ヴェノムのギタリストとしてエクストリーム・メタルの歴史に名を刻むマンタス。彼が率いるヴェノム Inc.がニュー・アルバムをリリースするということで、色々と話を聞いてみた。
マンタス:調子はどう?
ー 実は数日前に父が亡くなってしまい。
マンタス:俺も両親を亡くしているからね。気持ちはわかるよ。俺の父親は49歳で亡くなってしまったんだ。
ー それは随分とお若いですね。
マンタス:そうなんだよ。ヴェノムの人気が出る直前でね。父もミュージシャンでドラマーだった。初めてのマーシャル・アンプのお金も出してくれたし。生きていたら俺のしてきたことを誇りに思ってくれただろう。心臓発作で亡くなってしまったんだ。
ー ではインタビューを始めましょう。まず、アバドンが何故いなくなったのかからお聞きしなくてはならないのですが。
マンタス:うーん、彼と彼の彼女だか奥さんなのか、よくわからないけど、ともかくある時点で赤ん坊が生まれるので、少しの間バンドを休みたいと言い出してね。だけど、バンドとしてちょうど勢いに乗っていた時期だし、休む訳にはいかない。クソ正直に言うと、俺はそもそもこのバンドをアバドンと一緒にやりたくなかったんだ。このことは公言しているし、アバドン本人にも言った。最初にオファーが来た時からノーと言っていたんだ。エンパイア・オブ・イーヴルは俺のバンドだし。堪忍袋の緒が切れたのは、『アヴェ』をサポートするためのアメリカ・ツアーの時のこと。まあ、これは今ではみんな知っていることだけれど、そもそもアバドンは『アヴェ』でもプレイしていない。あのドラムは、俺がデモ用にプログラムしたものなんだ。と言うのも、彼のパートを録音するために、ニューカッスルのスタジオに入ってもらったのだけど、彼には33曲分のファイルを送っていて、ところが彼は受け取っていないと言い張っていた。結局彼は、ロック・スターぶったり、ジャック・ダニエルを飲んだりすることにしか興味がないんだ。俺には最初からわかっていた。トニー(ドーラン)には言っていたんだよ。このバンドは続きはしないって。俺は他の様々な素晴らしいドラマーともプレイしてきた。ジェラミーも素晴らしいドラマーだ。彼らはみんな自分たちのアートのために、きちんと練習をする。だけどアバドンはそうじゃない。彼には毎日できあがったファイルを送ってくれと言っていたんだ。どんな風な仕上がりになっているかわかるように。同時に俺は受け取ったファイルを、ドイツにいるKalle Knechtにも送っていた。彼がエディットできるようにね。最初の日にアバドンからファイルが送られてきて、ヘッドフォンを装着し、ファイルをダウンロードし、ルームマイクでレコーディングされたファイルを探した。ルームマイクだと全体の様子が聴けるからね。ところが聴いてみたら、それがどの曲なのかわからなかった。「何じゃこりゃ?」という感じで。ヘッドフォンを外すと、俺のパソコンにスカイプの着信があった。Kalieで、彼もファイルを受信していたんだ。Kalieはとても面白い奴で、素晴らしいスタジオ・エンジニア、プロデューサーで、彼から学んだことは多い。彼はいつも「ヘイ、マザーファッカー!」なんて会話を始めるような奴なんだけど、この日ばかりは最初の言葉が「What the fuck is this?」だった。「こんなドラムファイルで俺にどうしろと?」って。それで色々と会話をして、ジョン・ザズーラもこのドラムは酷いと。結局その後も改善しなかった。「Bloodstained」なんて、まったく平坦で。光も影もアクセントもダイナミクスもない。正直、アバドンはテクニカルなドラマーではない。リズム感も良くない。それはアバドン以外の全員が知っていることさ。「Metal We Bleed」は、タムから始まる曲。これは実は「Too Loud (For the Crowd)」と同じタム使いなんだ。1985年のね。それに続くリズムは、「Live like an Angel (Die like a Devil)」と同じ。これは君でもわかるだろう?なのにアバドンは、「こんな複雑なものはとてもライヴでプレイできない」と。しかもスタジオのエンジニアまで彼に同意していて、まったくバカバカしいよ。アバドンがやりやすいように、俺たちの昔からのマネージャー、エリック(クック)のスタジオを使わせていて、そのスタジオにはスカイプに直結している大きなスクリーンもついていた。「何か問題があったら、いつでも電話してくれ」と伝えてあったのに、一度として連絡はなかったんだ。とにかく怠け者で、一切の配慮もない。さらに彼は、自分で書いたという4曲を送ってきてね。一体誰がギターリフを書いたのかわからないのだけど、聴いてみると冗談なのかと思うような曲だった。あのドラミング、あんな曲をニュークリア・ブラストに提出する気なのか?ファースト・アルバムでそんなことをやったらおしまいだよ。それで俺とトニー、ジョン・ザズーラ、Kalieの4人で、プログラムしたドラムを使おうと決めたのさ。ドラムには光や影、ダイナミクスが必要。俺も曲を書く時に、ダイナミクスやフックラインというのを大切にする。静かになって、また一気に盛り上がるとかね。君も曲を書くからわかるだろうけれど、ヴァースからブリッジに移る時、仮にただタカタカタカタカという感じのものでも、何らかのフィルを入れるよね?そしてサビに入る時は、さらに大きなフィルを入れる。それがスタンダードな曲の書き方というもの。アバドンのドラムを使っていたら、あのアルバムは死んでいたよ。さらに『アヴェ』をプロモートするためのアメリカ・ツアーの時、古い曲も含め、みんなで覚えてくる曲を決めた。フィラデルフィアで、2日間リハサール用の場所を確保して、初日にアバドンがやってきて、「この曲を少々、あとこの曲を少々やってきた」なんて言い出してさ。俺は怒りが収まらなくて。「Metal We Bleed」をやってみたら、メチャクチャで。頭に来すぎて、一度スタジオから出て頭を冷やさなくてはならなかったほどだよ。2日間、5時になると奴はリハーサルをやめて、ツアーバスに戻ってジャック・ダニエルを飲み始めるんだからね。俺とトニーはまだ練習を続けているのに、奴は飲んでいるんだ。これが真実だよ。これがアバドンがもうバンドにいない理由さ。そしてフィラデルフィアでのツアーの最初のショウで、会場に着いてみると、通りに何百人もの人がいる。プロモーターがツアーバスに来たから、「あの人たちがみんな俺たちを見に来たのならいいのに」って、冗談のつもりで言ったんだ。そしたら「実はあれは入りきれなかった人たちですよ」って。ソールドアウトどころかオーヴァーソールドだったんだ。結局建物のドアを開けっ放しにして、みんなが見られるようにした程さ。このツアーは「ブラッドステインド・アース・ツアー」という名称で、だから当然「Bloodstained」はプレイすることになっていて、この大きなツアーの初日、超満員のお客さんの前で、アバドンはこの曲を2回もしくじりやがったんだ。叩けなくてやり直して、でも結局やり直しても叩けず、トニーに「別の曲にしてくれ」って叫んで。おかげでセットリストから5-6曲落とさなくてはならなくなった。アバドンがプレイできないから。「Manitou」もやろうとしたんだけどね。「Manitou」はライヴでやったらかっこいいだろう?ところが酷い出来だった。ここでは笑っていられるけどさ、お客さんの前ではそうはいかない。奴はバックステージで、「だんだんうまくやれるようになっていくから」なんて抜かしやがって。これはリハーサルなんかじゃないんだって。次の日はニューヨークで、これもソールドアウトで、メタリカと仕事をしているマイケル・アラゴも来ることになっていた。もうめちゃくちゃだよ。それでツアーの中頃、(テスタメントの)チャック・ビリーの家でミーティングして、そこにはジョン・ザズーラやマーシャ・ザズーラもいて、だけどアバドンは気にも留めず、俺は家に帰るとか言っていてさ。真面目にやるつもりなんてなかったんだよ。そこでチャック・ビリーに、このツアーのサウンドマンをやっているジェラミーはドラマーだって教えられた。トニーが俺たちの曲が入ったCDをジェラミーに渡して、「何曲か覚えてみてくれないか」って。ジェラミーはツアー・バスのベッドに座って曲を聴いて譜面を書いて、彼と一緒にリハーサル・ルームに行ってみたんだ。ツアー途中でめちゃくちゃになってしまう可能性があったから、バックアップが必要だと思って。別にアバドンを欺こうと思った訳でもなく、他に方法もなかったからさ。それでリハーサル・ルームに行って、どの曲だったか忘れてしまったけれど、やってみたら完璧だった。覚えてきた曲、どれもが完璧。信じられなかったよ。結局ツアー後、アバドンは子供が生まれたはずなのだけど、それ以降まったく連絡はなかった。バンドに関心があったなら、「無事子供が生まれたよ」くらいの連絡はするものだろう?とても悲しいし、ムカつくし、ガッカリさせられるけど、彼は1998年から2015年までの間、音楽的なことは何もやっていなかったんだ。コールセンターで仕事をしていただけ。17年間何もしていなかったのに、突然Keep It Trueで2000人ものオーディエンスの前に立ったのさ。ヴェノム Inc.としてね。ZeroからHeroになるチャンスを得たのさ。一方の俺とトニーはエンパイア・オブ・イーヴルとしてツアーを重ねてきた。アバドンはただそこにひょいと入ってきただけなのさ。彼はそれを当然の権利だと思ったようだが、そうじゃない。みんなには見えてはいないけれど、こういうことが起こっていたのさ。今書いている本には、こういうことすべてが記されているよ。みんなは聞きたくないかもしれないけど、これが真実なんだよ。
ー ジェラミーはツアーのサウンド担当だったんですね。
マンタス:そうなんだよ。それ以前は、彼が誰なのかも知らなかった。チャック・ビリーに言われるまで、ドラマーであることも知らなかった。昨日のインタビューでこう言ったんだ。今1982年のヴェノムをやる訳にはいかないって。スレイヤー、マシーン・ヘッド、メタリカ、メガデスがヴェノムからの影響を公言してくれていて、そして彼らのプロフェッショナルさと言ったら。ヴェノムは確かにカオスで知られてきたけれど、カオスであると同時にタイトであることもできるからね。とてもアバドンで続けていくことはできなかった。
ー ニュー・アルバムの音楽性について、どう説明しますか。個人的にはヴェノムらしくないとは言いませんが、『アヴェ』とはまた違った音楽性を感じたのですが。
マンタス:ヴェノムの音楽的変遷を考えてみると、最初の2枚のアルバムを別にすると、同じアルバムはないと思うんだ。ファースト・シングルは「In League with Satan / Live like an Angel (Die like a Devil」で、次が「Bloodlust」、そして「Die Hard」。「Die Hard」はもっとメロディックでロックっぽかった。その後の「Seven Gates of Hell」や「Warhead」はまた違ったよね。そして「Manitou」。あれも違った曲調だろ。先へ進んで、『Resurrection』、あれは素晴らしいアルバムだと思う。とてもプログレッシヴでタイトで、非常に音も良いヴェノムのアルバムさ。『Cast in Stone』は、また昔に戻った感じだけど、曲作りに関しては進化があった。『アヴェ』では「またヴェノムのクラシックが生まれた」というレビューがいくつかあって、とても嬉しかった。『Prime Evil』は、俺にとっては『Black Metal』の次にリリースされるべきアルバムだったと思う。まあ俺の個人的意見だけれどね。自分の作品の評価というのは、ファンや評論家のそれとは違ったものだろう。今回のアルバムについては、確かにモダンな要素も入っていて、少々違った方向性というのはあるかもしれないけれど、「インフェルノ」なんかはストレートにオールド・ヴェノムな曲だよね。「In League with Satan Part 2」と言ってもいいかもしれない。「『Prime Evil』期の発展型だ」とアルバムを評する人もいるだろう。まあ、どうだろうな、歌詞的にも、一度死を体験してからすべてが変わったとは言える。今回のアルバムで語られていることは、人間の闇さ。角の生えた悪魔や輪っかのついた天使なんていうものは存在しない。そういうものは、ハリー・ポッターみたいなファンタジーさ。人間こそが神で、人間こそが悪魔なんだよ。これは何度も言ってきているけれど、人間というのは本当に素晴らしいものを作り出す能力を持っている。一方で、この惑星で最悪のクソにもなりうる。それはニュースを見ればわかること。今世界で起こっていることを見ればね。それがこのアルバムのテーマさ。まあ「インフェルノ」は歌詞もヴェノムだけどね。ヴェノムの曲のタイトルなんかをいくつも忍び込ませてある。一方で「タイラント」なんかは、人間の中の獣についてさ。俺は常にビッグでアンセミックな曲を書きたいと思っているのだけど、「タイラント」のエンディングなんかはまさにそれさ。全体的にはかなりダークなアルバムだと思う。タイトルトラックは、実はもともとタイトルにするつもりではなかったんだ。でも、あの曲をトニーに送ったら、「これこそタイトルトラックだ!」って。あの曲は、俺に起こったこと。年齢を重ねると、人生経験、あるいは死の経験が増えていって、世界というものをありのままに描写できるようになる。初期の頃のヴェノムでは、お話ばかりを書いていたけれどね。例えば「Seven Gates of Hell」なんかは、ロニー・ジェイムズ・ディオ歌っているところを思い浮かべて書いた。”In a dream or nightmare where love gives way to hell”、”Ride the wings of locust”とか、とてもロニー・ジェイムズ・ディオっぽいだろ。彼が歌っているのを聴いてみたいよ。素晴らしいだろうね。きちんと功績は認めたいのだけど、クロノスの書く歌詞は素晴らしかった。パッと思い浮かぶのは2曲。「Nightmare」の”By the shores of the ageing sea / Fools scream out destiny / They speak of vengeance and your gods”は素晴らしい。もう一つは「Manitou」。素晴らしいストーリーだよね。「Manitou」の最初のリフは、もともと「Possessed」用だったんだ。「Possessed」の歌詞は、1979年くらいに書いたんじゃないかな。そのリフだけがあって、しばらく放置されていたのだけど、それが最終的に「Manitou」になって、それにクロノスが歌詞をつけた。ダイナモに出た時に、スタジオでリハをやっていて、俺が適当にリフを弾いていたら、コンラッド(クロノス)が、「そのまま続けて」って。そして奴が「I am the evil one The tempter, sinner man」って歌い出して、「The Evil One」が出来上がった。そうやってクロノスとは一緒に曲を作っていて、トニーともそれをやれるのだけど、今回のアルバムは、パンデミックがあったから、それぞれが別々で曲も歌詞も書いた。いつもはトニーがポルトガルに来るのだけど、今回は彼は彼でロンドンで作業して、ジェラミーはタンパの自分のスタジオで作業をして。ジェラミーから送られてきたファイルを聴いた時は、喜びしかなかったよ。
ー 前作の時とは違って。
マンタス:まったくだよ(笑)。とにかく良いアルバムに仕上がっていると思う。「ドント・フィード・ミー・ユア・ライズ」なんかは2万回くらいYouTubeで視聴されているし。もちろん何百万回と視聴されるバンドもいるけれど、俺は現状にとても満足しているよ。このアルバムのレビューがどういう感じになるか、とても興味深く思っている。
ー その「ドント・フィード・ミー・ユア・ライズ」ですが、とても個人的な歌詞に思えたのですが、具体的な標的がいるのですか。
マンタス:たくさんいるよ(笑)。一般化して書いているけど、さっきも言ったように、個人的な経験を元にしている。あるスレッドを読んだのだけど、そこでアメリカのファンが、「この曲は間違いなくトランプのことだ」って書いていた。ジェラミーが「実はこれはトランプとは無関係だ」って返していたけれど。「あの歌詞はどういう意味なのですか」と聞かれることは多いけれど、俺が言いたいのは、「君にとってはどういう意味か」ということ。もちろん俺はそれがどういう意味なのかわかっている。だけど、それがリスナーにとってどういう意味になるのか。リスナーの解釈がすべてであって、俺の意図はどうでも良いんだ。リスナーが解釈することによって、俺の書いた曲が、彼らのものになるんだよ。
ー では「ナイン」というのは何なのでしょう。
マンタス:実は、コンセプトは完全には理解していない。あれはトニーが書いたもので、地獄の9つの円環のこと。彼は俺よりも、ああいうことに造詣が深いんだ。俺は人生の間ずっとヴェノムをやってきて、創設メンバーでもあって、初期の頃はよく「サタニストですか?」なんて聞かれたりもしたけど、ファックオフ、もちろん違うよ(笑)。あの曲は、曲も歌詞もトニーのもの。今回のアルバム用に24曲作って、その中から12曲を選んだのだけど、基本的に俺とトニーで6曲ずつ書いた。そうか、さっきの質問に戻るけれど、君が今回のアルバムは少々方向性が違うと感じた理由はこれかもしれないね。『アヴェ』では俺がすべての曲を書いていたから。あの時は、トニーに「君も曲を書かないのか」って言ったのだけど、彼はアートワークやレイアウトをやるから、君は曲作りに専念してくれと。今回はトニーと俺がそれぞれ曲を書いた。しかも別々の場所でね。トニーが送ってきた曲については、白紙委任状というか、好きにアレンジしてもらって構わないということだったのだけど、トニーと俺では当然ギターの弾き方が違うからね。俺が弾く際、俺の弾き方に調整する必要がある。同じAを弾くのでも、Eの弦の5フレットを引くのか、Aの開放を弾くのかとかね。どの曲だったか忘れてしまったけど、トニーが送ってきた曲が、まさに俺そのままのがあってさ(笑)。最初のシングル「ハウ・メニー・キャン・ダイ」もトニーが書いた曲。あれはパンデミックのピークの時に書かれた曲で、パンデミック以降戦争も勃発して、世界は本当にめちゃくちゃだ。”How many can die”というのはとても痛烈な言い回しだけど、政府の奴らが象牙の塔に座って、「人口が増えすぎてるな。何人駆除できるだろう」なんて言っている。この曲はそういう内容さ。「ドント・フィード・ミー・ユア・ライズ」は俺が書いた曲だけど、あの歌詞を読んだ人は誰でも、「ああ、こういう奴いる」って共感できるはず。
ー アートワークはあなたが考えたものですか。
マンタス:いや、あれもトニーのコンセプト。さっきも言ったように、もともとは別のタイトルになるはずで、それ用のアートワークもあったのだけど、トニーに「ゼアズ・オンリー・ブラック」を送ったら、これだということになって、最初にトニーが送ってきたのは、ただのブラックホールのイメージだった。ブラックホールの中に何があるのかは、誰にもわからない。別の次元があるのか、それともただの穴なのか。たくさんの謎がある。インタビューでも、あのアートワークは何なのかと聞かれる。電気エネルギーなのかとか。あれが何なのかと考えさせるというのは、素晴らしいことだよ。そして次に聞かれるのが、ヴェノムのロゴはどこかと。ロゴはジャケットの内側に描かれているんだ。ジャケットには配置するところがなかったから。色々とフォトショップで試してみたのだけど、どこに置いてもしっくり来なかった。「一体これは何なんだろう」と考えさせる、あのイメージ自体がとても気に入っていたからね。最近のアルバム・カヴァーは、本当に素晴らしいイメージのものが多い。とても豪華で。今回俺たちは、そういう慣習を少々打ち破ろうと思って。ジャケットはシンプル、そしてできれば収録されている音楽がすべてを語るようなものにしたかった。音楽を聴けば、そのカヴァーが何なのかがわかるような。「ゼアズ・オンリー・ブラック」というのは、俺が見たものそのままさ。俺が死んだ時にね。意識を取り戻すまで、自分が死んだことにも気づかなかった。医者が俺の肩に手を置いて、「お亡くなりになりました」って。ガールフレンドはすべてを目撃していたんだ。救急車の中で彼女に「気分はどう?」と聞かれて、そのうち痛みも感じなくなって、それっきり。死んでしまったんだ。医者が救急車のドアを閉めて、ガールフレンドも外に出して。とても取り乱していたんだろうね。彼女によると、5分以上救急車は激しく揺れていたらしい。心臓マッサージをしていたんだよ。死んだ時は、電気が消えたようだった。いきなりに真っ暗になって、ただそれだけ。「ゼアズ・オンリー・ブラック」とはそういうこと。神や悪魔との会話もなし。でも、人によっては違う経験もしているようだ。Netflixに『Surviving Death』というシリーズがあって、最初のエピソードは、臨死体験について。その中に1人医者の女性がいて、彼女は科学だけを信じていて、脳が死ねばすべてが終わりだと考えていたんだ。彼女はカヤックの事故で溺れて、医学的に20分間死んでいた。急流で体中を骨折してね。病院で蘇生した時に、彼女は自分の体が岸に置かれていた時の状況を図示してみせたんだ。彼女の周りに人がいて、彼女が蘇生を施されていたこととか。その状況をすべて見ていたと言うんだ。出血多量になったヴェノムのファンとも話したことがある。工場で事故に遭い、彼は自分が蘇生されるところを全部見ていたという。とても興味深い会話だったけれど、俺のケースでは、何もなかった。人によるんだろうね。そういえば、ヨーロッパ・ツアー中に(ネクロフェイジアの)キルジョイの訃報を聞いた。彼とはツアーの時に初めて会ったのだけど、どういう訳がとても気が合ってね。彼は心臓発作で亡くなってしまい、俺は心臓発作を起こしたけれど、蘇生した。その後、ヨーロッパ・ツアーのカメラマンが心臓発作で亡くなってしまった。親しい友人2人が亡くなってしまったんだ。そして考えた。どうして俺だけが蘇生したのだろうって。これは今でも疑問に思っている。
ー 死後にも世界があったら素晴らしいことですよね。
マンタス:俺はあると思っているよ。最近寝る時に、必ずオーディオ・ブックを聴いているんだ。今聴いているのは、「バガヴァット・ギータ」。
ー インドのですね。
マンタス:そう。毎晩あれを聴きながら眠っている。いつも何かを探究しているんだ。自分でも何を探しているかはわからないのだけど、何かがなぜ俺が今もここにいるのかを教えてくれるんじゃないかと思って。裏にいる猫たちかもしれないね。21匹の猫を保護しているんだ(笑)。
ー 話は飛びますが、『Black Metal』収録の「Teacher’s Pet」が実話に基づいているのは、人生最大の驚きの一つでした。普通あれは典型的な男子の妄想についてだと思うと思うのですが。
マンタス:(爆笑)。少なくとも最初の1行は実話だよ。”Teacher caught me masturbating underneath the desk(机の下でオナニーをしているのを先生に見つかった)”っていうやつ。見つかったのは俺じゃないけどね(笑)。その後の展開は飾りというか、妄想だけど。あれは小学校で、10歳か11歳の頃じゃないかな。はっきり覚えていないけれど。
ー 随分早い時期ですね。
マンタス:そうなんだよ。ちょうど女の子の体は自分たちとは違うと意識し始める頃。皮肉なことに、それはR.E.(Religious Education)、つまり宗教教育の先生だった。当時は70年代だったからね。70年代のイギリスでは、女性はみんなミニスカートにハイヒールだったんだ。オーケー、それでどんな感じだったか想像がつくだろう?その先生は、クラスの前の机に、脚を組んで座っていたんだよ。クラス中の男がみんなスカートの中を覗き込んでいるような状況でさ(笑)。パッと見たら、俺の隣に座ってた奴が、ズボンの中に手を突っ込んでるんだよ(爆笑)。もちろんその後先生に「放課後会いましょう」なんて言われるのは妄想だけどさ。隣に座ってた奴が、いわゆるchoking the chicken、bashing the bishop(いずれもオナニーを意味するスラング)をしていたのは事実(笑)。
ー 歌詞のように先生には見つかりはしなかったのですか。
マンタス:何となく先生とそいつが視線を交わしていた記憶はあるんだよ。先生がかなり険しい表情でそいつを見ていてさ、だけどその時点で奴はフィニッシュしていたはず(笑)。その日1日、パンツがピッタリと張り付いたまま過ごしたんじゃないかな(笑)。
ー (爆笑)
マンタス:いいかい、多くの人が忘れてしまっているけれど、初期のヴェノムにもこういうユーモアがあったんだよ。ファースト・アルバムでは地獄だとか、シジル、バフォメット、ソドムの千日なんて歌っているけれど、「Poison」なんかは、地元のバーにいるヤリマンから性病を移されるという内容だからね。『Black Metal』というアルバムは、ブラック・メタルというジャンルを作り出した作品ではあるけれど、その中に「Teacher’s Pet」が入っている。今年は『Black Metal』の40周年だから、5-6のフェスでこれの完全再現のライヴをやるんだ。それから10月にドイツで『Return to Hammersmith』というセットをやる。ハマースミスでのライヴのセットも再現するよ。それ以外ではただ『Black Metal』を最初から演奏する。MCもなし。パイロ、スモーク、そしてアルバムの曲をすべて。つまり必然的に「Teacher’s Pet」も演奏される(笑)。俺たちはニューカッスル出身だからね。ニューカッスルは、悪名高いユーモアのある土地なんだ。とても皮肉っぽいユーモアも得意。挨拶の仕方ですら酷い(笑)。友達同士でも罵り合って、でもそれがニューカッスルのやり方なんだ。アメリカでサウンドチェック中、ニューカッスル出身のクルーたちと大声で罵り合っているから、言い争いをしているみたいに聞こえたようだけど、そうじゃないんだ。
ー 「Teacher’s Pet」の最後でクロノスが何と歌っているのかわかりますか。ネイティヴの方達に聞いても、誰も聞き取れないようで。
マンタス:ああ、あれは”Oh my little gymslip mistress”って言っているんだと思うよ。
ー オールタイムのお気に入りのアルバムを3枚教えてください。
マンタス:あらゆるバンドの中で?
ー そうですね。ハードロック、ヘヴィメタルの中で、人生を変えられた作品を。
マンタス:それは参ったな。
ー ヴェノムを作り出したと言える作品でも良いです。
マンタス:当時思っていたよりも実はオマージュになっていたという意味では、これも本に書いているのだけど、つまり当時思っていたよりもヴェノムの曲作りに影響を与えていたのは『Overkill』。モーターヘッドのね。まだクライヴ(アーチャー)がヴォーカリストだった頃、「No Class」をカヴァーしていたんだ。意外とうまくやれていてね。初期のヴェノムのリズム・ギターを聴いてみると、ファスト・エディからの影響がたくさんある。気づいている以上に彼からの影響があったんだ。世界一のモーターヘッド・ファンだとは思っていなかったけれど、それでもモーターヘッドは好きだった。本当に初期の作品のね。
ー 「Witching Hour」のエンディングは、かなり「Overkill」を思わせる部分がありますよね。
マンタス:そうそう。例えばクロノスが『Black Metal』用に書いたこの曲。(ギターを弾きながら)「Heaven’s on Fire」。このリフなんてモロにモーターヘッドだろう。思ったよりも『Overkill』から影響を受けているんだ。俺はプリーストとキッスの大ファンだったからね。あと2枚か。ちょっとインチキだけど、キッスの『Alive』。要は彼らの最初の5枚のアルバム。初めて買ったハードロックのアルバムは『Hotter than Hell』だった。初めて買ったアルバムという意味ではTレックスだったけれど。それからもう一枚は、『Unleashed in the East』。『Unleashed〜』に関して、相当スタジオでオーヴァーダブされたなんていう話は聞いているし、『Alive』のオリジナルのサウンドボードのテープも聴いたことがある。確かにオーヴァーダブが必要だったと思うよ。ライヴ録音だからね。だけど、たくさんお気に入りの曲が入っているし、あの時代のキッスが大好きなんだ。YouTubeにごく初期のライヴ映像があってね。本当に素晴らしい。74年、75年頃、大学のフットボールのグラウンドでお昼に演奏しているやつ。彼らがまだただのロックンロール・バンドだった頃。初期のヴェノムには、彼らからの影響が大きいよ。とにかく曲を書いてみようとやった結果が、『Welcome to Hell』というアルバムになったんだ。そこに大きな思考プロセスがあった訳ではない。ただパワーコードを上下に動かすだけ。それからペンタトニック・スケール。しかもファースト・ポジションだけ。他に何も知らなかった。『Overkill』は、俺のオールタイムのお気に入りだとは言わない。だけど、初期のヴェノムに与えた影響という点では、このアルバムの果たした役割は大きい。他にも影響を受けた作品はたくさんあるよ。マホガニー・ラッシュのヴァイブもあるしね。フランク・マリノさ。「Electric Reflestion of War」を聴いた時は、ぜひこういうギターを弾いてみたいと思ったよ。とにかく色々なものから影響を受けた。影響を受けたと言えないのは、驚いたことにおそらくブラック・サバスさ。彼らからはあまり影響を受けなかった。80年代初期のニューカッスルにはロックやメタルが好きなキッズが大量にいて、ジューダス・プリースト派とブラック・サバス派に分かれていたんだ。もちろんお互いのバンドも好きだったけれど、プリースト・ファンかサバス・ファンに分かれていて、俺はプリースト派だった。いずれにせよ、『Overkill』からの影響が一番大きかったと思う。
ー では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。
マンタス:これはいつも言うことだけれど、音楽業界において、一番大切なものはファンさ。ファンこそが生命のエンジンや酸素のような存在で、彼らが音楽業界を動かしているんだよ。ファンがいなければ、俺たちも存在しない。シンプルなことさ。ファンがいなければ、マクドナルドで働くことになる。自分の音楽を気に入ってくれる人がいなければ、どうにもならないんだ。素晴らしいファンがいてくれる俺たちは、本当に幸運だよ。日本が俺の一番のお気に入りの国だということは、みんな知ってるよね。早くまた行きたいよ。いつか日本にツーリストとして行きたいんだ。まず空手の発祥地、沖縄に行って、あらゆる道場を訪れたい。日本が持っている、伝統的な面とテクノロジーという両面性が好きなんだ。初めて日本に行った時、本を読んだり空手や合気道を通じて日本について色々知っていると思っていたけれど、05年に成田に降り立った時、本当にぶっ飛んだな。それから渋谷や新宿に連れて行ってもらって、まるで別の惑星に来たような気持ちになった。誰かスポンサーになって、俺をツーリストとして日本に呼んでくれ(笑)。いわゆるバケットリストというのがあるだろ。死ぬまでにやりたいことというやつ。東京に山手通りというストリートがあるだろ。そこに合気道の養神館本部道場というのがあるんだ。塩田剛三が設立した道場さ。そこに行きたくてね。道場への参加を申請したこともある。日本から帰る空港で、「他に行きたかったところはあるか」と聞かれたので、養神館本部道場のことを話したら、実は俺が泊まっていたところのすぐ近くだったんだよ!ぜひあの道場に行ってみたいね。まあ以前ほどタフじゃないから、あっという間に投げられちゃうかもしれないけど(笑)。日本のファンは本当に親切で、スタジオには彼らからもらったギフトが置いてあるよ。日本に降り立つと、いつも胃のあたりに何かを感じるんだよ。日本の食べ物も大好きなのさ。
文 川嶋未来