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デイヴ・エレフソン独占インタビュー!初ソロ・アルバム、スラッシュ・メタル創成期のサンフランシスコについて語る

『エクソダスがメタリカに影響を与えて、
メタリカがメガデス、アンスラックス、
スレイヤーに影響を与えたということさ(笑)』

                                   

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文:川嶋未来 写真:Melody Myers

ソロ・アルバム『スリーピング・ジャイアンツ』を引っ提げ、盟友クリス・ポーランドとともに日本にやってくるメガデスのベーシスト、デイヴィッド・エレフソン。ソロ活動について、そしてメガデスが始動したスラッシュ・メタル創成期のサンフランシスコについて、デイヴィッドに話を聞いてみた。

 

 

― あなたはメガデスはもちろん、多くのバンドやプロジェクトに関わってきました。その中で、自身のソロ・プロジェクトを始めようと思ったきっかけは何だったのでしょう。

 

デイヴィッド:そうだな、俺はずっとバンドをやっていたいタイプなんだ。ソロ・アーティストとしてやっていく踏み台としてバンドを利用するのではなくてね。36年間メガデスの一員としてやってきて、デイヴと一緒にプレイをしていない時ですら、メガデスの呪縛からは逃れられなかったわけだけど(笑)、去年バンドの活動をストップしなければいけない2つの大きな出来事があった。1つ目はオジー・オズボーンとのツアーが延期になったこと。もう1つは、デイヴが咽頭がんと診断されたことだ。そのツアーに合わせて、『My Life with Deth』という伝記とソロ・アルバム『スリーピング・ジャイアンツ』を同時に出す予定になっていたんだ。7月の終わり、オジーとのツアーの最中にね。結局ツアーは中止になってしまったけど、本とソロCDはそのまま出すことにして、俺は北米でのソロコンサートのブッキングを始めた。イギリスやヨーロッパにも行き、結局南米にも行くことになった。『Basstory Tour』と銘打たれたこのツアーは、基本的に俺のソロの作品をプレイするもの。『スリーピング・ジャイアンツ』というCDは、3曲の新曲と、あとはここ25年、いや30年くらいかな、に書いた未発表曲を集めたものなんだ。「スリーピング・ジャイアンツ」という新曲が、「眠っている巨人」、つまり発表されずに眠っていた過去の曲たちを呼び覚ましたのさ(笑)。メガデス用に書かれた曲もあるし、特に目的もなく、ただ書いたものもある。これらのほとんどは、あくまでデモとして作られたもの。今年はオーストラリアや日本にも行くし、ソロとしての活動は俺のクリエイティヴィティのはけ口としてとても良いものになっているよ。他のバンドには合わない曲も発表できるし、今はソロ用のための曲を書くようにもなっている。この年になった俺にとって、とても素晴らしいプラットフォームさ。

 

 

― なるほど。この作品は方向性を決めて作ったのではなく、既存の曲を集めたものなのですね。

 

デイヴィッド:まさにその通りだよ。だから曲調も幅広いだろ。「イフ・ユー・ワー・ゴッド」ではジョン・ブッシュが歌っているし、いくつかの曲ではジェフリアやハウス・オブ・ローズのデイヴィッド・グレン・アイズレーがヴォーカルをとっている。新しめの曲では、俺のビジネス・パートナーであるトムが歌っている。特にトムを俺のソロ・プロジェクトのシンガーとして雇ったわけではなく、ただ歌ってもらっただけなのだけどね(笑)。ヴォーカリストが必要だったから。俺はメロディを考えることはできるけど、あくまでバッキング・シンガーだからね。ミネソタで最初のバンドをやっていた頃は、俺もヴォーカルをとっていたんだ。ジーン・シモンズやフィル・ライノット、もちろんポール・マッカートニーやバックマン・ターナー・オーバードライブのC.F.ターナーみたいな、ベーシストで曲も書いて歌も歌うというアーティストが好きだったから。だけど、ヴォーカリストがいるバンドに入ってからは、ヴァン・ヘイレンのマイケル・アンソニーみたいにバッキング・ヴォーカルをやるようになった。これはもちろんメガデスにも受け継がれていて、一番良い例は『Peace Sells』の終わりのサビでのハーモニーだろう。あれはマイケル・アンソニーがヴァン・ヘイレンでやっていたもの似てると思う。というわけで、CDには俺のリードシンガーとしての歌は入っていないけど、今世界中をツアーするようになって、何曲かはリード・ヴォーカルもやるようになったんだ。「フィール・ユア・ペイン」とか、「イフ・ユー・ワー・ゴッド」とか。声域もちょうどあっているし、何しろ俺が書いた曲だからね、俺がヴォーカリストとして一番よくわかっているのさ。

 

― DMCなど、さまざまなヴォーカリストが参加していますが、友人に歌ってもらったということですか。

 

デイヴィッド:そう、その通り。DMCはトムの友達で、それで知り合ったんだ。面白いことに、トムがDMCと一緒にやりたいと言い出して、それでDMCに電話して「スリーピング・ジャイアンツ」を歌ってもらうことにしたんだ。あの曲のエネルギーは、トムやDMCの声の多様性をよく表してると思う。DMCとのコラボレーションはとてもうまく行ったよ。

 

スリーピング・ジャイアンツ [feat. DMC]

 

― そもそもの音楽との出会いはどのようなものだったのですか。

 

デイヴィッド:最初の音楽との出会いとなると、うーん、どうだろう、4歳か5歳、うーん、おそらく4歳から6歳の間のどこかだろうね。うちにはたくさんのレコードとステレオプレイヤーがあったんだ。母が音楽ファンだったから。彼女は50年代から60年代の音楽、エルヴィスやモータウンが大好きでね。俺が最初に聴いたのは、ビートルズの「I Want to Hold Your Hand」の7”EPだったんじゃないかな。それからダイアナ・ロスと一緒にシュープリームスをやっていたメアリー・ウィルソン、あとはおそらくニール・ダイアモンドあたりをAMラジオで聴いた。車の中でね。思い出せるのはそのあたりだよ。これらを聴いてミュージシャンになろうと思ったわけではなく、ただ耳に心地よいものというだけだったけどね。とてもスイートで落ち着くものだった。それから5年後くらいかな、ハードロックなどを耳にするようになったのは。スクールバスのラジオで、WLSというチャンネルがあって、スティックスやシカゴ、キッスフォリナーのようなバンドをかけていた。まだメロディックでラジオ・フレンドリーだったけど、もう少しハードなエッジがあってギター中心で、女性ではなく男が歌っていた。

 

― では、最初に聴いた明確にヘヴィなものは何だったのでしょう。

 

デイヴィッド:多分バックマン・ターナー・オーヴァードライブだったんじゃないかな。10歳のころ、ミネソタの農場で育ったのだけど、ある時父が専門学校の学生を雇ったんだ。ゲイリーという名前だった。彼がバックマン・ターナー・オーヴァードライヴの『Not Fragile』の8トラックテープを持っていてね。彼とよく一緒にトラクターに乗って、そのアルバムを聴いたんだ。それでとても気に入った。ヘヴィなギター、サウンドで。これがロックにハマるきっかけだった。そのあとすぐに、キッスやスティックス、フォリナー、やがてヴァン・ヘイレンやボストンといった、アメリカの偉大なハードロックのグループを聴くようになっていったんだ。

 

― メガデスを始めたときはどんな音楽をやっていると思っていましたか。83年当時、まだ「スラッシュ・メタル」という言葉もなかったと思うのですが。

 

デイヴィッド:俺がアメリカのハードロックからイギリスやヨーロッパのものへと目を向けるきっかけとなったのは、ジューダス・プリーストの『Unleashed in the East』だった。あれこそゲームチェンジャーだったよ。同じころ、もちろんAC/DCやセックス・ピストルズとかも耳に入るようになってきたけどね。よりハードでヘヴィなものを求めていたけど、俺は常にメロディを必要としていた。そういう意味で、ジューダス・プリーストは完璧だった。とにかく曲はヘヴィでギターワークも素晴らしい。それに今もってなお、世界最高のヴォーカリストを擁しているだろ!男女、ジャンル問わずにね(笑)。『Firepower』は、今でも彼らが素晴らしいバンドであるという証明になった(笑)。『Unleashed in the East』を聴いて、それでアイアン・メイデンやモーターヘッド、デフ・レパードの1st、ヴェノム、ダイアモンド・ヘッドといった、いわゆるNWOBHMを聴いていった。それからもちろん83年にLAにいってデイヴに会いメガデスを始めるわけだけど、当時もメタリカはのちのビッグ4となるバンドたちの先頭にいたわけさ。デイヴはメタリカを辞めたあと自分が何をやりたいのか、はっきりとしたヴィジョンを持っていて、ケリー・キングをバンドに誘ったんだ。84年の初めの頃の話さ。当時スレイヤーもまだ方向性が定まっていなかった。ケリーがサンフランシスコに来てメガデスでプレイして、LAに帰ったのち、スレイヤーはメイクアップをするのをやめた。今みんなが知っている、スラッシュ、スピードのスレイヤーになったのさ。デイヴがメタリカを辞めた。ケリー・キングがメガデスでプレイした。こういうことがすべてぴたっとハマったわけさ。アンスラックスもニューヨークのバンドだけど、デイヴによれば、83年の初め頃にメタリカと友達になったらしい。もちろん彼らはニューヨークのハードコアからの影響を受けていただろうけどね。すべてはメタリカを中心に「六次の隔たり」だったということ。デイヴは元メタリカだし、ケリーはメガデスでプレイしたし、アンスラックスはメタリカの友人だった。メタリカという果実が、ビッグ4へとどう広がっていったのかを見るのは興味深い。ビッグ4のメンバー全員に影響を及ぼし、83年-84年にのちにスラッシュ・メタルとして知られるようになる音楽が発芽したのさ。もちろんそこにエクソダスも加えるべきだろう。エクソダスはサンフランシスコ、ベイエリアのサウンドというものを定義したし、おそらくメタリカにも影響を与えているからね。メタリカがクリフ・バートンを引き入れるためにサンフランシスコにやって来たときに、間違いなく彼らはエクソダスがやっていたことに影響を受けた。エクソダスがやっていた今スラッシュと言われている、耳障りで速いサウンドは、間違いなくメタリカに影響を与えたんだ。そしてその後、エクソダスからリード・ギタリストとしてカーク・ハメットを迎え入れることになるわけだけど、それはまた後の話だ。1年か1年半後。エクソダスがメタリカに影響を与えて、メタリカがメガデス、アンスラックス、スレイヤーに影響を与えたということさ(笑)。

 

― ヴェノムの名が出ましたが、彼らのことも好きだったのですか。

 

デイヴィッド:もちろんさ。ただ、アルバムはヴェノムの凄さを捉えきれていないと思う。ヴェノム本来の姿が伝わりきらないというのかな。ライヴこそがヴェノムの真髄だったからね。おそらくスレイヤーも同じ。『South of Heaven』までのアルバムは、スレイヤーの凄さを伝えきれていないと思う。まあ、『Hell Awaits』は違うかもしれないけど。彼らのライヴはレコードよりずっと凄かったからね。ケリーもヴェノムの大ファンだったよ。あとキッスも同じ。キッスもライヴを見て本当の凄さがわかった。ただ曲を聴くだけのバンドではないのだと。

 

― 当時デイヴ・ムステインはどういう音楽をやりたいのか、明確に説明してくれたのですか。

 

デイヴィッド:してくれた。実際にギターでプレイしてみせてくれたから、とてもわかりやすかったよ。実際に音で聴くことができてからね。デイヴはヴィジョンを言語化するのもうまいんだ。曲や歌詞を書くときも、これが何についてなのか、とてもはっきりとしたヴィジョンを持っているんだ。実際に書き始める前にすでにね。曲を書くときも、それがどういうものになるのか、前持ってわかっているのさ。ただジャムをして、という感じではないよ。

 

― 『Killing is My Business…and Business is Good!』は、デイヴ・ムステインがメタリカを見返そうとして作ったということがよく言われますが、実際の音楽性はメタリカとはまったく違うものですよね。

 

デイヴィッド:同意するよ。昨晩ちょうどファイヴ・フィンガー・デス・パンチのゾルタンとその話をしていたんだ。夕ご飯を食べながら。彼は、メタリカ・ファンとメガデス・ファンには大きな違いがあり、自分はずっとメガデス・フォロワーだったと。メガデスの音楽、ギター・スタイルやリフにはヨーロッパっぽさがあって、自分はハンガリー出身だから、それが自分にあっている。アメリカの音楽も、ヨーロッパの音楽も聴くけれど、やはり惹かれるのはヨーロッパにルーツを持つものだと言っていた。ゾルタンとは長い友達にもかかわらず、改めてこういう音楽の話をするというのは面白かったよ。コーンやアルター・ブリッジファイヴ・フィンガー・デス・パンチのような俺たちよりも後の世代のバンドに、俺たちのサウンドが影響を与えているのさ。デイヴに出会った頃、俺たちは意識的に初期スコーピオンズウリ・ロートのプレイを分析した。あとはパガニーニのような偉大なクラシックの作曲家の音楽もね。そういうものがメガデスのサウンドのバックにあった。それからガル・サミュエルソンとクリス・ポーランドが入った。彼らは非常にプログレッシヴなフュージョン・サウンドを出していたよ。マハヴィシュヌ・オーケストラとジェフ・ベックを合わせたようなプログレッシヴなフュージョン・バンドでプレイをしていたからね。彼らが加わって、メガデスのサウンドは突如大きく変わったんだ。メタリカやアンスラックス、スレイヤーとはまったく違うものへとね。

 

― つまりヨーロッパのメタル、クラシックやジャズ、フュージョンなどをすべて混ぜたものだったということですか。

 

デイヴィッド:まさにそういうことさ。俺たちのパレットに、突如たくさんの音楽が乗せられたんだよ。

 

― 『Killing is My Business…』に似ている作品というのは殆ど思いつかないのですが、唯一挙げるとしたら、初期のマーシフル・フェイトかと思うのですが。

 

デイヴィッド:それには同意するよ。実を言うと、デイヴが俺に最初に話してくれたバンドの1つがマーシフル・フェイトだったんだ。実際にマーシフル・フェイトのリフを弾いてみせてくれたことを覚えている。ヘヴィで恐ろしかったよ。とにかく怖いサウンドでさ(笑)。ただ、それらのリフは恐ろしかったにもかかわらず、俺にとってとても興味深いものでもあった。

 

 

― 当時のサンフランシスコで新しい音楽が生まれているという高揚感は感じましたか。

 

ディヴィッド:俺は84年2月にメガデスのデビュー・ライヴをやるまでサンフランシスコのことは何も知らなかったから、それ以前は感じなかった。おそらくケリー・キングも同じだったんじゃないかな。彼もLAのシーンやヨーロッパのバンドのことしか知らなかったし。彼と俺は似てたんだよ。彼もまだ両親と住んでいたし、とても良い家庭の子だったからね。どちらもジューダス・プリーストやスコーピオンズが好きで。彼はいつも、ウィスキー・ア・ゴーゴーでメタリカがサクソンのオープニングをやった夜に人生が変わったと言っていたよ。そこでデイヴがプレイするのを見て、完全に人生を変えられたと。その1年後に彼はメガデスでプレイすることになって、彼にとっては夢が実現したという感じだったのさ。人生を変えた相手のバンドでプレイしたわけだからね。もちろん彼はメガデスにずっといるつもりではなかったけど、メガデスでプレイしたせいで、スレイヤーの方向性が定まったのさ。サンフランシスコで起こっていたことを知るには、そこにいなくてはいけなかったと思う。何かを読んだり音楽を聴いたりしてわかるものではない。俺は確かにシーンの一部だったよ。残念ながら、もうそのシーンは存在していないけれど。ウッドストックも同じさ。ジャニス・ジョップリンやヘンドリクス、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングをあそこで体験したのなら、ウッドストックの一部だったということ。本当に理解をするには、その場にいなくてはいけない。サンフランシスコのスラッシュを本当に理解するには、あの時にあの場にいなくてはいけなかった。ラッキーにも、俺はそこに居合せることができたんだ。その後のメガデスの活動にも、その刻印が押されている。そしてそれが初期のメガデスの狙いだった。サンフランシスコでデビュー・ライヴをやったというデイヴの狙いを、俺は完全に理解できるよ。

 

― 続く『Peace Sells…but Who’s Buying?』を聴いたときは、凄く聞きやすくなったという風に感じました。これは意図的な方向転換だったのでしょうか。

 

デイヴィッド:『Peace Sells…』に収録されている曲のいくつかは、俺たちが最初に書いたものさ。「The Conjuring」などは、ケリー・キングがいた頃にもプレイしていたよ。「My Last Words」もやっていたな。つまり84年にデビューしたときに、『Killing』だけの曲をプレイしていたわけではないということさ。「Set the World Afire」、「Into the Lungs of Hell」とかね。最初の3枚のアルバムの曲をやっていたんだよ。それで、『Killing』のツアーが終わってロサンジェルスに戻って来て、残りの曲を書いた。『Peace Sells…』をレコーディングする直前、86年の1月か2月頃にツアーに出て、その時は『Killing』の曲に加えて、『Peace Sells…』の曲もたくさん演奏したのだけど、その時に「Peace Sells」がヒットソングになるであろうことははっきりわかっていたよ。キャピトル・レコードもこれを聴いて、この曲がメガデスの未来となると思ったんだろうね。だから、7枚のアルバム・ディールを結んだのさ。

 

 

 

 

― では最後に、5月の来日公演に向けて、日本のファンへのメッセージをお願いします。

 

デイヴィッド:まず、またクリス・ポーランドと一緒にやれて最高だよ。クリスとは長い友達で、おそらく彼がメガデスを去ったのちに、さらに良い友達になったと思う。俺のレーベル、コンバット・レコードはクリスの『Return to Metropolis』を再発できるのも光栄なことだ。現在パートナーのトムはクリスの自伝も手がけているんだ。読ませてもらったけど、素晴らしい内容だよ。早くファンにも読んでもらいたいな。ソロ・ツアーでも、8月だったかな、クリスにはステージに上がってもらったけど、また一緒にプレイできるのは最高だね。クリスは初期のメガデスの重要なメンバーで、もちろん彼の音楽パレットは色々なものが乗っているからね。彼と音楽的なフレンドシップを深めていくのがとても楽しみだよ。

 

文 川嶋未来

写真 Melody Myers

 

 


2020年3月20日発売

デイヴィッド・エレフソン『スリーピング・ジャイアンツ』

【通販100セット限定 直筆サインカード付CD】 ¥3,500+税

【CD】GQCS-90859 / 4582546591274 / ¥2,500+税

【日本語解説書封入】

 

【ゲスト・ミュージシャン】

クリス・ポーランド (ギター) [元メガデス]

ロン “バンブルフット” サール (ヴォーカル) [元ガンズ・アンド・ローゼズ / サンズ・オブ・アポロ]

ジョン・ブッシュ(ヴォーカル) [元アンスラックス]

デイヴィッド・グレン・アイズレー(ヴォーカル) [ジェフリア]

マーク・トレモンティ(ギター) [アルター・ブリッジ / クリード]

デイヴ・マクレイン(ドラムス) [元マシーン・ヘッド / セイクレッド・ライク]

ケン・メリー(ギター) [アリス・クーパー / フロットサム&ジェットサム]

トム・ハザート(ヴォーカル)

スティーヴ・コンリー(ヴォーカル) [フロットサム&ジェットサム]

ダリル “DMC” マクダニエルズ(ヴォーカル) [RUN DMC]

イリアス・パパダキス(ギター/ドラムス)

イーサン・ブロッシュ(ギター)

 

【CD収録予定曲】

  1. ヴァルチャーズ (マックス・ノーマン・ミックス)* 【2019年新録音源】
  2. スリーピング・ジャイアンツ [feat. DMC] 【2019年新録音源】
  3. ハマー (カムズ・ダウン) [feat. クリス・ポーランド/マーク・トレモンティ] 【2019年新録音源】
  4. イフ・ユー・ワー・ゴッド (ライヴ) [ヴォーカル:デイヴィッド・エレフソン/トム・ハザート] * 【2019年新録音源】
  5. ヴァルチャーズ (ライヴ) [feat. トム・ハザート] *
  6. デッドマン・ライズ【F5デモ】
  7. アイ・フォール【F5デモ】
  8. ブリーディング【F5デモ】
  9. ホワイ・キャント・ウィ・ダイ【F5デモ】
  10. ダイング・オン・ザ・ヴァイン【F5デモ】
  11. フェイデッド【F5デモ】
  12. アンディナイアブル【F5デモ】
  13. フィール・ユア・ペイン【F5デモ】
  14. イフ・ユー・ワー・ゴッド [feat. ジョン・ブッシュ]
  15. アウト・イン・ザ・レイン [feat. デイヴィッド・グレン・アイズレー]
  16. ヴォイシズ [feat. デイヴィッド・グレン・アイズレー]
  17. ライク・ファーザー・ライク・サン [feat. デイヴィッド・グレン・アイズレー] *
  18. ホーム [feat. デイヴィッド・グレン・アイズレー] *
  19. アフター・オール (セッド・アンド・ダン) [feat. デイヴィッド・グレン・アイズレー] *

*日本盤限定ボーナストラック

 

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“More LIVE with Deth” featuring David Ellefson with Special Guest Chris Poland

 

大阪 5/17(日)TRAD
前売 VIP ticket ¥14,000(限定Meet & Greet付き・スタンディング・ドリンク代別途・税込)
※主催者先行のみでの受付 ※16:00 に入場口にお越しいただきます
前売 ¥9,000(スタンディング・ドリンク代別途・税込)
OPEN17:00/START18:00
info. 06-6535-5569(SMASH WEST)

 

東京 5/18(月)LIQUIDROOM
前売 VIP ticket ¥14,000(限定Meet & Greet付き・スタンディング・ドリンク代別途・税込)
※主催者先行のみでの受付 ※17:00 に入場口にお越しいただきます
前売 ¥9,000(スタンディング・ドリンク代別途・税込)
OPEN18:00/START19:00
info. 03-3444-6751(SMASH)

 

協 力:WARD RECORDS
問合せ:SMASH WEST 06-6535-5569

 

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