先日の来日公演も大成功に終わったRiot。リーダーのドン・ヴァン・スタヴァンに、日本公演について、そして先日再結成が発表されたS.A. Slayerについて語ってもらった。
ー 土曜日(7月20日)のクラブチッタでのショウはいかがでしたか。
DVS:素晴らしかったよ。日本とは色々歴史があって、1989年に『Thundersteel』のラインナップで初めて日本に来た。パワー・メタルへとスイッチして、マーク・リアリ、ボビー・ジャーゾンベク、トニー・ムーアと。その時に、日本はとても音楽に情熱的なところだと知った。世界中でプレイしてきたけれど、日本のファンは最高だよ。35年が経った今も、ショウに来てくれるからね。素晴らしかったよ。クラブチッタでは何度もプレイをしたけれど、いつも満員で情熱的。4-5年のロックダウンを経て、今も見に来てくれてとても誇りに思う。
ー あのショウは『ライオット祭』と銘打たれ、日本のLoudstorm、イタリアのValentinoというRiotを崇拝するアーティストたちがオープニングを務めました。そのことについてはいかがですか。
DVS:どちらもイカしていたよ。日本では、いつもオープニング・バンド無しでプレイしてきて、オープニングがいたのは今回が初めてだった。Loudstormなどのことを聞かされた時、彼らはとてもナイスで友好的で、良いバンドで、どちらのバンドもグレイトだったな。ギターの名手、Valentinoも素晴らしい奴さ。素晴らしいギター・プレイヤー、素晴らしいシンガー。良いパンチになったよ。バンバンと来て、最後にRiotが出て。才能があって、しかもただのオープニング・アクトではなく俺たちのファンでもあるなんて、よりイカしていたよ。サポート・バンドが出るのは悪いことではない。特に彼らが俺たちをサポートしてくれるならね。
ー Riotを聴いてバンドを始める若い人たちがいることについてはどう感じますか。
DVS:(笑)。もちろん若いファンたちも見に来てくれるけれど、古くからのファンもいる。1989年からのファンもいまだに見に来てくれていて、この間のショウでは当時のプレゼントもいくつかもらったよ。カレンダーとかね。古いファンが今も見に来てくれるのはイカしているし、だけど若いお客さんが来てくれるのも本当にイカしているよ。こういう音楽で、今も若いお客さんを惹きつけられるというのはね。俺たちは今もヘヴィな音楽をプレイしているけれど、 Riotはただヘヴィなリフや音楽をプレイしているのではなく、メロディや一緒に歌えるサビがある。「Shine, shine on〜」とかね。俺たちはマークからそれを教わったんだ。曲はアグレッシヴだけれど、イカしたメロディがある。俺たちの音楽は、より広い聴衆、子供たちも惹きつけるのだと思う。そういうヴァイブがあるからね。そして素晴らしいレーベルたちがプッシュしてくれて、広めてくれる。ワードレコーズにも感謝しているよ。サポートしてくれてありがとう。
ー 今回のセットリストには、レア曲が多く含まれているようですが。
DVS:今回は2回のショウだからね。違うセットリストにしようと思ったんだ。Riotの場合、それぞれのレコードから1曲ずつやるだけでも、3時間とかになってしまう。ファンは喜ぶかもしれないけれど、俺たちも年だからね(笑)。それはともかく、かつてはプレイしていたけれど、しばらくやっていないたくさんの曲を復活させようと、ニューヨークでリハをやって。2つの違ったセットリストを考えて、それぞれのレコードから1曲ずつ、ただし違ったレコードから、という感じにした。「Fire Down Under」をやる日、「Swords and Tequila」をやる日、みたいになるべく変えて。とてもイカしてるし、レア曲をやるからファンも気に入ってくれるんじゃないかな。「Overdrive」、『Narita』に入っている「49er」とかはほとんどプレイしないから、楽しいしたくさんの思い出が蘇る。イカしてるよ。ニュー・アルバム『Mean Streets』の何曲かは、気に入ってもらいたいからどちらの日もプレイしなくちゃならないけれど、他は違うセットになる。気に入ると思うよ。
ー その『Mean Streets』ですが、ファンの反応はいかがですか。
DVS:良いよ。ロックダウンもあって出すまでに時間がかかった。何でこんなに時間がかかったんだなんて言われたけれど、ロックダウンだけじゃなく、当時バンドに色々あってね。3人のプロデューサーを試した。これというものが作りたかったから、何人か試してプロダクションは良かったのだけれど、久々に出るアルバムだし、お店に買いに行ける時期にリリースしたくてね。ロックダウン中は外出できなかったから、お店で買えて、これをプロモートするためにライヴがやれる時期にしたかった。それで時間がかかったんだ。すべてが過ぎ去ってからにしたかったから。Danger Dangerの、そしてマークとWestworldをやっていたブルーノ・ラヴェルに頼んで。彼は『Immortal Soul』や『Unleash the Fire』などもプロデュースしてくれた。時間はかかったけれど、ブルーノが手がけて仕上がった作品を聴いて、レーベルに送ったら、これは素晴らしいぞという感じでね。仕上がりにとても満足しているよ。レビューもかなり良くて、たくさんの人が俺たちのベスト・レコードかもしれないなんて言っている。長いブレイクの間に曲を書いたから、Riotの一つのスタイル、例えばパワー・メタルだけとかでなく、色々とミックスしたんだ。ルーツにも戻ろうって。アルバムを聴けば、バラエティがあるのがわかる。「Hail to the Warriors」はドカドカ言う感じだし、「Feel the Fire」はAcceptやJudas Priestみたいな曲。そして「Love Beyond the Grave」みたいなのもあるし、バラエティに富んでいて、それぞれの曲に特徴がある。だからこんなに良い作品になったんだろうね。このまま調子良く行くといいな。
ー S.A. Slayerが復活します。きっかけは何だったのでしょう。
DVS:ライヴをやるって聞いた?マーク・リアリに出会った時、俺はSlayerというバンドにいて、テキサスのサン・アントニオの共通の友人の場所でリハをやっていたんだ。俺たちは友人の家でリハーサルをしていて、当時リッキーという奴がいて、レーベルが彼に作品を送ると、彼はそれをラジオ局に持っていってなんていうことをやっていた。RiotやKrokusなんかのためにね。ある日リッキーがリハーサルにやってきて、ギター・プレイヤーのマーク・リアリがテキサスに来ていてジャムをしたがっていると。俺は加入する前で、彼らはすでに俺のお気に入りのアルバムを何枚か出していたし、なぜだろうなんて思ったのだけど、マークがやって来て、それが初対面で、Slayerと一緒に練習をしたんだ。Riotの曲やいくつかカヴァーをプレイした。実を言うと彼はしばらくテキサスにいて、ヒューストンとサン・アントニオでのライヴの時に、スペシャル・ゲストとしてマークを連れていって、「Swords and Tequila」をやった。Slayerとして何回か「Swords and Tequila」をやったんだ。そこからマークとの関係が始まって、一緒に住むようになり、音楽の内外で親友になった。たくさん旅もしたな。彼が『Born in America』をやった時に、俺はまだSlayerにいたのだけれど、曲作りを手伝ってくれないかと頼まれた。それで俺も曲を書いて、そんな感じでSlayerとマークの絆が出来ていって、結局それがソロ・バンドになった。マーク、それからテキサスのSlayerのデイヴ・マクレイン、スティーヴ・クーパー、そして俺。それがNaritaというバンド。基本的にはマークのソロ・バンドで、契約をとるためにたくさんの曲を録音した。それがうまく行かず、彼はRiotに戻ってツアーを再開し、俺たちはまたSlayerをやり始めた。そうそう、Naritaと言えば、何度かショウをやったけれど、Loudnessのオープニングもやったんだ!ずっと昔のことさ。俺がRiotに入る前のこと。このことをマサ(伊藤)に伝えたら、「覚えてるよ、コーパス・クリスティだろ!」って。Slayerの話に戻ると、マークから電話が来てね。「Slayerの調子はどう?実はキップがバンドを辞めたんだ」って。俺が「それで誰を加入させるんだい?」と聞いたら、「だからこうやって君に電話しているんだ。Riotに入って欲しい」って。そして俺はRiotに入って、Slayerにはグッバイを言わなくてはならなかった。当時ちょうどLAのSlayerも出てきていて、少々奇妙なことになってね。彼らとも一緒にショウをやったけれど。それから俺はニューヨークに引っ越して、Riotとやるようになったのだけれど、今でもミート・アンド・グリートに『Prepare to Die』や『Go for the Throat』を持ってくる人もたくさんいる。ドラムとデイヴ・マクレインはMachine HeadやSacred Reichみたいなビッグ・バンドでプレイしているけれど、彼もミート・アンド・グリートにSlayerのファンがやって来ると。まだそういうヴァイブがあるということで、数年間話をして、何かやるべきだと。Slayerも解散したし、まあ再結成するみたいだけれど、その穴埋めをしてはどうかと。それで『Prepare to Die』のタイトルトラックを再録して。スティーヴ・クーパーは亡くなってしまったから、Watchtower、Dangerous Toysのジェイソン・マクマスターがヴォーカルで、他はオリジナル・メンバーさ。基本的にKeep It TrueやMilwaukee Metal FestやMaryland Metal Fest、Hell’s Heroesとかフェスやプロモーターからたくさんのオファーが来ていて、それならやってみようと。オリジナルのラインナップだから、たくさんの思い出が蘇るよ。デイヴ・マクレインはSacred Reichで忙しいけれど時間はあると。俺もRiotがあるけれど、25年は時間がある。リード・ギターのロニー・ジャーゾンベクはマーティ・フリードマンとプレイしていて、偶然彼の兄貴のボビーはRiotのドラマーでもあった。アート・ヴィラリアルもいるし、両方のレコードでプレイした4人のオリジナル・メンバーさ。残念ながらスティーヴ・クーパーは大分前に亡くなってしまったから、テキサスのバンドとしてはテキサスの伝説的メンバーを入れようと。となるとWatchtower、Dangerous Toysのジェイソン・マクマスターしかいない。それでリハーサルをやって、1曲録音して、ライヴをやって欲しいという声がたくさんあって、奇妙だけれどイカしているよ。
ー LAのSlayerと対面した時の話も教えてください。
DVS:あれは面白かった。俺たちの方が先にSlayerというバンドをやっていたんだ。『Prepare to Die』は、彼らのファーストは『Show No Mercy』だっけ、あれよりも先だった。それから『Haunting the Chapel』が出て。ともかく俺たちの方が先だったのだけれど、メタル・ブレイドのブライアン・スレイゲルが、Slayerというバンドのレコードをリリースしたと。法的措置ということではなくて、まあどうしようか、みたいな程度のことで、停止通告書を受け取ったとかではなかった。それで話し合いをして、当時よく知られている「Slayer vs Slayer」というギグをやってね。Slayerがテキサスに来たいということで、それなら俺たちも一緒にやろうと。その頃マークとジャムをやっていて、Slayerはやっていなかったのだけれど、そのショウのためにまた集まったんだ。完全にソールド・アウトで凄かったよ。向こうのSlayerはデビューしたばかりでね。ドラマーのデイヴ・ロンバードがU-haulのついたノエル・カマロを運転してきて、俺たちも機材を下ろすのを手伝って、バックステージで話をした。マネジメント同士はやりあっていたけれど、バンド的には「どうでもいいよな」なんていう感じでさ。一緒に飲みながら話して、俺が「実は俺たちはもともとDragon Slayerという名前だったのだけど、Slayerに短縮したんだ」って言ったら、トム・アラヤが「俺たちもだよ!俺たちも元はDragon Slayerだったんだ!」って。彼らも俺たちも名前を短縮して、それじゃどっちかがDragon Slayerに戻すかみたいな感じだったのだけど、結局そのままになった。俺たちはまったく違うバンドだったからね。LAのSlayerはスクリーミング・ヴォーカルのスラッシュ・バンドで、テキサスのSlayerはRiotでやっているようなハイトーンのシンガーのパワー・メタルだったから。違ったことをやっていたから、ファンたちもパワー・メタルのSlayerとスラッシュのSlayerをそれぞれ評価するだろうと。結局そのまま俺がRiotにフルタイムで加入することになってしまい、LAのSlayerは活動を続け、その後はご存知の通りさ。彼らは巨大になって、俺たちは続けていたらどうなっていたかはわからないけれど、彼らはビッグになったね。彼らが最後のツアーでテキサスでプレイした時に、トムがSlayer vs SlayerのTシャツを着ていたんだよ。ずっと昔の子供だった頃のことなのに、彼は今もあのTシャツを着て、あの時のことが頭にあるのさ。素晴らしい時代だった。そんな訳で『Go for the Throat』を出した時は、単にSlayerと書く訳には行かず、S.A.(サン・アントニオ)をつけなくてはならなかった。『Prepare to Die』はただSlayerだったけれどね。(来年出演予定の)ヒューストンのビッグ・フェスティヴァル、Hell’s Heroes、これはRiotも出演したことがあるのだけれど、ポスターにS.A.ってついていてさ。ただSlayerで良いんじゃないかと思ったのだけれど。SNSにポスターがアップされると、「何でS.A.ってついているんだ?」とか、「こっちが本当のSlayerなのに」みたいなコメントもあった。いずれにせよ、俺たちを見たいと思ってくれる人がいるのはイカしているよ。伝説的なカルト・バンドだからね。いくつかオファーも来ているから、どうなるかな。どこまで受けるかわからないけれど、レコードやブッキング・エージェントのオファーもある。まあ雰囲気次第さ。チケットが売れるかもわからないし。カルト・バンドだけどね。
ー では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。
DVS:みんなに会えて良かった。ご機嫌いかが?RiotのDVS、ドン・ヴァン・スタヴァンだ。さっきも言ったけど、また言おう。この街、この国は素晴らしい。大好きさ。ここには最高の思い出がたくさんあって、お気に入りの演奏場所だ。89年以降たくさんの歴史があって、当時のお客さんが今も来てくれる。とても重要なことだよ。君たちが大好き。サポートしてくれてありがとう。可能な限り続けていくつもりさ。今は60代だけれど、初めてここに来た時は、20代前半だった。俺たちは今もロックしているし、Riotやマーク・リアリの遺産をプレイしていきたい。君たちがこのバンドを愛してくれるのは最高のフィーリングさ。俺たちも心から君たちを愛してる。見に来てくれてありがとう。俺たちも可能な限り来続けるよ。
文 川嶋未来
2024年5月10日発売
『Mean Streets』
・CD
・直筆サインブックレット+CD+Blu-ray+ライヴ2CD+ボーナスCD
・直筆サインブックレット+CD+DVD+ライヴ2CD+ボーナスCD
【CD収録曲】
- ヘイル・トゥ・ザ・ウォリアーズ
- フィール・ザ・ファイア
- ラヴ・ビヨンド・ザ・グレイヴ
- ハイ・ヌーン
- ビフォー・ディス・タイム
- ハイアー
- ミーン・ストリーツ
- オープン・ロード
- モータル・アイズ
- ロスト・ドリームズ
- リーン・イントゥ・イット
- ノー・モア
【メンバー】
トッド・マイケル・ホール (ヴォーカル)
ドン・ヴァン・スタヴァン (ベース)
マイク・フリンツ (ギター)
ニック・リー (ギター)
フランク・ギルクリスト (ドラムス)