてくれると言うんだ。それじゃ砂糖2杯でって。それでコントロール・ルームに戻って、凄いゴージャズな女がいる、巨乳だしヤリたいなんて言ってたらレミーが「俺はもうヤってるよ。あれが誰だか知ってるかい?サマンサ・フォックスさ」って。サマンサ・フォックスって誰って聞いたら彼は笑い転げていたよ。俺はタブロイド紙を買わないからな、知らなかったんだ。1週間からかわれ続けたよ。その時点ではまたワーゼルに会ってなかった。ニューカッスルから急いで来たからギターもベースも一本しか持ってきていなくて、フェンダーのだったんだけど、欲しい音が出せなかったんだ。レミーがギブソンが必要だと言ってたんだけど、持ってなかった。それで彼がワーゼルに電話をかけて、ギターを持ってきてもらった。彼はギターをアンプにつないで演奏し始めて、レミーにこの音で良いのかって聞いてね。1曲試してみても良いかというので、「Metal Anarchy」でソロを弾いてもらったんだ。ワーゼルはもっとうまく弾けるからと言ったんだけど、俺はノーと言って、そのテイクをとっておいたんだ。素晴らしかったよ。そんな訳で自然にソロを弾いてもらうことになって、ワーゼルとも友達になった。彼には後にもまたギターを弾いてもらったよ。モーターヘッドのメンバーとはみんな仲良かったからね。寂しいよ。ライヴもまた見たかったな。モーターヘッドは42回は見たね。最後に見たのは30周年のハマースミス・オデオンで、レミーがくれたパスには”Access All Areas”じゃなくて”Excess All Areas”って書いてあった。レミーと最後に飲んだのはブラッドフォードで、その後レミーはアメリカにいたから何年間か会わなくて、皮肉なことに、彼が死んでしまう前に次のショウの予定はニューカッスルだったんだ。悲しいね。
― 次のサード・アルバム『Mayhem, Fuckin’ Mayhem』は、クロノスとの共同プロデュースになっています。
エヴォ:ドイツに行った時に、俺とベース・プレイヤーで少々喧嘩になってね。イギリスに戻っても、奴は相変わらずでバンドを辞めたんだ。ヨークシャーのキャッスルフォードにあるスタジオに入ることになっていたんだけど、ベースがいない。それでニート・レコードに行ってみたらクロノスが座ってタバコを吸っていたので、「次のアルバムでベースを弾いてもいいよ。一緒にプロデュースをしてくれてもいい」と言ったら、他に特にやっていることもないからと。翌週ヨークシャーに行って、本当に楽しかった。とにかく笑いまくったよ。ホテルの同じ部屋に泊まって。いいか、みんなヴェノムは演奏ができないなんていうけど、くだらねえ!彼はとてつもないベース・プレイヤーだよ。ベースをつないでワンテイクで、いつも完璧に弾いてしまう。たまにやり直すことはあったにしてもね。
― 『Mayhem, Fuckin’ Mayhem』でベースを弾いているのはクロノスなのですか?Zlaughterではなく?
エヴォ:そうだよ。
― 『A Conflict of Hatred』にはサックスやヴァイオリンが入っています。これはエクストリーム・メタルに非メタルの楽器を取り込んだ最初の例の一つだと思うのですが、なぜこのようなことを試みたのでしょう。
エヴォ:自分の曲作りを進歩させようとしていたし、音楽への個人的な興味も持続させようとしていた。ある程度までは同じ公式を使い続けるのも良いけど、俺は同調することが大嫌いだからな。同じことをただやり続けるんだったら、誰かと9時から5時まで仕事をするのと何も変わらない。何年も同じことをやるんじゃね。俺は一匹狼で、当時美しいジャーマン・シェパードを飼っていて、犬を散歩させながらインスピレーションを受けてたんだ。特に真夜中すぎ、家に帰ってからビールを飲んで。「Dancing in the Flames of Insanity」の歌詞を読むとわかるよ。これは真夜中に一人で散歩するという内容で、教会を見たり、雪が降ってきたり、パトカーが静寂を破ったり。『Tales of the Unexpected』というテレビを見ていて、その仲でヴァイオリンを演奏しているダンサーが出てきた。それが素晴らしかったから、「Dancing in the Flames of Insanity」を書いたのさ。番組を見てみればわかるけど、女性が炎の中で踊っていて、ヴァイオリンが流れていてるんだ。それでレコードにもヴァイオリンを入れようと。その曲では、テレビでヴァイオリンが演奏していたフレーズを、サックスが奏でてる。とてもうまく行ったから、ヴァイオリンも入れて、キーボードも入れて。手当たり次第試してみた。そう、俺たちがエクストリーム・メタルというジャンルで最初にそういうことをやったバンドさ。ケルティック・フロストが最初だと称賛されているけど、そうじゃない。間違いないよ。色々と混ぜあわせて、もっとコンセプチャルなものにしたかったんだ。ヘヴィなままで、だけどちょっと違ったことをやりたかった。特別な理由は無かった。あの頃プレリュードのアイリーン・ヒュームにも出会ったんだ。怖い感じの女性ヴォーカルが欲しいと思っていて、ニートがアイリーンを提案したのさ。彼女たちは俺が子供の頃、ニール・ヤングの「After the Goldrush」のカバーでナンバーワン・ヒットを出したんだ。素晴らしエヴォカリストだよ。俺はヴァンパイアというジャンルもずっと好きで、ドラキュラに関する事実の面についても書いたそれが「Order of the Dragons」。変わったアルバムさ。コンセプチャルで。「Fatal Vision」は、ある日お昼に一人で飲みに行った時に出会った年老いた兵士の話。彼は戦争の話をしていて、人を撃ったことがあるかと聞いたら、「ああ、40人ほど」って。人に弾を打ち込むのはどんな感じなのかと聞いたら、「君みたいな子供たちのために俺たちがやったことを、君たちは高く評価しないだろう」って言うから、家に帰って彼についての歌詞を書いたんだ。俺の書く歌詞のほとんどはストリート、あるいは俺の度の経験に基づいている。悪魔やドラゴンみたいなくだらないことを書くのは好きじゃないんだ。俺には何の意味もない。
― 次の『Hammer Horror』で大きく方向展開します。
エヴォ:俺はずっとハマー・ホラーが好きだったのだけど、両親に夜中にテレビを見せてもらえなかったな。『A Conflict of Hatred』が凄くうまく行って、みんなが素晴らしいコンセプトだって言ってくれて、それで次はどうしようかと思ってね。3コードの騒音みたいなアルバムを作っても良かったんだけど、そういうのはもうやったから。ハマー・フィルム自身と契約してエルストリー・スタジオに行ったんだけど、入ってみると、彼らがあんなにビッグだとは知らなくて、ボスのオフィスでバンドをやっていることと何をやりたいか伝えたら、その年は40周年でちょうど良い時に来たと。それでオリジナルのデモを作ったのだけど、あまり気に入ってもらえなかった。ノイジーだって。俺はこういう音楽をやってるんだと言ったんだけど、もうちょっとマイルドなものにしてくれと。それで、ヘヴィだけど、もっとメロディックなのをやってみたら、楽しくてね。アルバムが出た時、ウォーフェアのファンはあまり気に入ってくれなかった。最初はFMリヴォルヴァーにラインセンスしたんだけど、プッシュしてもらえず、台無しでさ。だからまたスタジオに入って、ギターを全部アルジーに弾いてもらって、曲を増やして、ドラムとヴォーカルをやり直して。こっちはうまく行ったよ。俺とタイガース(オブ・パン・タン)のフレッドで、「Vlad the Impaler」というクラシックっぽい曲を書いて、これはハマー・フィルムが作っている映画用だった。サウンドトラックをやるはずだったんだけどね。アメリカ人が当時ハマーをバックアップしてくれなくて。
― その『Hammer Horror』用のデモというのはまだ持っていますか。
エヴォ:もちろん。作ったデモは全部持ってる。実は『Hammer Horror』を再発するんだ。色んなヴォーカルが入っていて、リマスターもして。ビッグなサウンドになったよ。最近のスタジオ・テクノロジーは凄いね。これにとてもラフなデモが2曲入ってる。
― 『Hammer Horror』の曲を書く時に、具体的に何かバンドを頭に描いていましたか。過去のウォーフェアの音楽とはまったく違ったものでしたが。
エヴォ:当時俺はキリング・ジョークを聴いていて、『Brighter than 1000 Suns』というアルバムが出たんだけど、あまりヘヴィなキリング・ジョークじゃなかった。あれを車でいつも聴いてたんだよ。犬と孤独なドライヴに行って、沼地を通るとね、とにかく雰囲気があった。それからダムドも大好きだったから。『Phantasmagoria』を聴けば、「Phantom of the Opera」っぽいものを感じられると思うよ。あと、ブラム・ストーカーが小説に書いたウィットビーに行って、大きなインスピレーションも受けたな。そこに2週間行って、色んなインスピレーションを受けた。ただ同じパターンを繰り返すのではなくね。オルタナティヴな音楽の要素がたくさんあって、俺も違うことをやろうとしていたのさ。メタルは大好きだけど、他の音楽を聴くのも良いし、色々と勉強にもなる。音楽は逃避だし、常にラウドである必要もないだろ?
― 同じ頃『Crescendo of Reflection』で、過去の曲を再録しています。これはなぜだったのですか。
エヴォ:みんながベストアルバムを作ってくれと言うからだよ。当時ニート・レコードを辞めて、ハマーと契約したんだけど、そのことをニートがあまりよく思ってなくてね。ニートのみんなとはうまくやっていたから俺も悲しかったけど、ハマーの方がずっと条件が良かったんだ。スタジオでも時間をかけられたし、物事がずっとスムーズだった。彼らは映画会社だから。ベスト盤を出してくれというリクエストが多くて、だけどすでに一枚出てるという話も聞いていたので、同じ曲をただリリースするよりも、スタジオに入って全部再録しようと思ったのさ。結果としてよりヘヴィでパワフルなものになったよ。
ー ウォーフェアはライヴは頻繁にやっていたのですか。当時テープトレードをやっていたのですが、ウォーフェアのライヴというのはほとんど見つけられなかったのですが。
エヴォ:ほとんどやってない。たくさんのコンサートはやりたくなかったんだ。初期のパンク・バンドでさんざんやったけど、ウォーフェアはもっとプロジェクトというか。ライヴは相当選んでやったよ。オランダでやったのが最初の頃のライヴで、あれは完全にアナーキーだったな。最高に楽しかったけど、出入り禁止になった。ロンドンのマーキーでヘッドライナーをやったのは、お気に入りのギグの一つ。ポルノ・モデルを連れて行って、裸にさせたんだ。基本的にやりたいことをやってた。
― 何年のことですか。
エヴォ:オランダは1984年。1986年にドイツでヘッドライナーをやって、ロンドンは1987年。それからニューカッスルのリヴァーサイドで完全に店を破壊したこともある。マネージャーに襲いかかったり、アンプに小便かけたりしたから一生出禁。当時のベース・プレイヤーは、セキュリティの一人に襲いかかって、ベースで頭を殴って完全にKOした。俺たちも若くて好きなことをやっていたからね、クレイジーなことを色々やったよ。ロンドンのアストリアでテスタメントともやったな。『Hammer Horror』の時に、ロンドンのヒッポドロームでやったこともある。それからクロノスと一緒にツアーをするというプランがあって、プロモーターが、というか雰囲気が良くなくてね。正直その頃までには音楽への興味を無くしてしまっていたんだ。16歳から始めて、30歳くらいになる頃には燃え尽きてしまった。何故かはわからないけど。スランプになって、何をすれば良いかわからなくなった。ともかく『Dancing with the Fire Hammers』っていうジョイント・ツアーが計画されたんだ。ミドルズブラの公会堂でやって、それはうまくいった。それからドンカスターに行ったところで、大雪に捕まってしまったんだ。巨大なツアー・バスに両バンドのメンバーが乗っていて、でもプロモーターはまったく良くやってくれたよ。チーズとウィスキーを持ってきてくれて。こんなデカいチーズで。俺は「金をくれよ。チーズはいいからさ、金。ウィスキーは飲むけど、チーズなんていらねえ」って言ってた。そいつは中国人で、「金は払ってもらえるのか?」って聞くと、ノーといってチーズをくれるんだ。エルストリーでは昔ながらのパーティをやって、それからロンドンのマーキーでやって。あれは初めて終了時間が決まってるギグだった。22時まではメタルのギグなんだけど、そこからみんなを追い出して、オシャレな奴らを入れるんだ。だから俺たちはチーズをちぎってマーキー中にばらまいてやったよ。その後、今日金を払ってもらえないならこれで終わりだと言って、俺たちは家に帰った。あれが最後のライヴだよ。あれで嫌になって、すべてを終わりにすることにしたんだ。それから25年間音楽から遠ざかっていたけれど、こうやって戻ってきたのさ(笑)。
ー 1986年のハマースミスの事件は、実際はどんなものだったのですか。
エヴォ:(笑)。みんなその件を聞きたがる。もともとはメタリカが、俺たちにサポートをやらせるということだったんだ。前の年に『Ride the Lightning』ツアーで来た時から、ジェイムズとラーズにはムカついていて、奴らはピーター・メンチのマネジメントでどんどんビッグになっていた。で、またイギリスに来て、ニート・レコードに、ウォーフェアと一緒にやっても良いと言ってたんだけど、奴らのマネジメントが10,000ポンドを払えと言ってきた。それが普通のことだと。だけどサポートをやるのにそんな大金払える訳ねえし、デイヴィッドも同じ考えだった。それで彼に「3,000ポンドくれれば、ちょっと俺に考えがある」と伝えてね。何をするつもりか聞かれたので、何かは言えないけど、レコードは売れるよって言ったんだ。移動遊園地をやってる友人がいたから、軍隊みたいにお前のトラックに飾りつけして、ハマースミスの外でコンサートをやるなんてどうだって言った。奴は「いいね」って言うから、やることにした。ニュー・アルバムのチラシを配って、あんなリアクションは見たことがなかった。トラックを止めて、発煙筒を発射して、すべてのパブを空っぽにしてさ、子供たちや客、みんな通りを走り回って、車はクラクションを鳴らしてたな。蟻が蟻塚を走り回ってるみたいだった。みんな外でヘッドバンギングして、ハマースミス用の客が全員大型トラックの前でヘッドバンギングしているようだった。俺もクレイジーになって、みんなを扇動して、通りかかったベンツにマイクスタンドを投げつけたらフロントガラスが割れちゃったから、バウンサーが俺たちを捕まえにきた。キッズたちは拍手してて、トラックを運転していた奴は、俺みたいにちょっとイカれてて、逃げようとしたのだけど、目測を誤ってね。追いかけられて、停まっている車にトラックをぶつけまくった。デカいトラックだからさ、ぶつけられた車は浮き上がって大破して。警備員がバンパーに飛び乗って、前を見えなくさせようとフロントガラスにバールを突っ込んだから、さらに状況は悪化してさ。今度は反対車線の車にぶつかり始めた。奴らは何とか運転手をぶちのめそうとしていて、俺は返り討ちにしようとしていて、結局フラムでパトカーがそこら中いて、俺たちは逮捕されたのさ。車が何台も大破になって、トラックを運転していた奴は、警察署でバウンサーの顔面を殴って鼻に裂傷を負わせた。最高の夜だったよ。それで『Mayhem Fuckin’ Mayhem』は、あっという間にヘヴィメタル・チャートの1位になったんだ。狂っていたけれど、思い返すと楽しかった。まあ多くの人はそう思わないだろうけど、俺は楽しかったよ。トラックには何も残ってなくてさ。ロンドンから寒い中、フロントガラスも無い状態で運転して帰った。だけどレコードがたくさん売れたし、次の日イギリス中の新聞の一面に載ったからな。全部のタブロイド、国会議員なんかがスラッシュ・メタルは病気だなんて言っていて。Kerrang!のマルコム・ドームが「国会議員たちがスラッシュ・メタルは野蛮で学が無い狂犬と言ってるが、ウォーフェアは俺たちのためにあんなことをしたのか?」なんて聞くからさ。「いや、俺たちのほとんどは最初からあんなだろ!だからバンドをやるんじゃないか。」と答えてやった。服従するためにバンドをやるんじゃないよな?パーティがやりたいからバンドをやるのさ。狂ったことをして生活をしたいからさ。俺はそういう仕事が得意なんだよ。今カムバックを果たして、またレコーディングをして、ファスト・エディ・クラーク、ピート・ウェイ、クロノス等、次のアルバムにはたくさんのゲストが参加しているよ。『ザ・ソングブック・オブ・フィルス』というタイトルで、新曲、古い曲、ラジオ・セッション、レア曲、ライヴ等、こんなものがあったのかという曲がたくさん入っている。カセットに入っていて、それをスタジオに持っていってリマスターしたんだ。素晴らしい音になったよ。「ハングリー・ドッグズ」のドイツでのライヴ・テイクとか、「マーダー・オン・メルローズ」、「アトミック・スラット」、みんな違うバージョン。アウトテイクのGBHの「シック・ボーイ」、ピート・ウェイとファスト・エディ・クラークが初共演した曲もある。ファストウェイとしてリハーサルをして、クラッシュのトッパー・ヒードンがドラムだったのだけど、ヘロインの問題があってね。ピート・ウェイはオジー・オズボーンに入って、それからウェイステッドを結成した。エディに新曲でいくつかギターを弾いてくれないかと頼んだら弾いてくれた。素晴らしいギタリストさ。最高のギタリストの一人だと思うよ。聴き直していたら、ピート・ウェイにも参加してもらったらと思いついてね。それで頼んだんだ。「ミスアントロピー」という曲だよ。これは本当にかっこよくて、ウォーフェア史上最高の曲じゃないかな。
― お気に入りのアルバムを3枚教えてください。
エヴォ:そうだな、まずモーターヘッドの『Ace of Spades』。あのアルバムは大好きだし、後期の作品も好きだよ。ラモーンズの1977年のライヴ、『It’s Alive』は2位か3位だな。参ったな、俺は色々聴くからね。最近はUFOを聴いている。ピートが亡くなってしまったからね。うーん、ウォーフェアの『Metal Anarchy』がナンバー3(笑)。
― 『Metal Anarchy』がウォーフェアの最高傑作だと思いますか。
エヴォ:いや、本当に全部同じだよ。どれも違うから、どれが一番ということはない。だけど、一枚選ばなくちゃいけないとしたら、やっぱり『Metal Anarchy』じゃないかな。
― あれは素晴らしいアルバムですよ。
エヴォ:キング・オブ・ロックンロールがプロデュースした訳だし。しかし3枚目はどうしようかな。そうだな、俺に影響を与えたという意味では、セックス・ピストルズの『Never Mind the Bollocks』だけど、いつも聴くお気に入りかと言われるとな。だけど影響は受けた訳だから、これでもいいか。なかなかイカしたプレイリストだろ?
― そうですね。
エヴォ:聴いてると心地良いからな(笑)。ラモーンズは大好きだよ。あれはスラッシュ・メタルなんていうものを誰も考えてもいなかった頃のスラッシュ・メタルだよ。ラモーンズがロンドンにやって来た時は、核戦争みたいだったな。信じられなかったよ。
― 彼らはライヴだとまた一段と速かったですからね。
エヴォ:そう、信じられないくらい速かった。一度ニューカッスルで見た時は21時から始まって、21時40分には終わってたよ。それで32曲くらいやったんじゃないかな(笑)。当時はアンコールなんて無かったから、客電がついて、それで終わり。耳を完全にぶっとばされて、それでおやすみなさいっていう感じだった。もうロックンロールを見ることはできないのかもな。もう怒りというものが無いよ。今やってる奴らは俺たちが持っていたような怒りが無い。恵まれてるからね。俺たちは何も無かった。ストリートのキッズで、何も持っていなかった。70年代、俺たちの多くはとにかく貧乏だったけど、今は誰でもPCを持ってる。ヒルトン・ホテルで生活してるようなものだよ。俺たちは現状から抜け出そうとして、それでロックンロールを始めたんだ。サッカーをやるか、ロック・バンドをやるか。抜け出すにはそれしか無かったんだ。
文 川嶋未来
【CD1収録曲】
- ブラック
- レット・ザ・ショウ・ゴー・オン
- バーン・ダウン・ザ・キングス・ロード(デモ ft. アルジー・ワード)[日本盤限定ヴァージョン]
- セメタリー・ダート
- メタル・アナーキー(メタル・シティ・ムーヴィー・ヴァージョン)
- デス・バイ・ア・サウザンド・カッツ
- マーダー・オン・メルローズ
- ミサンスロピー
- アディクティッド・トゥ・ドラッグス
- シック・ボーイ
- デス・チャージ[日本盤限定ヴァージョン]
- ソリティア・ディメンシア
【CD2収録曲】
- ニュー・エイジ・オブ・トータル・ウォーフェア (ライヴ)
- ラビッド・メタル (ライヴ)
- メタル・アナーキー (ライヴ)
- バーニング・アップ
- ウォーニング/トータル・アルマゲドン[日本盤限定収録曲]
- アトミック・スラット
- ハングリー・ドッグス (ライヴ)
- レイプ
- ディス・マシーン・キルズ
- バロン・フランケンシュタイン
- ア・ヴェルヴェット・ラプソディー
- ストラングルド
- ファイト・トゥ・ウィン・バイ・メジャー・アクシデント (ライヴ)
- ディジェネレート・バイ・ザ・ブラッド (リハーサル)
- トゥー・ミリオン・ヴォイセズ・バイ・エンジェリック・アップスターツ (ライヴ)
【ボーナスCD】
- ミサンスロピー (ソニック・アタック・ミックス)
- ノイズ・フィルス・アンド・フューリー
- バーント・アウト
- ミリタリー・シャドウ
- ダンス・オブ・ザ・デッド(日本盤限定ボーナストラック)
- トゥー・トライブス (フロム・ヘル・ミックス)(日本盤限定ボーナストラック)
【メンバー】
エヴォ(ヴォーカル、ドラムス)
【ゲストミュージシャン】
アルジー・ワード(ベース)[タンク]
“ファスト”エディ・クラーク(ギター)[モーターヘッド]
ワーゼル(ギター)[モーターヘッド]
ピート・ウェイ(ベース)[UFO]
クロノス(ベース)[ヴェノム]
マンタス(ギター)[ヴェノム]
トム・エンジェルリッパー(ベース)[ソドム]
リップス(ギター)[アンヴィル]
ポール・グレイ(ベース)[ザ・ダムド]